私の愛した“食堂車”

元祖青信号特派員さんのスレをマシ35の話題へと脱線させてしまい、申し訳なく責任を痛感しています。
それにしても「食堂車」には人気があることが分かり、ちょっとうれしく思っております。そこで「食堂車」の写真を集めてみようと思い立ちました。

元来、食いしん坊の私は、旅先でも食べたことがないものを食べるのを楽しみにしています。でも食堂車での食事は値段が高く(ホタテ定食がいくらか知りませんが)カレーライスかサンドイッチくらいしか食べたことがありません。それだけ食堂車にはあこがれと羨望がない交ぜになった感情を今でも持っております。
そんなこんなで食堂車には思い入れがあるので写真を撮り集めて来ました。だのにマシ35だけが満足いかない結果になり今に引きずっています。

皆様の持っておられる「食堂車」の写真も見せてください。まずは私の持っている写真から。

まずはオーソドックスなところで『京都と言えばマシ29』です。

マシ292 大ムコ

マシ292は「玄海」に繋がれていました。1番代はダブルルーフ、100番代はシングルルーフとなっています。

マシ29107 大ムコ

他形式の食堂車を見せてください。

92 thoughts on “私の愛した“食堂車”

  1. 形式写真では足元にも及びませんので、こんなもので勘弁してください。
    マシ29 109 京都を発車した急行「ことぶき」宮崎行 昭和43年5月11日
    EF58+ロザ3両+シ+ロネ2両+ロザ3両です。
    この列車に乗ってみたいと思いましたが、実現できませんでした。

  2. マシ493です。高砂工場に入場するところと思います。
    昭和40年11月4日、京都駅

  3. 藤本さんと井原さん、それぞれの個性が出た写真ですね。
    井原さんの跨線橋写真は煙が漂ってきそうな気がします。
    藤本さんのマシ292の車内写真はヨダレがでます!

  4. マシ493で来るならこっちはコレや!
    スシ482001 大宮工場で
    昭和40年代までは東北・北海道は涼しいので、という理由でか、非冷房ばかりが投入されていました。スシはほとんどが非冷房でしたが、この頃から廃車が始まり、大宮工場の奥には解体待ちの旧型が列を作って並んでいました。

  5. マシ38は最初に冷房をつけた食堂車ではなかったかと思います。
    「安芸」に繋がれていたのを何度も見ましたが、広島客車区(中ヒロ)では奥の方に押し込められていて、こんなショットになりました。
    マシ384

  6. 昭和40年3月31日の配置表によると、向日町運転所にマシ29が2、107、109の3両が配置されています。翌年の41年3月31日の配置表では107が消えて、110と201が記載されています。107は、41年3月27日付で廃車になり、代わりに宮原から110と201が転入しています。
    2、107、109の写真は米手さん、井原さんが投稿されており、110、201も客車に詳しいご両人ですので撮影はされておられるとは思いますが、昭和41年7月31日のマシ29110を投稿します。

  7. 昭和41年11月21日のマシ29201です。
    マシ292は、昭和43年8月29日付、マシ29109は、マシ29110と共に同年11月5日付、マシ29201は、同年12月20日付で廃車になっています。

  8. 藤本さんの撮ったマシ49を探したら有りました。
    「さつま」の編成にあったマシ492です。名ナコの所属でした。

  9. 北海道へ行ったのは、マシ35を撮るためでしたが、もう一つ目的がありました。当時でも唯一型式?であったハザ・食堂合造車のスハシ38です。「石狩」に使われていたのを撮るために札幌へ向かいました。札幌客車区は駅裏の狭い場所にあり、一度は失敗に終わりました。
    スハシには一度だけ乗ったことがあります。札幌から乗ったのですが乗り心地を確かめるために出費を覚悟して食堂車へと向かったのですが運悪く、国士舘だか拓大だかの柔道部が占拠していて席がなく、あこがれの「ホタテ定食?」すら食べられず、ハザで立ったまま乗り心地を味わいました。三軸ボギーの乗り心地はすばらしいもので、優等列車に使われる意味が分かった気がしました。
    写真はスハシ386札サツです。

    • 米手作市様
      また、私です。横入りごめんなさい。1966(昭和41)年9月10日札幌留置中の同じスハシ386です。7/9~9/5間急行「石狩」に使われました。ところで飛行機で同じような経験をしたことがあります。アエロフロートTu134という小さなジェット機でモスクワからプラハに向った時に日本人の柔道選手と思われる団体さんに遭遇しました。窮屈な気分でしたが食事はできました。逗子にお住いのDRFCの友人が一緒だったと思います。もう一つ、ハワイの帰りに小錦を見ました。隣席ではなかったですがB747のエコノミー席を二人分占有していました。トイレに入れたかどうかまでは見ておりません。

      • 準特急さん
        横入り大歓迎です。
        撮影場所や時期は同じようですが、背後の跨線橋は少しちがいますね。窓のガラスが入っていないこと、X型の補強が入っていないことです。
        私は1965年8月撮影です。

  10. 米手さんが撮影された急行「「さつま」のマシ492は、私も昭和40年3月14日に撮影していました。号車番号が「増」になっていますので、当時の時刻表の編成表を確認すると、先頭1号車は座席指定のスハフ42、2両目が「増」マシ49、3両目の2号車と4両目の3号車が2等寝台、1号車と増号車は、名古屋~門司間となっていました。
    当時、京都駅で見ることができた3軸ボギーの食堂車は「玄海」(京都~長崎間)、「さつま」、「安芸」だけで、九州~東京間の急行はオシ17が使用されていたと思います。

  11. 米手作市様
    米手作市さんが愛した食堂車かどうかよくわかりませんが軽量客車のオシ1713東シナです。1966(昭和41)年11月2日品川客車区での撮影です。1956(昭和31)年より国鉄工場で戦前製造の3軸ボギー車の台枠を利用して軽量構造の車体に改造したというが実際にどの部分をどのように利用したのか、それがどれだけ経済的であったのかよくわからない。木造車の窓配置などが残るオハ60は何となく台枠でも利用した感じがするが、オシ17は新製車に近いと思われる。米手作市さんどうなんでしょうか。

  12. オシ17のTR53台車です。近畿車両のシュリーレン式で珍しいものでした。1両だけ空気バネ(オシ1710)があったそうです。

  13. 準特急さん、
    この時代の客車は台枠だけを利用した、ほぼ新車の改造車が多くありました。言われるように実際はどれほど新造より安かったのか分かりません。他に理由が有ったのかも知れませんが、その辺は井原さんが詳しいと思います。
    また、軽量客車と言いながらクーラーを載せては重くなり、台車を格落ちさせて自重を落としたりして型式が複雑化してきました。
    それだけ当時の客車はおもしろいのです。

  14. もう一つ、心残りな食堂車があります。
    「サロンカー」と呼ばれたオシ16です。6両しか作られず東海道線の夜行列車の夜食用で、早寝早起きをモットーとするよい子の私は写真はおろか見る事すらできませんでした。やっと会えたのは東海道線から東北へと落ち延びる頃でした。例によって片隅に追いやられていていい写角では撮れなかったのが残念です。どなたかきれいな姿を見せてください。

  15. 米手作市様
    きれいではありませんが、同じく1966(昭和41)年11月2日品川客車区で撮影のオシ163東シナです。スハ43のTR47台車をはいています。

  16. こればかりは逆立ちしても10歳上の方々には、追い付けないので、大学入試の昭和54年に撮影した、交通科学館の食堂車の車軸式冷房装置KM型の写真です。公開部分の反対側だったので、車両の下に潜り込んで写しています。

    「きたぐに」の火災で急行用の食堂車が一気に全廃になった時はまだ中学校1年で、鉄道雑誌は読んでいましたが、本当に残念だった憶いが在ります。

  17. 準特急さん、藤本さん、K.H生さん、
    きれいな写真をありがとうございます。
    今考えると客車マニアを自任している割に「軽量客車」に分類される車両にはさほど興味がなかったように思えます。マシ35などはきれいな写真を撮り直すために(結果的には失敗したが)二度も渡道しました。でもオシ16を取り直すために品川や尾久へは再訪しなかったのです。そういえばオハ50系など一枚もありません。自分の中では、客車とは「手動扉」「窓が開く」「線路が見える便所」なのでしょう。
    「きたぐに」の火災事故で石炭レンジが使われていたことを知り、驚きました。その点を改良すれば急行列車の食堂車も長生きできたのに、と思います。

  18. 却下!!
    これは客車のスシとは認められん。
    スシを名乗れるのはこれや!
    スシ482012 急行「十和田」浅虫にて

    • 客車にヘーンシンする前では駄目ですか。でもこのスシ48は冬は良くても、冷房がありませんから、真夏に乗るとエライ目にあったのではありませんか。それにしても3軸ボギーは最高です。

      • だからいいのです。
        日本人は四季の変化を身体で楽しんだものです。
        夏は暑く、冬は寒い。何の不思議があるものか!
        と言いくるめられて東北で使われました。

  19. 米手作市様
    向日町でマシ292を撮っていた筈ですが、マシ29110しか見つかりません。昭和46年6月2日の撮影です。あの頃は向日町で降りて、大鉄車両の横を抜けて勝手に向日町運転所(区)に入り、左右指差し確認しながら構内をどんどん進み、神足側の留置線からターンテーブルの横を抜けて、神足駅まで通り抜けていましたが、途中注意を受けた覚えがありません。50年前は大らかな時代でしたね。

  20. 皆様の素晴らしい写真を拝見しながら、ため息をついています!
    食堂車は別格ですよね~

    客車の食堂車で食事をしたのは、トワイライトエクスプレスぐらいです。せめて、一応「在来型客車」の、これで食事したかった・・・
    スハシ441(1988年5月 倶知安)

  21. 廣瀬様
    これはなんだ!スハシ44?窓はスハ43みたいだが・・・・?
    あわてて調べましたら、イベント列車用の簡易型食堂車にスハフ442を改造して使用しているようですね。シと有りますが食堂スペースはなく売店のようです。外形はスハフ44ですから今有れば乗ってみたいです。
    戦後まもなく、この様な作りの簡易ハシがあったのを思い出したので資料を探しましたが見つからないので記憶だけで話すと、進駐軍が食堂車を要求したが座席車への改造や戦災で焼失したりで、やむを得ずオハ35を利用して座席を一部外して食道部を作りオハシという車種が誕生したと思います。これも外見はオハ35です。ちがっていたら、井原さん、カンベンを。

    • 脱線話題で申し訳無いです。
      同類に、オハシ47も居ります。しかし、この2両は貴重な「現役」在来型客車なのです、まだ乗車・喫食の可能性は消えていないので、早くコロナが収束して乗りに行きたいです。軽食、喫茶メニューを提供していたことも有ったように思います。C62ニセコの時だけだったかもしれませんが。

  22. 米手作市様
    毎回恐々参考写真を投稿しています。スシ24は私は食堂客車と思っていますが、米手作市さんは冒頭「私の愛した食堂車」と題を付けられています。ですから、スシ24は米手さんの愛する食堂車の対象ではないと解釈しています。米手さんは3軸ボギー、二重屋根、リベット付きなどの戦前製の客車がお好きで、さらに客車は扉が手で開けられ、窓は開放で、トイレは垂れ流しと言われました。多分、戦後製のスハ43系までが客車で、12系、14系、50系などは(対象とする)客車でないと言われたことを覚えています。ただ、10系はどうなのか前から疑問に思っていましたが、今回米手さんから「スシ16のまともなの誰か撮っとらんのか」と言われ、投稿した次第です。多分、否定されそうですが、ブルトレ20系のトイレは米手さんのお好きな和式であったので20系の食堂車ナシ20を出してみました。1966(昭和41)年10月21日向日町で撮影したナシ204大ムコです。失礼しました。

  23. 準特急さん
    ナシ20、いいじゃないですか!10系、20系までは我らの仲間です。
    私も撮っていますよ、ナシ201。

  24. ナシ20は車内も撮っていました。ナシ20はメーカー(日車と川崎?近車?)によって車内のしつらえがちがっています。これはどちらか忘れました。

    • ボケたフリをするのもたいがいにしてください。日車と日立です。どうせ上のナシ20 1に忍び込んで撮ったものでしょう。掃除のために腰掛を浮かせていますので、日車製初期の背の特徴もよくわかります。

      • 言われてみたらそうやった。
        汽車会社か新潟鐵工かと思ってたので。
        それにしても忍び込んだとは失礼な!声をかけた上で、誰もいないので撮りました。

  25. 42件目のコメントです。
    昭和48年5月13日、伊豆稲取駅、サシ191です。戦後では初となる私鉄の食堂車で、昭和38年に東急車両で新製されました。
    国鉄が伊東線内での食堂の営業を認めなかったため、昭和44年に早くも休車になり伊豆稲取駅に長期間留置され、昭和49年になってサハ191に改造されました。

  26. 電車でいいなら恥ずかしながらこんなのがあります。
    でも、電車には興味がないため(河さんに叱られる!)列車を撮ったら切れて写りました。特急「こだま」のモハシ150-5。この前の車両も食堂車に見えますが、分かりません。河さん、教えてください!

      • 米手作市様
        折角、「こんな私メ」に対して「河さん、教えてください!」とまで言っていただいていたのに、結果としてそれをスルーしてしまっていた事を深くお詫び致します。
        遅まきながらの大遅刻で、コメントを投稿します。

        貴殿撮影のモハシ150-5はご存知「電車の半室食堂車」で知られてますが、じつは「食堂車」では無く、登場時の触れ込みでは「ビュッフェ」と言われ便宜上「シ」表記となりました。
        従ってテーブル(食卓)も椅子(座席)も無い立席カウンター方式でした。
        この車両が生まれた経緯については今更言うまでもありませんが、鳴り物入りで現れた電車特急「こだま」の「目玉」だった事は事実です。
        思うに、昼行で東京と大阪の間を日帰り出来る条件が必然的に8両と言う短編成の昼行特急を生み、最大化したい乗客定員数との押し合いで半室の簡易食堂(スナック)の発想に繫がり、短編成に合致した半室食堂車を生んだものと思われます。
        なお、この「こだま」は当初20系として登場し、後に電車の形式番号の改正が有って3桁番号の151系と変更されました。
        又、ついでながら申し添えると、それに伴い空いた20系の番号は、阪和線継承車両の雑形4桁番号からの格上げ改称に流用されました。

        • 河 昭一郎さん、待っていました!
          俄然、電車食堂車についても興味がわいてきました。
          ビュッフェとは立ち席食堂車なら昔の進駐軍のオハシにもあったような気がしますね?酒保車の車内も同じなのかも知れません。
          ちょっと整理してみます。

    • 米手作市様
      「電車でいいなら恥ずかしながら」と言われますが、もともと米手さんが「私の愛した食堂車」というテーマをお決めになって始まったものです。ここまで大変盛況でしたので、米手さんが電車も含めるかどうか他の皆さんにご意見を伺ったものと思いますが、その必要はないようですね。愛しているなら電車や気動車の食堂車も含めてもいいと思います。さらに冒頭文をよく読みますと「皆さんがお撮りになった食堂車の写真を見せてください」とありますので、客車から多少派生して電車や気動車に話題が移ってもギャーギャーいうようなことでもありません。ただ、私は米手さんのことなので愛される食堂車は当然、客車の食堂車、それも戦前製か最もお好きなマシ35あるいはせいぜいオシ16か17くらいまでかなと思っておりました。鉄道全般であったようですね。失礼しました。

      • 準特急さん
        私の中での食堂車は、やっぱり客車でしょう。
        でも電車の食堂車も、気動車の食堂車も食堂車だと思い至りましたが、写真は撮っていません。ちょうど「おせち料理が好きだ」と言っても棒鱈は食べないみたいな。お雑煮は好きだが白味噌はダメ、みたいな。とんかつは好きだがデミグラスソースはイヤ、みたいなものでしょう。

  27. 私もよせてください。
    “京都と言えばマシ29”、同感です。「玄海」の到着だけを撮りに何度も京都駅へ行きました。西村さんも書いておられる、向日町の初潜入、私は高校2年の時でした。踏切の脇から、いくらでも勝手に入れました。その時、マシ292が妻面を見せて、絶好の位置に止まっていました。小窓が一箇所開いていたのが気になります。ただ、私は車内に潜入して窓を閉めるまでの度胸はありませんでした。

    • さすが特派員さん、と言うような写真ですね。半逆向を利用したこの様な柔らかい型式写真にあこがれます。
      ありがとうございます。ところで「こだま」の食堂車はお持ちではありませんか?

  28. 河 昭一郎さん、
    教えて下さい!②
    モハシ150がビュッフェ車ならその前(大阪寄り)に連結されていた車両は食堂車では?座席数が少ないのでハシにしたのに別に食堂車を繋ぐのですか?

    153系にもビュッフェがあった様に思いますが?

    気動車特急にもキシ(キハシ)がありましたか?

    • 米手作市様
      昔の進駐軍のオハナシ、言われてみればソッチの方が先でしたネ。
      彼らは多分、アメリカ風を持ち込んだんだと思われますが、「こだま」の設計段階では参考にしたと言えるのかも知れません。

      続く貴殿からの「問題提起」で、モハシの前にもサシ?って話に整合性が無いとの宿題です。
      乗車座席数とのせめぎ合いでハシに押し込めた筈が、何で❓もう1両全室のシを繋いでるの?「シ」が多いやん! 確かに。

      この点(電車特急のみならず電車急行も)については、当初の8連「こだま」
      以降、年代が下るに従って電車化区間が増え「シ」の活躍の場が広大化した事が原因していると考えられます。
      山陽本線等へのロングランにより運行時間が長時間化し、運行時間帯の多様化なども加わって、それまでの客車による「列車食堂」と同立場へと進化したのが原因とも考えられます。(その過程でシとハシが重複した列車も有ったと考えられます。)
      これは、特急電車のみならず153系等の急行電車クラスやキシ、キハシの存在した気動車列車にも言える事でしょう。
      なお、これらの電車食堂車や気動車の食堂車については以上の記述のみでは足りず、時代に沿ってその所属区異動、時刻改正の列車動向、食堂車の新車増備状況など広汎に検証する必要があるもの思います。(検証が膨大で、頭が痛い? 笑)

      • 河 昭一郎さん、
        そんなに悩まないで下さい!
        ほんの思いつきから始めた投稿です。
        思えば「食堂車」と言ってもオシ16なども入りますし、「なにわ」などに入っていた“すしや”も食堂車ですね。こうなるとメニューも気になり出しました。でも、向かいに停車中の列車食堂からもれくるステキな香りに外国の旅を夢想した昭和の時代を懐かしく思い出します。

      • 昭和36年3月1日からの「なにわ」と「せっつ」の「ビュフェと江戸前すし ごあんない」をご覧に入れます。小さくて見づらい点はご容赦ください。新大阪ホテルのもので、4号車と書いてありますから、7号車は日本食堂かどこか別の業者だったのでしょうか。
        たこ・とり貝・いか・こはだ・あなごが15円です。今の回転寿司と比較してどうでしょう。

        • 15円はともかく、いか・たことトリガイが同じ値段とはおかしい!
          ホタテ定食はいくらや?

  29. 私も、まぜてください!
    「客車専門」を自称していた頃なのに、こんなのを撮っていました。
    篠ノ井線の西条駅でサハシ165の廃車回送中の疎開風景に遭遇しました。「回送車票」もしっかり押さえていた自分を褒めたいところです。貨車に挟まれて、1,2,54番が留置されていました。
    1982年撮影

    • 広瀬様
      サハシ165-1、良く撮れてますネ。
      形式写真としては、この「光」状態が理想でした(と、私は思っております)が、いつもナカナカ上手く行かず悔しい思いをしたものです。

      かく言う小生、電車屋(国鉄専攻)を標榜していたのですが、いわゆる二桁番号の「国電」から進化して三桁の中長距離「通勤電車」が生まれ、それは更に「電車列車」への進化に繋がり、そのスピードが急速すぎて追い付いて行けませんでした。

      そんな中で165系辺りが限界?でしたので、殊更この写真に見入っております。

      • 廣瀬さん、河さん
        質問です。(電車オンチというより無知です)
        サハシ165というのは客席より食堂部が極端に小さいように見えますからスナック(立ち席)でしょうか?

        • 米手作市様
          お主、さすがに鋭い!
          小生も、やけに食堂が狭いなあと感じたものの、そこはそれ、進化のスピードに付いて行けてない証拠。
          これ、実は広瀬さんの写真脚注のミスで、本当はサハ164-1と言う売店付き車両でした。
          で、貴殿が食堂部分が極端に小さいと指摘した部分は「売店」でした!

          • あ!
            やらかしました。
            スミマセン。
            隣のコマの方が綺麗に写っていたので、つい手が滑りました。
            こんなサハが有ったとは、今の今まで気付いていませんでした。

            改めて・・・
            サハシ165-54

          • あ~
            おなかが減っていてキャプション打ち間違いました。
            添付したのは、サハシ165-2の写真です。
            重ね重ね、掲示板を汚して申し訳ありません。

    • 罪滅ぼしに(なるのかな~)
      当日の留置編成のメモを探してきました

      1982/5/2 西条
      ワム87616
      サハ164-1
      サハシ165-2
      サハシ165-54
      ワラ12120

  30. 電車の食堂車 サハシ153-15

    1973(昭和48)年8月 山陽本線柳井駅留置中です。
    まだ急行「山陽」らが岡山ー下関間を走っていましたが、一足先に編成から外されていました。そのため座席車部分は冷改されていません。

    休車の翌年に職用車クヤ165−1に改造され、2000年代までその姿を見ることができました。

    • たしかキシ80には丸窓があったのが印象的でした。
      あれの有る場所はどこなのでしょう?調理場?トイレ?

  31. 乙訓の老人の甥さん、廣瀬さん
    トイレでしたか!それも厨房の。と、言われてまた疑問が。
    ではこれまでの食堂車では厨房にトイレがあったのか、なかったのか。たぶん客用と共用だったのでしょうね。新幹線の食堂車はどうだったのでしょうか?

  32. 昭和47年12月24日、京都駅、特急「あさしお」に連結されていたキシ80902です。
    昭和35年、特急「はつかり」用のキサシ803として新製され、昭和43年に走行用のエンジンを搭載してキシ80902になりました。

  33. 米手作市先輩
    気動車形式図1982で確認したところ、キシ80の便所は男性小便器。キサシ181の便所は洋式便所のようです。ともに従業員専用です。
    新幹線車両形式図1975で確認したところ、全室食堂車の36形式には便所なし。ビッフェ合造車の35形式は、普通室部分に和式便所が2つあります。
    客車形式図1959で確認したところ、当時在籍していたナシ20・マシ35・スシ28・マシ29・マシ38・スシ48・マシ49・オシ17には便所がありませんが、オハシ30・スハシ29・スハシ38には、3等室部分に和式便所があります。また、客車形式図1966ではオシ16が掲載されていますが、便所はありません。

    • デカンショまつり号さん、
      ご丁寧な検証をいただきありがとうございます。
      食堂車に客用トイレがないのは納得できます。やっぱり同室内にトイレがあるのは食堂車には不衛生に見えるからでしょう。次号車にあれば実用上も問題ありません。
      だが、従業員用のトイレがないのは今なら問題でしょう。従業員が乗客と共同で使うのはどうもイメージがよくありません。だから厨房内に作ったのでしょう。キシ以降の新しい発想で作った食堂車にトイレがあるのか、気になります。新幹線など。

      • 電車形式図1960掲載のモハシ150には、従業員用はなく、3等部分に和式便所。
        電車形式図(追録)1966掲載のサシ181には、従業員専用小便所。サハシ153・165は、便所なし。交直用サハシはわかりませんが同様と思われます。
        電車形式図1984掲載のサシ481・489には、従業員専用小便所。サシ581には、従業員用便所があります。
        サシ181・481・489には、男性用しかありませんので、ウェイトレスは乗客と共用。サシ581でやっと専用の便所が付きました。
        新幹線は、100系以降車両形式図が発行されていませんので、不明です。

        • デカンショまつり号さん、
          再度ご確認ありがとうございます。
          151系から後の新型食堂車には従業員用のトイレが新設されているようです。
          しかし、581の誕生まで待たねばならないとは女性従業員には配慮がされていません。いまなら大騒ぎでしょう。こんな事でも改めて突き詰めるとすばらしい資料になりますね。
          あらためてお礼を申し上げます。

  34. やっと見つけました~
    客車ファンにとって痛恨の事故と言えば「北陸トンネル火災」ですよね。写真は、証拠物件として機関区の片隅に放置されている頃のものです。せめて、床下とかを撮っておけば良かったのですが、職員さんに引率されている時だったし、障害物も多く簡単に近寄れなかったのは痛恨です。証拠物件だけに、何もいじっていないはずなので、後から考えたら惜しいことをしたと後悔しています。

    オシ172018大ミハ 金沢機関区 1980/03/21

    • 廣瀬さん
      貴重な写真をありがとうございます。当時の新聞で「石炭レンジから出火」とあり、京都の『おくどさん』を連想して驚いた事を思い出しました。
      ところで奥に連結されているのはキでしょうか?

      • はい、キ550です。
        当時どこにでも居たので、ここではちゃんと撮っていませんでした。オシ17がどのような場所に押し込んで有ったか分かる写真なので、このスレッドでも、ギリセーフでしょうか?

        キ577とDD13254 金沢機関区 2080/03/21

  35. 米手作市様、会員の皆様
    10月16日のコメント投稿で添付した「モハシ150」の写真に、脚注の記入を忘れたままになっています。
    これは1958(昭和33)年の、高校1年の夏休みに神戸の川崎車両を見学した時のもので、国鉄への納入を前に整備を終えたところです。
    車番はこの時点ではモハシ21002でしたが、3桁化を前に番号表記に「仕掛け」が施してありました。
    今回追加でこのコメントに添付した写真は、上記の写真より後の、国鉄納入後の試運転から吹田工場に帰着直後のモハシ21001ですが、その種明かしの判る写真です。さて、答は?

    • 河さん、これも貴重な写真ですね。
      ご質問の趣旨からすると「三桁への変更が簡単にできるように仕掛けがしてある」と言うことでしょうか?
      それなら、板の上に切り抜いた番号を貼り付けて、その板を車体に添付してある、というのはいかがでしょうか?

  36. 米手作市様
    「さて、答は?」な~んて、チャンチャラおかしい愚問だった!と、自分自身が猛省。(これって、いわゆる「一人相撲」?)
    さて、さてダンダン「食堂車」から道を反れて行くようで心苦しいんですが、「種明かし」に用意していた追加写真も見て下さい。
    工場でこれを見た時、3桁化の情報も無く、最初は「剝がしたら何か出て来んのかなあ」と高校生は首を傾げ、触るのもマズイしと、取り敢えずシャッターを切ったものです。
    で、その後その疑問の追求を忘れたままコンニチまで。
    貴殿の「一瞥で図星」に、アチャー!「高校生の時の自分とは違うし」などと負け惜しみを言ってる自分がおります。(笑)

    • よかった!
      ちょっとヒヤヒヤでした。よく見るとシールを貼ったように見えたので、当てずっぽうで書きました。
      なんでも撮っておくものですね。

  37. 大変遅くなった上に・・・
    見学時にキシ80の車内を撮ったはず、と探しました。
    でも、食堂内だけでした~

    キシ80番号不詳 和歌山機関区 1976年

  38. 廣瀬さん、ありがとうございます。
    と、言うのは私もキシ80を撮っていたのですが時機を逸した感があり躊躇していました。渡りに船と出させていただきます。
    これは昭和38年10月から全国一斉80系特急が走り出す直前に梅小路に入ったキハ80系を撮った時の一枚です。ピカピカの「まつかぜ」です。キシ8013

    • 米手作市様
      全国各地にキハ80系特急が走り始めたのは昭和38年ではなく昭和36年10月1日からではなかったでしょうか。私はその初日に宝塚で「まつかぜ」を撮っています。私の頭の中には「まつかぜ」他全国展開の特急はピカピカのキハ82系でした。キハ81系が「はつかり」用で昭和35年製のボンネット型に対し、キハ82系は昭和36年製の貫通型美形車両として記憶に残っております。81、82系あわせて80系と称したのはあまり知りませんでした。

      • 準特急さん
        会員からご指摘を受けて密かに訂正しようと開いてみると、バレてたか!
        その通りです。撮影は36年8月か9月でした。
        許して下さい。

    • キシ8013は、向日町新製配置から程なく函館に移動していますので、ピカピカの大ムコのキシ8013はたいへん貴重です。

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