時刻表とともに 想い出の列車を再見する (1)

やっとデジ青に復帰します。今年になってから、ある業務に追われていましたが、3月末の締め切りに何とかやり終えることができました。外出もせず、閉じこもったままの生活でしたが、昨日、書店を覗くと、JTB時刻表100周年号が出ていました。そうか今年は昭和100年であるとともに、大正15年の「汽車時間表」発行以来100年なのです。言うまでもなく、鉄道輸送の実態を見るには第一級の資料です。何しろ全国2万キロを走る列車の動きが1分刻みで記載されているのですから、これほど有用な資料はありません。今回の業務でも、原稿作成、校正では、まず当時の時刻表に当たりました。

私もデジ青に多くの列車の写真を載せてきました。キャプションには、機号だけでなく、運転区間や撮影日を載せてきましたが、それだけで周辺の様子が分かってもらえたのか疑問でした。そこに時刻表を添えることによって、運転区間の駅や、前後の列車も分かり、より立体的に俯瞰できます。列車写真と時刻表をクロスオーバーすれば、使い古したネタでも、あらたな有効活用ができるのではと思いました。

時刻表は、実際に使ったものを保存して来た。廃棄したり、足りないものもは、古書で購入したり、人から貰い受けたりまた復刻版も加えると、戦後の時刻表は、毎年保存している。戦前分も加えると相当数になる。

 

九州を走った列車 〈1〉  矢岳越えの混合列車

今回、採り上げた時刻表は、昭和42(1967)年3月号です。高校2年生の終わり、初めての長期間旅行で九州均一周遊券を目いっぱい使って、15日間撮影しました。この期間に撮影した列車と、関連する時刻表を載せて、立体的に列車の周辺の様子も探ってみます。身延線の準急「富士川」が表紙の時刻表3月号、まだA5判の時代、使い込んで表紙も取れてしまい、硫酸紙で補修している。面白いのは小口面を見ると、九州のページ付近だけが黒く汚れている。それだけ現地で使い倒した証拠だ。

人吉で発車を待つ、吉松行き873レ、重装備のD51 170[人]の牽引、客車はオハフ61 433だけ、その後ろには延々と貨車が連なって、最後部にはD51の補機が付く。夜行に乗って着いた人吉は、雨が降って寒かった。地球温暖化の言葉が無かった時代、まだ桜は咲いていなかった(昭和42年3月27日)。上掲873レは赤枠、人吉13:10発の列車、承知のように八代~人吉~吉松は水害のため、不通のままで、列車が走らなくなって5年が経過する。不通直前に川線に乗ったが、日常利用客の激減には驚いた。通常、観光列車と日常の列車は分離されているが、ここでは観光列車しか運転されていない。数少ない日常利用客は、観光列車に乗らざるを得なかった。山線も日常利用はゼロ状態が続いていた。60年前にはこれだけの列車が走っていた。夜行列車(2121レ)も走っていたし、急行も走っていた。隼人方面は朝一時間ヘッドの運転。八代発のDCは、湯前まで向かっていたのも興味深い。矢岳越えの人吉~吉松では急行も走っていたし、普通は、上掲のように混合列車で、多くの貨物も運んでいた。この区間でも1時間30分ヘッドぐらいで列車が走っていた。

 

 

 時刻表とともに 想い出の列車を再見する (1)」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    待ってました。というより小生もいずれ(いずれ!ですよ。実現可能性は不明ないずれです)こんな旅の回想録をと構想していましたので、この企画は諸手を上げて大歓迎です。アルバムの記録法として時刻表をコピーし、乗車列車を赤枠で囲むのは30年ほど前の欧州旅行でやりました。わかり易くていい方法だと自画自賛しています。同じ方法を採られておられるのが嬉しいですね。時刻表のページや字面毎に当時の旅の想い出が詰まっているように感じて旧い時刻表を眺めています。
    さて昭和42年に既に肥薩山線を訪ねておられましたか。小生は45年3月にK中さんI伏さんとで訪ねました。掲載の時刻表面も懐かしいですね。総本家さまと同じ2121レで大畑に降り、人吉側のスイッチバックや北側のループ線標識のあるカーブなどで撮影の後、急行やたけで鹿児島に向かいました。その後矢岳越えのD51の終盤近くに、切符や宿を全て手配してさあ出発となる直前に仕事でパーになり悔しい想いをしたものです。続編を楽しみにしております。

    • 1900生様
      コメント、ありがとうございます。黄ばんでボロボロになった時刻表を見ていると、当時のことが蘇ります。と、言ったものの、実態は60年も前のこと、ほとんど忘れ去っています。以前にもデジ青に載せたものが多いのですが、それを投稿した私ですら忘れています。なら、もう一度載せようとなりましたが、タテ軸、ヨコ軸の組み合わせとして、古い時刻表も利用することにしました。でも時刻表を改めて読み込むと、初めて知ることもあります。門司港発の夜行鈍行は、列番は1121レとばかり思い込んでいましたが、都城行きの時は2121レだったのですね。

      • 総本家青信号特派員さま
        私も1121レだと思っていました。なのに2121レというのは?と疑問を感じながらもコメントしていました。同様のことを伺ったので調べてみると、42年当時は門司港~八代間が鹿児島行の121レと併結運転されいて、肥薩線から先が2121レという番号になっていました。鹿児島行の夜行の存在をすっかり忘れていました。
        因みに1121レというのは、43.10改正で鹿児島行が無くなり、そのため全区間で1121レになっていました。ですから小生が訪ねた時は1121レで、記憶は間違ってはいなかったようです。
        余談ですが上りの2122レと122レは八代~熊本間を15分差ほどで雁行運転し、熊本で連結していました。

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