山手貨物線のデッキ付き電機
電気機関車を撮っていた1970年代、関西で見られたデッキ付きは、阪和線のEF52や大阪駅のEF14ぐらいで、東海道・山陽本線では、デッキ付きのEF15は撤退して、箱型の電機ばかりでした。しかし、東京へ行けば、まだ多くのデッキ付き電機が、旅客、貨物を牽いていました。旅客は、以前に紹介した東北本線のEF57がその代表でしょう。貨物と言えば、その本数から言って、山手貨物線を走る貨物列車が挙げられます。形式も、EF10、11、12、13、15と多彩でした。まだ武蔵野線が全通する前で、時間帯によっては、実に多くの貨物が走っていて、デッキ付き電機の良さをしみじみ感じたものでした。
▲ EF15 174の牽く自動車輸送列車、「ク」を連ねた貨物も、いかにもこの時代の特徴をよくあわらしている。EF15は200両以上も造られて、ほとんど廃車もなく、EF65に次ぐ両数だったが、関西ではもう見られず、貴重に映った。
▲山手線の渋谷~原宿には、中間付近に、線路と同レベルの道があって、歩道から容易に貨物を撮ることができる。昔から知られた山手線・貨物線の撮影地で、ここへ訪問するきっかけになったのも、「鉄道ファン」に紹介された撮影地ガイドだった。背後に昭和の東京オリンピックに使われた岸体育館があった。車内から見ても、現在でも周囲はそれほど変わっていないようにだが、線路との間には背丈以上のフェンスが張られている。EF13 27▲ EF10 11の牽く貨物列車。EF10は当時41両全機が東京周辺に配置されていた。いろいろな外観があって、初期型のヒサシ付きは、比較的珍しかった。貨物線は、旅客線の内側を走るから歩道からは少し距離があった。▲EF11のトップナンバー、1並びのEF11 1も単機回送ながら、とらえることができた。EF11は、EF10の改良型の勾配区間用で、4両だけ造られた。長らく八王子区にあって、中央東線の客貨を牽いた。▲タンク車を連ねた石油輸送列車も多かった。この4年前に、新宿駅で米軍のジェット機燃料を運ぶタンク車が炎上する事故があり、当時の国鉄闘争に文字どおり油を注いだが、その後も石油輸送は、国鉄貨物の柱となっていた。 EF13 25牽引
いずれも渋谷~原宿(昭和46年2月)
特派員さんが書いているとおり、京都でもデッキ付きのEFはたくさん見られました。EF15などは逆に撮っていません。D51状態と言えば分かるでしょうか。
今あるのはEF15、EF10、EF13、EF52、EF59などです。
吹田のEF10
米手さま
デッキ付き電機の写真を見せていただきました。私の感覚では、気が付いた時には、京都駅で見られる貨物電機は、EH10やEF60が多く、EF15はかなり希少になっていました。吹田のEF10は、ホントかいな思いながら、車両配置表を見ると、昭和39・40年に吹田に5両のEF10が配属されていました。どんな使われ方をしていたのでしょうか、EF15と共通運用だったのでしょうか、私にとっては新発見でした。貴重な写真、ありがとうございます。