昨年11~12月は、京都市電の写真展に忙殺されていたこともあり、関東の日帰り旅行の掲載を滞っていました。ネタはありますので再開します。関西の皆さんにとっては馴染みのない路線が続くと思いますが、ご了承ください。
<仙台空港線と登米の散策1 2007.5.19>
2007年はこの年の3月18日に開通した、仙台空港アクセス線(仙台空港鉄道)に乗りに行った。仙台空港アクセス線は全列車仙台~仙台空港の直通運転。途中名取までは東北本線を走り、名取からは仙台空港鉄道の新線高架区間だが、JRの運転手がそのまま乗務していた。ワンマン運転でドアの開閉、ホーム確認は運転手が行う。単線の高架を100㎞以上で快走し、ほどなく仙台空港駅。

仙台駅3番ホーム。JRのE721系
仙台駅から各駅停車で25分、快速は17分で結ぶ。バスだと40分以上かかるから、仙台空港アクセス線の開通で時間短縮と定時性でアクセスは格段に向上した。2024年現在、一時間当たり日中20分毎のダイヤとなっている。車輌は2両が1ユニットのJRE721系と仙台空港鉄道SAT721系が使われている。

こちらは仙台空港鉄道SAT721系
仙台空港駅のホームからは階段や段差のない200mほどの通路を通れば出発カウンター。空港アクセス鉄道の中で最もバリアフリー・最短距離だと思う。こう言う設計を眼にすると、ハンディーキャッパーの私は嬉しい。空港の方も鉄道の開通に合わせてリニュアルしたのだろう、真新しい建材の臭いがしていた。

鉄道のホームと出発カウンターはほぼ同じ高さ
車輌は1ユニットの1箇所に車椅子スペースがあり、向かい側に車椅子でもギリギリ利用可能なトイレがある。25分の所要時間で何故トイレがあるのだろうと不思議に思ったが、将来の運転区間延長を見据えてのことだろう。空港利用者が増えれば一関・いわき・福島から直通電車が運転されるかもしれない。車内も固定クロスシートである。なお既存のホームでも電車との段差は5~10cmほどだった。

車椅子スペースと多用途トイレ。かなり圧迫感がある
乗客は1列車当り約50名。空港の離発着が国内線1日38便(当時)からすると少ない数字ではない。開通から2ヵ月余り。アクセス鉄道はすっかり定着している印象を受けた。途中駅「杜せきのした」に巨大ショッピングモールがあり、電車から降りた家族連れが、続々吸い込まれていった。開発が進む沿線の足としても、仙台空港アクセス線は期待されているのかも知れない。(続く)

JRE721系の側面と車内。クロスシートが基本
<東日本大震災の被害>
平成23年(2011)年3月11日の東日本大震災による津波で大きな被害を受けたため全線で運転を見合わせた。7月23日より名取~美田園間で運行が再開され10月1日には全線で運転を再開した。運休中は代行バスが運転された。
地上にあったもう一つの仙台駅
現在、仙石線は地下を走っていますが、平成13(2000)年までは地上の仙台駅が終点でした。東北線の仙台駅から地下道を通った東側にホームがあり、お古の国電が活躍していました。写真は昭和57(1982)年1月2日、東北乗りつぶしの一枚です。このあと快速で石巻へ、女川まで行きました。
仙石線と石巻線の駅舎は駅前の対面でした。接続が40分あったので、パチンコ屋に入ったところ大当たりで、ボールペンを沢山もらいました。ところが景品交換所が分からず、人に聞いてようやく見つけ、危うく女川行の列車に乗り遅れ、後の予定がガタガタになるところでした。
勘秀峰さま
2007年3月の仙台空港線の開通直後に行かれているのですね。私は、開業の前に、廃止予定のくりでんを記録するため仙台へ行きました。空港へは仙台市営バスが、10分ヘッドで結んでおり、空港利用客を一手に引き受けていました。ただ、私は節約のため、空港最寄りの館越まで列車で移動し、そこからバスに乗って空港へ向かい、神戸へ向かいました。仙台は、伊丹、関西、神戸と、3方面に飛んでいて、関西からは、列車移動より便利ですね。これから登米も続くとのこと、楽しみにしています。
総本家様
空港鉄道が開通する前に仙台空港を利用されたとのこと。連絡バスが10分間隔とは利用者にとって便利な乗り物だったんでしょう。空港は名取市にありますが、仙台市バスの運行だったのですね。路線バスの仙台市バスは2013年時点で、江若交通バスに似た塗色でした。ブルーグリーンをベースに青のストライプでまとめられており、私にとっては好きな塗り色の一つでした。
勘秀峰様
乗りつぶし鉄(こういう言葉があるかわかりませんが)ではありませんが通称仙台空港アクセス線に乗ってきました。空港駅からは空港の建物に仙台国際空港の文字が見られ電車の車内からは香港航空の赤と黄色と白の機体を写すことができました。名取―仙台空港間の仙台空港鉄道は初乗車です。写真は2025年1月27日の分岐駅名取駅で仙台空港発仙台行きJRのE721系500番台が単線高架区間を駆け下りて名取駅に入るところです。仙石線は陸前大塚-東名間の海辺で旧型車を撮ったことがありその時多分仙台駅の地上ホームから乗ったと思いますが記憶がありません。勘秀峰さんの記録を見て撮っておけばよかったと思いました。
準特急様
空港鉄道線に乗られたのですね。私が行った日は雨天だったため、車内から飛行機の姿はキャッチできませんでした。線路が高架だと見える景色も違ってきますね。つい先日乗られたと日付を見てびっくりです。
仙石線の記述がありましたので、昭和57年当時の石巻駅を添付します。昭和3年、宮城電気鉄道として開業した当時の駅舎であろう建物で、石巻線の駅舎とは駅前の反対側にありました。
勘秀峰様
1月27日名取駅の東端で撮っていた時に仙台発常磐線経由品川行きひたち22号E657系がやって来ました。ここは空港行き、白石行き、原ノ町行きが次々と来ます。おまけにEH500の貨物も多数見られ飽きが来ませんでした。但し、電車の車種には飽きが来ましたがそんな中で在来線特急は一条の光に見えました。
準特急様
E657系ひたち号の写真、ありがとうございます。私が関東を離れて8年になりますが、車両もずいぶん変わりましたね。もっと撮っておけば良かったのに、と思うことしきりです。
東日本大震災の復旧が完了し、仙台に常磐線の特急が走るようになったのは、意義のあることです。今では東北新幹線の長期不通時に、常磐線の特急を機敏な対応で臨時増発することもできるようになりました。
写真は東北新幹線開業まで上野~仙台間を走っていたエル特急ひばり号です。昭和50(1975)年9月、父のコレクションで上野駅での撮影です。
宮城電鉄の国有化後仙石線には国電が進出していました。写真は1979年12月23日の有名撮影地東名-陸前大塚のクハ79系先頭の石巻発仙台行き4連。大震災後この場所は移転されて撮れなくなったのではないでしょうか。
すみません。写真間違えました。
準特急様
クハ79×4連。吊りかけ音がうるさく聞こえる位の近さですね。仙石線は東日本大震災の被害は甚大で路線を付け替えた箇所もあり、私としては未乗車の仙石東北ラインを踏破する際に再乗車しようと思っている所です。写真は仙石線あおば通(地下)平成12(2000)年5月20日の撮影です。この年の3月に地下化工事が完成して線路が切り替わりました。
勘秀峰様
仙石線の鹿妻-陸前小野間を行く石巻発仙石東北ライン経由快速仙台行きHB-E211-6~HB-212-7の4連です。ここは単線片ポール区間で広々としており時々自衛隊の爆音が聞こえてきます。
準特急様
仙石東北ライン用のハイブリッド気動車HB-E210系ですね。ディーゼルエンジン発電と蓄電池を併用するらしいです。仙石東北ラインは仙石線の全線と同時の平成27(2015)年5月30日に開業しました。直流の仙石線と交流の東北本線とを、非電化の接続線で結びます。
接続線は東北本線の松島と仙石線の高城町の間0.3キロです。スタンプは仙石線松島海岸駅、昭和49
年、父のコレクションです。
勘秀峰様
割り込みで失礼します。『仙石東北ライン』が開通してから約1か月後の2015年6月29日に乗車しました。最初は交直両用電車(多分531系)を導入したかったようですが、仙石線・東北本線接続線部分が300mしかなく、デッドセクションが設けられないため、非電化で整備されハイブリッド気動車HB-E210系での運行となったようです。後日このことが幸いして石巻線の女川まで乗り入れることになりました。この時は接続線内で列車無線切換のため一時停車をしていましたが、設備の改良により2018年8月から無停車で通過しています。
3枚の連投になりますが、HB-E210系の前面から見た東北本線下り線から接続線への分岐箇所です。
同じく、接続線から仙石線への合流箇所です。形ばかりの安全側線(脱線ポイント)がありますが、暴走すれば民家の庭先に突っ込みそうです。
快速つくばね様
仙石東北ラインの接続線の写真、ありがとうございます。実際に乗る時のイメージが湧きます。2015年に開業した仙台地下鉄東西線とセットで新線乗車を計画していますが、早く乗りたくなりました。
接続線が短く、デッドセクションが確保できないことが、ハイブリッド気動車新造の一因になったことを今回知りましたので、乗る楽しみが一層増えそうです。
直接関係がありませんが、1968年9月2日の陸前原ノ町です。