引っ越しとはこんなに煩わしいモノかと、この歳になってつくづく思い知らされました。
家内のケガや病気が重なったこともあって共用スペースの整理を優先したため、私の部屋は未だに段ボールの山。
皆さんの投稿を見るにつけても心ははやりますが、どの箱に何が入っているのかが判らず、本棚が20日頃まで来ないこともあって休止状態です。
そんな中、準特急さんからは「早く書け!サッサと書かないと縁を切る」と言われて焦りまくりです。道理の通じる方ではないので何とか材料を作ったのがこれです。
若い会員はあまり使ったことはないでしょうが我々が現役時代はこれが命、これなしでは長期の旅行など出来ない時代でした。一泊二食付き800円はありがたい限りでした。
ユースホステルの会員証が出てきました。
皆様方の泊まったことがあるホステルはありますか?
米手作市様 米手様の宿泊実績には及びませんが、私も会員証を大切に保管していまして、数えてみますと37泊でした。ユースがなければ成り立たない長旅でした。米手様と共通のYHはニセコ、広島、ルベシベ、北湯沢の4ヶ所でした。公営のYHはそれなりに一定の設備や食事レベルでしたが、民営のYHの中には、化け物が出て来そうな荒れ寺があったり、すき焼きで歓待してくれたYHがあったりと、それぞれに思い出があります。冬の北海道のYHは寒くて寝られなかったり、風呂もなく朝は雪で顔を洗ったこともありました。また三条京阪にあったYH協会の事務所に更新手続きによく行ったものでした。悔やまれるのは、全国のYHが掲載された手の平サイズのガイドブックを捨ててしまっていて手元にないことです。総本家特派員殿は3桁の宿泊数ではないですか?
西村さん
仰るように民営のユースはムラがありましたね。
新見のユースでは仏間に寝かされたり、飯田線のユースではヘビを喰わされたり、思い出はいろいろありました。現役生達はどんな施設に泊まって旅行しているのか知りたいです。
西村様
はい、よく覚えていただきました。私は115泊でした。ユースの思い出は限りありません。
https://drfc-ob.com/wp/archives/11372
寄りによって米手さんまでが、新聞切り抜きに続いてユースとは! 老人は昔話をするのに限ります!
その老人の一人が加わります。またかと思わず老人の戯言と思召してご笑覧下さい。米手さまと同じユースはNiseko、ルベシベ、Noboribetsしかありません。小生のユース歴は殆どが北海道ですので、ご一緒した西村さまとは殆どが被っているはずです。Noboribetsはもし同じYHでしたら駅前の向かいにあったと記憶しますが、夜中じゅう重量貨物がひっきりなしに通るため大きな振動に見舞われ、熟睡できませんでした。公営、民間それぞれに特徴がありましたね。公営は設備や食事は良かったですが、夕食後のミーティングが鬱陶しかったですね。本来は参加すべきものとの認識はありましたが、一日撮りに歩くか移動の連続で疲れていたこともあり、早々に就寝したいという気持ちでした。ペアレントがわざわ部屋までタタキ起こしに来たこともありました。
それはそうと米手さまは全国を股にかけて放浪されていたようで、奥中山YHに3回も泊まられていますね。SL目的だと思いますが、さぞかし充分堪能されたことでしょう。
準特急さまを道理が通じない方と仰いましたが、私は通じる方だと思います。通じた上で論旨をよく理解され、相手がぐうの音も出ないような理屈と、場合によっては詭弁を弄してヤリ込めることに長けておられました。私など何度悔し涙を流したものか。おっと戯言が愚痴になりました。
ミーティングは全てパスしていました。理由は1900生さんと同じですが、なんだか当時流行の歌声喫茶のような匂いがイヤでした。あるユースではその時間に部屋であの「盆栽弁当」を食べています。
奥中山は駅からユースまでが遠い!荒野の上り道を石ころに足を取られながら夕日に向かってひたすら歩くこと40分。ある時は見かねたのかジープで迎えに来てくれました。良い時代でした。
米手作市さま
「盆栽弁当」って何ですか?苔やサボテンを食べるのですか?私のような良家の子弟には理解できません。
2023年7月23日の「駅弁包装紙」で米手作市さんが「盆栽弁当」のエピソードを紹介されておられます。
乙訓の老人の甥さま
ありましたね。うっかりしていました。ご教示有難うございました。
ちょっとPCトラブルに見舞われたため、ご返事が遅くなりました。お詫び申し上げます。