12日に東日本に大量の雨を降らした台風19号は、長野車両センターにあった新幹線車両を水没させた。すぐ横の高架の本線上に疎開させておけばと思うのは、大阪市電の台風疎開を思い出したからです。
当時、大阪市電には今里車庫というのがあり、大雨が降るとすぐ水浸しになるという低地帯に設けられていました。台風が大阪来襲となると、交通局では市電が水没しないように車庫西方の上町台地の高台に市電を疎開させたものです。1961年9月、翌春の同志社大の入試を目指して浪人していた通信員は、台風が来るとの報道で、暴風雨をついて突撃取材したのが添付の画像です。
画面右側奥の建物は近鉄上本町駅ビルです。2201型がずらりと連なっているのは虎の子の新車で大事にされていたからでしょう。方向幕は今里車庫前となっています。吊掛駆動ながら新型台車に弾性車輪と間接制御の半鋼製車でした。大きな前面窓で戦後の大阪市電スタイルを知らしめた車両で、1954年に登場し全車が今里車庫に集中配置されていました。
東海道新幹線の鳥飼基地も淀川のすぐ横なのが気になります。大津の、無印不良品さんや86さんに琵琶湖の水をしっかり守ってもらわなあきません。