5月の台湾(5月7日)その5

第5日、最終日も東部幹線、三貂嶺の撮影が中心です。
三貂嶺は台湾の武田尾(JR西福知山線)とも称される山峡の駅で、猴硐の隣です。このあたり一帯はハイキングの名所で、時間があれば三貂嶺から猴硐まで歩いてみるのもいいのでしょうが、どうも線路端で列車を撮るのが専らの性分ですので今後もそのような機会はなさそうです。さて、猴硐は、下り列車を撮るのに適しているのですが、三貂嶺はその逆、上り列車を撮るのにはよいのですが、下りはなかなかうまく撮れません。同じ立ち位置で上りも下りもバシッときれいに撮れる場所はこのあたりにないものでしょうか。
▲三貂嶺へ向かう前に莒光511次を狙います。客車の定期急行列車である莒光号も貴重になってきました。汐止

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5月の台湾(5月6日)その4

第4日は、猴硐の付近をうろうろしました。
猴硐は、東部幹線の北方、瑞芳の隣で普通列車と莒光号が停車する駅です。一般には猫村として猫好きな人がよく訪れる場所でもあります。ここに来たのは終焉が近づくDR3100自強号を撮るためです。柴連(ディーゼルカー)自強号は、DR2800~3100が東部幹線、南廻り線と非電化区間を含む路線の速達列車として活躍しましたが、2020年の環島全線電化により相次いで引退。現在、車齢の若いDR3100のみが樹林ー花蓮間に2往復が運行されていますが、全線架線下を走る柴連自強号運用はもうすぐ終わるようです。特急「花嫁のれん」のように全線電化区間を走る優等列車は他にもあるので、引き続き波動輸送用等でも存続してほしいものです。柴連自強号は、基本編成が3両×3編成の9両、繁忙期は4編成となり12両で走っていて、モノクロスながらなかなか迫力がありました。台湾と言えば、非電化の南廻り線を力強いディーゼルがゆくイメージだったので、消滅は寂しいのですが、こればかりはどうしようもありません。
▲R150型の最終番
エンジン音ははっきり言ってけたたましく、遠くからでも近づいてきたことが判ります。これに比べるとDD51やDF200の何と静かなことか。

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5月の台湾(5月5日)その3

3日目はナローゲージの日です。
嘉義の手前の新営糖廠では、古典のディーゼルカー勝利号が復元されており、他の糖廠保存鉄路によくある観光トロッコより本格的な保存鉄道となっています。嘉義の阿里山鉄道も長らく区間運転でしたが、いよいよ7月から全線開通するとのことです。この日は奮起湖までの山岳路線には乗りませんでした。嘉義から北門まで1区間と距離は僅かですが、都市鉄道の雰囲気を楽しみました。台湾のナローは、ずっと冬場に走る虎尾糖廠のサトウキビ列車を追っていましたが、他にも面白いものがあることを再認識しました。
▲新営糖廠のディーゼルカー勝利号

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5月の台湾(5月4日)その2

2日目は藍皮解憂号の乗車です。
コロナ真っ只中の2020年、南廻り線の電化完成により同線で残っていた3671、3672次普快列車の運行停止で旧型の客車も終わりかと思われましたが、一日一往復の観光列車、藍皮解憂号として運行が継続されています。これは乗る値打ちがあります。藍色の重連ディーゼル機関車と旧型客車5連、撮るだけで十分と思いましたが、固定窓の車両や通勤電車とは違います。乗ってよかったと思いました。残してくれていて有難う、と言いたいです。
▲台東行きの藍皮解憂号を金崙大橋の上から撮ります。

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5月の台湾(5月3日)その1

莒光666次を始発潮州から終点台東まで12時間乗り通します。週末の金曜日のみ運行されている座席夜行ですが、貴重な定期運行です。近いうちに動力集中式の電車E1000型(広義には前後に機関車が付いた客車か)運用に変わるとの報もあります。台湾を九州になぞらえると、例えばですが、鹿児島の東、国分か隼人から鹿児島、熊本、博多、大分を経て宮崎に行くような列車です。潮州から台東までは南廻り線の自強号(特急)に乗れば、遅くとも2時間かかりません。国分か隼人から宮崎まで特急きりしまに乗ってもそんなものでしょう。それをわざわざ遠回りする莒光号に乗るのも我ながら物好きと思います。わざわざというか全線乗り通す客は想定しておらず、高雄など南部の都市から台北など北部の都市に夜遅くに到達するのと、夜行列車として台東をめざすのは同じ列車でも異なる使命を併せ持っていると言えましょう。さて莒光号の客車は、リクライニングシートもよく倒れ、快適な乗り心地なのですが、空調を効かせ過ぎで寒すぎます。そんな時に限って車掌がつかまらない。他の人も申し立てないのか、言ってもどうすることもできないのか、着込んで耐えている人が多かったように見えました。かつての客車急行のように長時間停車もありません。莒光666次は、潮州を17時35分に出発、高雄18時18分、台南19時、嘉義19時50分、彰化20時57分、台中21時15分、新竹22時35分、台北23時55分、宜蘭1時47分、花蓮3時5分、玉里4時37分、終着台東には5時48分に着きました。

▲始発、潮州駅で出発を待つ莒光666次 続きを読む

東進続々

小湊鉄道は昼過ぎには切り上げて東京へ戻ります。五井からJRだけで速く戻れるのですが、せっかく東京まで来ていて、少しは時間もあるのでここは京成電鉄に乗ってみることにしました。泉北高速鉄道と同じく新京成電鉄も社名が消滅すると報じられているので、その前に乗ってみようとも思いました。またSNSにアップするような投稿ですがご覧ください。このような投稿なら日常フェイスブックに出しているものとほぼ同じですので簡単に出すことが出来ます。丁寧に過去の資料の下調べをして投稿をされる先輩からはお叱りを受けそうですが、ご容赦願います。

▲新京成電鉄8800型 京成津田沼 京成もそうですが標準軌で18メートル級車体3扉というのは関西では京阪や阪神もほぼ同様なので親しみを感じます。

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東進続

東武鉄道を撮った翌日、あいにくの雨でしたが小湊鉄道へ向かいました。小湊鉄道はJR東日本からキハ40を導入し、さらに魅力がアップしたように思います。もちろんキハ200も車体の造形だけでなくDMH17エンジンを搭載し貴重な存在ですが、今や原型に近いキハ40が走るのはとても素晴らしいことです。午後には東京に戻らねばならなかったので、昼からは雨も上がるとの予報だったのですが、消化不良な撮影になってしまいました。こちらも次回以降再訪の宿題です。それにしても首都圏には面白い非電化私鉄がいくつもあり羨ましい、と思います。他にも数を減らしていますが関東鉄道には在来車のキハ0系やキハ532、鹿島臨海鉄道には6000系が最後の活躍を見せています。さよなら運転とかですと、人が殺到し激パ状態となり一気に戦意喪失してしまいます。そうならないうちに行くのです。行くのなら今です。

▲キハ401 五井 もとの番号はキハ402021 コイルサスなので暖地仕様です。

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東進

先日2月のはじめ、久しぶりに東京へ行って参りました。特別な列車が走るとかさよなら運転があるとかではありません。ただの日常です。東武鉄道は、車両や線区のバリエーションが広くなかなか興味深い存在だと思っています。本当は、奥地に行ってSLやうまく行けば野岩鉄道に残る6050系も、と考えていたのですが都合により叶いませんでした。次回以降の宿題です。その代わりと言っては何ですが、大師線と亀戸線に初めて乗ることが出来ました。SNSに載せる写真日記のようですが、ご笑覧ください。

▲新鋭スペーシアX、思っていたよりも白が映えます 獨協大学前

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大韓民国の鉄道、2023年夏(続)

ソウルの近くで撮影した翌日は、大田の付近で撮影し釜山に移動します。大田からは、忠北線の清州駅で貨物列車を撮る予定です。忠北線は貨物列車が多いとのことでしたが、駅で待っていても土曜日のためかどうか全然やってきません。当初の予定では、12時42分清州発のムグンファ1706列車に乗るつもりでしたが、早々あきらめて一本早い9時32分発の1704列車で大田に取って返し、釜山近くの亀浦で駅撮りをすることにしました。1704列車で大田へ向かう途中、立て続けに貨物列車とすれ違いました。少し早まったかな、と思いましたが後の祭りです。亀浦は釜山の手前12~3分の駅で優等列車の本数も多く、釜山の地下鉄駅も前にあります。

▲堤川行のムグンファ号1705列車 2023年8月19日 清州

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大韓民国の鉄道、2023年夏

8月、久しぶりに韓国へ行ってまいりました。最大の目的は「鉄」ではありませんでしたが、ここでは触れないでおきます。「鉄」では、駅撮りを中心とした撮影と列車に乗ることが主な狙いです。韓国では、首都圏の駅にはホームドアが普及し、沿線も背の高い防音壁が続いているので、撮影は制約を受けてしまいます。いきおい定番の撮影場所になってしまいますが、紹介をさせていただきます。

旧ソウル駅 2023.8.18

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2023年夏、台湾再起動(その5、北上)

8月1日(火)
2日の朝には桃園を出るので実質の最終日は1日となる。高雄から西部幹線を海線経由で台北まで北上し、もっと奥の三貂嶺での撮影まで行う欲張りな一日となるがどこまで出来るかは未知数である。
もともとはゆっくりと高雄から台北まで莒光号を乗り通し、客車列車を堪能しようか、と思っていたが、日程が短いのと根が貧乏性であれもこれも、旅程にあれもこれも、と突っ込むので、昼行客車急行長時間乗車は次回以降の宿題にしておく。もっとも2024年には定期客車急行の莒光号廃止との情報もあるので「なるはや」で実現せねば、と思う。

台中港駅で入れ替え中のR21とR22

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2023年夏、台湾再起動(その4、南廻り線)

7月31日(月)
この日は、今回のハイライト、南廻り線の撮影である。南廻り線は、2020年の年末に電化開業しているので、列車運用に大きな変更があった線区である。目当ては、金崙-太麻里での撮影となるが、発車まで時間があるので、先ず西部幹線の新左営8時35分発の莒光号(急行)511次を新左営の隣の楠梓まで撮りに行く。腹が減っていて時間もあったのですぐに楠梓に行かず、新左営で降りて朝食のサンドイッチを食べ、ついでに明日8月1日の座席指定も取ることにした。あまり直前だと指定が取れない恐れがあるからだが、これがいけなかった。莒光号が発車するまで30分はあったのに先に北上する普通電車がないのである。いきなり楠梓での莒光号撮りは終わってしまった。新左営駅を出て撮影場所があるか探してみたが全く無駄であった。大都市高雄といえども時間帯によっては普通列車は1時間に2本あるかどうかなのを油断していた。どうも長編成のステンレス製の電車なので本数も多いと先入観を持ってしまう。きっちりと調べておかねばならないということだ。2021年に登場した最新鋭の通勤型電車EMU900型。10両固定で、最終的には52編成が運用に就くのだそう。韓国の現代ロテム社製、VVVF制御のステンレス車体。セミクロスシートの背ずりがEMU800や700よりも高くなり中長距離乗車でも快適。彰化

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2023年夏、台湾再起動(その3、西部幹線)

7月30日(日)
朝、中壢駅まで歩く。駅前はMRTの工事中であった。MRTが中壢まで延びれば桃園空港に近い在来線の駅まで直結するのでもっと便利になる筈である。中壢駅でTRパス3日券を6,000元(約8100円)で購入する。今回は乗車の比重も高いので元は取れるに違いない。

莒光510次 斗六進入 新しい自動ドア車とはいえ客車列車の魅力は十分

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2023年夏、台湾再起動(その2、東京)

7月29日(土)東京の1日
なかなか東京へ行く機会はない。出張もなくなった。大阪から東京は運賃が高く、夜行快速ムーンライトながら無き今、安く行こうとすると高速バスの青春ドリーム号か青春18切符発売時期の鈍行乗り継ぎであるが、気力体力乏しい身にはどちらもこたえる。そこで、今回、東京乗り継ぎをむしろ積極的に活用し、伊丹からは朝の羽田行きを選び、夕方の成田発桃園行きまで東京の電車を楽しむことにした。

京急1500型 京急川崎 昭和60年が製造初年とまだまだ新しいのだが、もう廃車が始まった。関西なら昭和40年代の車が珍しくないのだが。この1500型、昭和の終わりから平成への移り変わりを体現するように、制御方式が界磁チョッパから途中でVVVFインバータに変わった。なかなか好ましいスタイルと思うが如何?

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2023年夏、台湾再起動(その1、序章)

3年ぶりの台湾である。前回、2020年1月の台湾行では、コロナ禍により3年にも渡って渡航が出来ず、しかも今だ新型コロナウイルスを駆逐する特効薬もないことは想定しえなかった。とにもかくにも、大手を振ってどこにでも行ける状態になった。
日本に外国人がやってくるインバウンド、これは見ての通りの勢いがあり、中国大陸からの団体客もまもなく解禁されるそうで訪日客は復活するであろう。ところが日本人の出国には、コロナ禍があったにせよ勢いがないのではないか。

変わらず活躍する台湾鉄路局のTEMU2000型、プユマ号 2023年7月30日 斗六

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1987年を振り返る(その4)

10月4日、同志社大学鉄道同好会30周年記念号では、宮原客車区から始発の京都駅までの送り込み回送の添乗を担当した。ここでの用務と言えば、荷物の積み込み、確認と向日町区でのサボ取り付けくらいしかない。これを同じ85年度生のK氏と一緒に行うのが仕事であった。

1987.10.4 宮原客車区

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1987年を振り返る(その3)

9月6日、秋田の大学の友人を訪ねることになり、青春18利用なので、大垣夜行340Mで東京まで出て、上野から常磐線に乗り換え、北上する。日立電鉄に乗るため、大甕で降りる。上野から鈍行では約2時間半の道のりである。

1987.9.7 鮎川から大甕まではほぼ常磐線と並走

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1987年を振り返る(その2)

この年の春、鉄道界にとって大きな出来事があった。日本国有鉄道がJRグループに生まれ変わったのである。ところが、私はというとこの頃、鉄分が限りなく薄まっていた。
4月1日は、JR発足の記念すべき日だが、私のところにアルバイトにいそしんで買った中古のセダンがやってきた。余談だが、このセダンにはターボがついており、ターボチャージャーが過給すると、誇張もあるがジェット機が離陸するように加速した。この車を乗り回すことに夢中になり、ターボが「ヒューン」と音を立てて、景色が飛ぶのと同じく、私の「鉄道」も後ろに飛んで行った。(ような気がした。)
5月、もう一つ京都の鉄道界にとって大きな出来事があった。京阪電鉄の京都地下線開通である。当時の青信号56号を読み返すと、構想以来半世紀、工事着手以来丸8年、総事業費650億円をかけて~と書かれており、まさに大事業だった訳である。私はというと、鉄道同好会とは別に、テニスのサークルにも入っており、地上線最終運行の23日は、こちらのサークルの新歓コンパが三条河原町であり、最終運行どころではなかった。ということで、この年の春先から初夏にかけては全く鉄(写真撮影や乗りに行くこと)をしていない。
このように、鉄分は薄まっていたが、本能というか本性が呼び覚まされると立ちどころに元に戻るものである。読者のみなさんの中にも、鉄に出かけているのでなく、出張などの用務で遠出した際、線路や駅舎を見ただけで興奮した経験をお持ちの方は多いだろう。
テニスのサークル夏合宿は、河口湖だった。その下見に行った際、時間を見つけて富士急行の電車を撮影した。春から夏にかけて、いろいろなことがあったが、私は鉄道に回帰した。

1987年6月11日 富士急行5700型(元小田急2200) 河口湖

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1987年を振り返る(その1)

先月、旧一等展望車マイテ492が、京都鉄道博物館に収蔵されたとのことである。もともと大阪弁天町の交通科学館で展示されていたのだから元に戻ったというべきかも知れない。
1987年(昭和62年)10月4日、このマイテ492を繋いだ特別列車「同志社大学鉄道同好会30周年号」が走った。その時、私は3回生だった。この列車には、OBも大勢乗っていただき、後にOB会、クローバー会発足のきっかけの一つとなった、とも伺っている。当時、現役生としてこの列車の運行に少し関わった者としては、よかったと今でも思っている。ただ私は、この特別列車走行の企画運営の主軸として関わったのではなく、当日運営要員の1人として居たに過ぎない。このツアー列車の運行の記録は、昭和63年(1988年)発行の青信号57号に詳しく書かれている。今読み返しても、事前の各種準備から当日の仕切りまで主導的な役割を担った会員と、その取り組みに助言をし、見守ったOBの熱い想いが伝わってくる。これ以上の記録はないと思っているので、私が担当した宮原区から京都駅までの送り込み回送添乗のみ少し後で触れたい。

1987年10月4日 宮原客車区

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