今日1000人超のコロナ感染者が検出された大阪府に、東京五輪の聖火がやってきました。更なる蔓延を恐れて、大阪府の聖火リレーは吹田市の万博公園内に走者と近親者のみを府内から集めてひっそり行われました。予行演習と見間違えるようなしょぼいものでした。昨日の松山選手のゴルフ快挙の余韻冷めやらぬ中では尚更です。
さて、今から56年余り前の1964(昭和39)年10月に、三波春夫の東京五輪音頭のもとにオリンピックが開催されました。開催に合わせて東京大阪間に新幹線が開通しましたが、九州など遠くからの観客のために臨時急行「聖火」が東京発10/7~10/25熊本発10/8~10/25に運行されました。品川客車区(東シナ)が仕立てた旧型客車編成で、2号車にはオロ60が一両連結され優等列車らしく装っていました。しかしすぐ隣にリベット車体のスハ32が連結された写真を見たことがあります。急遽集めたスハ32オハ35スハ43の混成で客車狂には楽しい列車でした。対面四人掛けで背もたれ垂直の座席で20数時間の夜行列車。本当に昔の人はエラかった。
東京9:18→大阪18:14→熊本8:27 熊本19:47→大阪9:37→東京17:46。不定期急行「桜島」のスジを使っていたそうです。
列車の画像は1964年10月24日に、三回生の授業に行く途中、神足駅西方で撮影した「聖火」3032レです。パールⅡヘキサーF3.5・1/250f8・コニパンSSと記録があります。票差しに入った愛称票はアルミ琺瑯製で裏は白地です。
鉄道ファンでございますと言いながら、急行「聖火」の存在は知りませんでした。お恥ずかしき次第です。ヤフーで検索するとトップに本記事がヒットし、他にも2、3の投稿が見られますが、実際に乗車した経験に基づくものは唯一のようです。撮影がパールⅡ型によるとあり、私も1台所有していたはずと探してみましたが、整理が悪くすぐに出てきません。私は中古品で5~6万円で購入したと記憶していますが、新品発売当時は現在の貨幣価値で90万円以上(しかもF4.5付きですから、F3.5付きはもう少し高価)したはずで、さすがに大阪の財閥は違うなと❗ところで最近若い女性の間でフィルムカメラが流行っているようで、フィルム時代末期の高級コンパクトカメラがひっぱりだこだそうです。しかし20年前の電子カメラは部品も払底し修理は不可能、故障すればおしまいです。どうせならこのパールのようなスプリングカメラとか、又は二眼レフを持つ方がより格好良いと思うのですが⁉️
野津さん、パールⅡ型カメラ見つかりましたか。パールといえばぷるぷるがさんパールⅢを持っておられました。名文句「ジャバラは正しい」といっておられました。野津さんが言われるように高級電子式フィルムコンパクトカメラは故障すればだめですね。私が持っていたオリンパスのカメラもだめになりました。アエラにアサヒカメラ時代から連載が続いている「向井康二が学ぶ白熱カメラレッスン」で3月22号ではフィルム写真を取り上げていました。ところでオリンパスのフィルムカメラはというと下取りに出してソニーのコンデジに変わりました。これは小さくて重宝しています。それによく写ります。オリンパスのカメラで最後に撮ったのはみんなで行った能勢の桜谷軽便鉄道の写真です。桜谷軽便鉄道は楽しかったなあ~
大阪通信員さま
貴重な写真を惜しげもなく公開していただき、ありがとうございます。東京オリンピックの臨時列車では、151系「こだま」を使った「オリナピア」が余りにも有名ですが、旧型客車を使った、こんな地味な臨時があったことは、初めて知りました。試しに、当時の時刻表、鉄道雑誌をひっくり返して見ましたが、聖火の「せ」の字もありませんでした。唯一、ネットで臨時列車を扱っているサイトに載っていて、大阪通信員さんが書かれた内容が載っていました。時刻表にも無いと言うことは、通信員さんは、どうして知り得たのでしょうか。また収集されたグッズの一端も見せていただきました。通信員さんの蒐集品としては、京阪の勾配標や、江若の運賃表がつとに有名です。その入手経路の武勇伝も伺っています。昨今の倫理規定に則ったうえで、差し支えない限りの公開も楽しみにしています。
大阪通信員さんは、駅の掲示または公済出版社の「大時刻表」または「現物」をご覧になったのではないでしょうか。
写真の臨時急行「聖火」3032レは、大阪9:37着・9:42発-京都10:15着・10:20発で、「桜島」とだいたい同じです。上下とも10月25日発まででしたから、ギリギリの撮影ですね。ありがたいものを見せていただきました。
「オリンピア」は、東京オリンピックの時は急行でありながらクロ151の入った12連の豪華な列車でしたが、札幌オリンピックの時は臨時特急で、上野-青森間が583系(オリンピア1号)、函館-札幌間がキハ82系(オリンピア2号)と、本州~北海道をリレーしてつなぎました。また、これは下りと上りで経由線区がそれぞれ違うという、なかなか凝った列車でした。
当時1964年10月の日本交通公社の時刻表を押入れから出してみますと、巻頭付近の臨時列車の部分に載っています。3031と3032の列車番号のみで聖火の愛称名は記載されていません。琺瑯の愛称板まで作製されていたのになぜでしょう。また上下列車とも岐阜と米原に停車しないのはどんな理由だろう。臨時列車時刻表には名古屋・天理市に準急「かすが」や名古屋・奈良に臨時準急「かすが」があり一等車(多分合造車のキロハ18)まで連結しています。