引っ越しをすると訳の分からんモノが突然現れます。
これもその一つです。
もらった覚えも買ったおぼえもなく、もちろん機関車からもぎ取ってきたおぼえもありません。そもそも何をするメーターかも分かりません。
そこでしばらく暇をもてあましているだろう探偵諸氏にお伺い致します。
これは一体なんのメーターでしょうか?何に使われていたのでしょうか?
投稿者「米手作市」のアーカイブ
スクラップブック 事件・事故編・第17回
永らくご無沙汰を致しました。
この度、復活致しました。
その間、会員の皆様より「生きてるのか?」「死んだのなら連絡しろ!」などと暖かい励ましのメールを頂き、会員であった喜びを再確認しつつむせび泣いておりました。この度諸般の用事を片付けて投稿を再開することになりました。と、言っても新しいものは何もなく、古い話題での再出発です。取りあえず準備していたスクラップブック事件・事故シリーズの最終回をご覧下さい。
〈本編の編集中に、涌田浩氏の訃報に接しました。
彼は物静かでありながら知識は豊富で、なおかつ会員としての行動力もあり、よく行事で行動を共にしておりました。最後にお目にかかったのは伊賀電鉄へ行った時です。
この歳になると世の無常をひしひしと感じます。
心よりご冥福をお祈りすると共にご家族に哀悼の意を表します。〉
帰ってきた米手作市
デジ青読者の皆様、
永らくのご無沙汰です。
巷には「米手は死んだらしいで!」との噂が出回っていたとか。
どっこい生きております。
実は昨年の後半頃から家内の体調が悪くなり、手術を繰り返しておりました。幸い生死にかかわるような事ではなかったのですが、やはり痛がったりしていると出歩くのは気が引けてしまいます。
さらに我が家が娘夫婦による乗っ取りに合い、彼女のマンションと交換することになりました。そしてその引っ越しの直前にまたまた家内の手に菌が入り、さながら豚足のように晴れてしまったのです。古い会員の方はご存じですが家内は免疫抑制剤を使い続けないといけないため菌に感染しやすいのです。結果引っ越しは私一人で荷造りから開封、設置まで一人でするハメになり、更には炊事洗濯までこなすスーパー爺さんになりました。
やっと家内の手も収縮しはじめて久しぶりにデジ青の画面に向かっている次第です。
宮崎繁幹さん、河 昭一郎さんはじめご心配いただいた会員の皆様、お礼とお詫びを申し上げます。
再開してもなにも資料が準備されていませんので、しばらくはコメント欄で構内試運転をする程度になりますがよろしくお付き合いをお願い致します。
最後にあたらしい我が家からの絶景をご覧に入れてご挨拶と致します。
※東寺の五重塔を背景に特急サンダーバードを追い抜く新幹線N700S。屋根はJR貨物・梅小路駅。毎日青い機関車が牽く22両のブルートレインや緑色の「青大将」更にはブドウ色の列車が行き交います。
ジョイントの音を聞きながら、お休みなさい。
保護中: “宿替え”のため惜譲す・・・TMS他
スクラップブック 事件・事故編・第16回
スクラップブック 事件・事故編・第15回
永らくお休みしていましたが「スクラップブック」を再開します。家庭の事情でなかなか集中してスキャンなどの作業が出来ません。ボチボチと進めます。
当時では大きい事故とは言えないかもしれませんが、いまなら大事故でしょう。
昭和38年(1963年)ですが、まだまだ信号無視や居眠り運転が横行していました。
スクラップブック 事件・事故編・第14回
スクラップブック 事件・事故編・第13回
国鉄だけではありません。
我らが京福鞍馬線でも大事故が発生しました。
この事故は、この後続いた福井での事故と合わせて京福電鉄にとって取り返しのつかない大事件の序章となりました。
スクラップブック 事件・事故編・第12回
スクラップブック 事件・事故編・第11回
鶴見事故の続きです。
この事故をリアルタイムに見た世代はまだまだ多く居られるのではないでしょうか。
その時の感想など、書いては頂けませんか?
特に関東に居られた方々は大ショックだったのでは、と拝察します。
それにしても石田総裁は大変な役回りでした。
新幹線開通、三河島事故、そしてこの鶴見事故と、一番苦労された国鉄総裁だったのでは。
スクラップブック 事件・事故編・第10回
スクラップブック 事件・事故編・第9回
スクラップブック 事件・事故編・第8回
昭和38年(1963年)は鉄道史上希有な年となりました。
三河島事故の記憶も真新しいのに大きな事故が続きました。
多難な昭和38年の幕開きです。
因みに私はこの年高校三年生です。
この年最初に起こった大事件は、世に言う「38豪雪」です。
沖中さんも勤務地の北陸で閉じ込められたと言っていました。
スクラップブック 事件・事故編・第7回
スクラップブック 事件・事故編・第6回
1週間ほど旅行をしていて投稿・チェックが出来なかった。
さて今回は私の人生最大のショックを受けた大事故の記事を紹介する。
三河島事故、若い会員でもこの事故はご存じだろう。
昭和37年5月3日21時37分、国鉄常磐線三河島駅構内で田端発水戸行下り貨物287レ(D51364)が出発信号を見落とし安全側線に入り、停まりきれずに脱線して機関車と次位のタキ50044が下り本線上に飛び出した。これに三河島駅を4分延で出発した上野発取手行き2117Hレがタキに衝突、先頭車クモハ60005と次位のクハ79396が脱線して上り本線上に飛び出した。さらに7分後、上野行き上り2000Hレが進入し、線路上を歩いて避難中の乗客をはねたうえ、上り本線上の2117Hレ先頭車と衝突した。これによりクモハ60005とクハ79396は粉砕され、上りの2000Hレも先頭車クハニ67007が原形を留めないほど粉砕され、二両目のモハ72549と三両目のサハ17301は築堤下まで転落、四両目も脱線した。
死者160名、負傷者296名
スクラップブック 事件・事故編・第5回
スクラップブック 事件・事故編・第4回
事件や事故も続くと飽きてくるらしい。
反応もイマイチだが、読んでは頂いているようで気を取り直している。
今回は1961年のダイヤ改正から年末へと進める。
この年は「36.10」で新DC特急が走り出す年である。しかし・・・
スクラップブック 事件・事故編・第3回
スクラップブック 事件・事故編・第2回
スクラップブック 事件・事故編・第1回
初めにお断りしておくが、子供の頃のスクラップなので日付を記入していないものがある。そのためいつの記事か分からないものには『●年●月・・』と記入しているのでお分かりの方はコメントでお教えいただきたい。また、事件事故に関係する方、目撃者、解説できる方のコメントをお待ちしている。
では、最初は昭和35年、1960年から始めよう。
この頃からオリンピックへの建設工事が活発になってきたのに伴い、全国でダンプカーやトラックとの踏切事故が多発しだした事を念頭に置いて見てほしい。