私の好きな電気機関車たち   ⑦

東海道・山陽本線のデッキ付きEF電機② EF14

前々回に紹介の初の国産大型電機EF52、その増備として昭和6年にはEF528、9の2両が製造されました。歯車比を小さくして、高速性能を持たせるなど、1~7とは性能が異なっていたため、翌年の昭和7年には、形式を変更して、EF54 1・2となりました。その後、貨物用として使うため、EF53と同じ歯車比して低速化して、昭和18年にEF14と形式変更され、中央線で貨物を牽くようになります。しかしEF13に追われて、吹田二区へと転属します。大阪駅へ行くと、いつも決まって9番ホームの神戸方の切り欠きホームに単機で止まったままだったEF14、私は結局、このシーンしか知らなかったが、今月の鉄ピク「昭和の鉄景」には、9番ホームで郵便・荷物車に連結していたEF14が載っていた。神戸方に専用ホームも持って待機していたのは、東海道・山陽本線の客車列車では、下り方に郵便・荷物車が連結されていて、入換えには便利だったからである。これは、郵便車から下ろされた郵袋を扱う中央郵便局の位置も同様で、東京、名古屋、京都、大阪の中央郵便局は、いずれも駅前の下り方に立地していた(昭和41年)

EF14になってからは、八王子、甲府区へと転じ、中央線の旅客、貨物列車を牽いていた。EF13が中央線に進出し、予備機や休車となっていたが、昭和35年、吹田第二区に転属となり、大阪駅で郵便・荷物車、客車の入換えに使用していた。

その後の変化としては、デッキの手すりがトラ模様に塗られたぐらいで、何年経ってもEF14の位置は変わっていなかった。結局、昭和49年1月付けで廃車となり、以降の入換えはDD13に代わった(昭和43年)。

 

唯一、大阪駅以外で撮ったEF14は、吹田第二区に行った時に見たEF14 2だけだった。この時はパンタを下ろして「二休」の札を入れていた。一日走っても距離の知れているEF14、検査期限も長くあったはずで、予備の1両は休車扱いにしていたと思われる(昭和43年)。

 

 

 

 

 私の好きな電気機関車たち   ⑦」への1件のフィードバック

  1. いつも懐かしい作品を拝見させてもらっています。
    ホーム位置は大きく変わっていませんが大阪駅は、中央郵便局があった側から地下でホーム下に行けました。
    臨時で新聞を運んだことが数回あります。昭和時代の思い出です。

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