リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行4

<東急電鉄世田谷線2 2006.12.2>
東急世田谷線は東京の西部、渋谷から田園都市線で二つ目の三軒茶屋から、京王線の下高井戸までの5キロ余りを結ぶ専用軌道の路面電車である。この日は320円の散策きっぷを片手に、三軒茶屋から乗車し、あちこち途中下車して、駅の周りを見て歩いたりカメラを構えたり、ゆったりのんびりと穏やかな小春日和の土曜日を楽しんだ。

上=三軒茶屋~西太子堂 下=松陰神社前~世田谷

途中駅で乗ると、品のいいご婦人に席を譲られそうになった。右手足マヒの障がい者は歩き方に特徴があるからすぐ判るのだろう。しかしこの日の私は、散策モード。次の駅で降りる予定だったので、丁重にお礼を言って出口に向かった。右足に歩行を補助する装具を付けてはいたが、全く歩きには影響がないくらいだった。やはり好きなことをしていると身体が動くことを実感した。

上=上町 下=松原~山下
終点の下高井戸まで行き、線路沿いに何枚か写して世田谷線の予定は終了。まだ体力が残っていたので、山下まで戻り小田急線豪徳寺乗り換えで、馬事公苑近くにある食のミュージアを訪ねた。この頃はだんだん体力が元通りになって行く過程であり、あちこち出歩いては見識を広めるのが一番楽しい頃だった。(世田谷線終わり)

山下

東急世田谷線のミニ歴史
玉川電気鉄道(玉電)の支線、下高井戸線として大正14年1月に三軒茶屋~世田谷間が、5月に世田谷~下高井戸間が開通しました。その後昭和13(1938)年に玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現在の東急の前身)に合併されました。

下高井戸今昔 上=昭和61(1986)年10月10日  下=平成18(2006)年12月2日
昭和44 (1969)年5月、玉川線の渋谷~二子玉川園間が廃止されました。この時下高井戸線は全線専用軌道のため廃止を免れ、世田谷線に改称。上町近くに新しい車庫(上町検車区)が設置されました。長らく玉電時代の車輌が走っていましたが、平成13年(2001)年には全線の設備・車輌をリニュアルし、現在に至っています。

大沢家政婦紹介所でおなじみ、下高井戸手前のカーブ

リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行4」への4件のフィードバック

  1. 勘秀峰様
    随分古い車両もカラーでお撮りになっていますね。デハ80形の譲渡された江ノ電時代の写真です。1970年に江ノ電に譲渡されたその年の11月に極楽寺で撮ったものです。走行写真が無くて残念です。廃車は1990年です。
    左の601+602は元東急のデハ87+デハ88で601はご存知世田谷線宮の坂駅脇保存車です。602は1988年に651と改番され江ノ島-腰越間の線路際の商店街のお菓子屋さんに顔だけ保存されています。右の番号が見ずらい603+604ですが1983年に廃車されています。真ん中の306+356は元都電の車体を連結車としそれを連接車化に再改造されましたが300形では最も早い1991年に廃車されております。それにしても古い写真をお撮りになっていますね。私のカラーは300形ばかりです。江ノ電も鎌倉高校前の海の見える踏切も何かの舞台になったとかで若い人で一杯ですし、鎌倉駅の江ノ電の乗り場は京都の市バスと同じようにインバウンド外国人客で地元の人がえらい困っているらしいです。またの投稿を楽しみにしています。

    • 準特急様
      コメントありがとうございます。玉電が江ノ電に譲渡されていたとは知りませんでした。
      実は、昭和61年に世田谷線に乗った同じ日に、三軒茶屋~中央林間~片瀬江ノ島のコースで江ノ電に乗りました。その時、江ノ島駅のホームで何気なく撮った写真です。左側、赤と白のツートンカラーの電車には601の数字が見えます。これが元東急のデハ87だったのですね。準特急様のコメントさえなければ、写真のストックをスルーするところでした。

      • 勘秀峰様
        イヤーよく撮っておられますね。それもカラーでお見事です。自分で撮った写真は大体覚えているものですが感激が薄いとたまにこういうこともあるもんですね。感激が薄くても後に調べると保存車輛を撮っていたという例で貴重です。有難うございました。

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