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同志社大学鉄道同好会 〜40年の軌跡〜

      創立期 昭和30年代 昭和40年代 昭和50年代 昭和60年代 DRFC休止へ        
 DRFC設立のあらまし

同志社大学における鉄道趣味者の集まりは、1956年以前に山本定祐氏が中心となって鉄道研究会として1〜2年継続したようであるが、山本氏卒業後は消滅してしまった。 現在の同志社大学鉄道同好会(DRFC)は、1957年入学した学生が中心となって設立されたと言っても過言ではない。その底流としては、3つあったと思われる。

1つは渡辺、宇佐美、鈴木らの工学部グループ。 2つ目は大田(1955年・文)、水野の松ヶ崎下宿生。 そして小川、沖中の経済学部グループであった。 渡辺、水野は名古屋出身、鈴木と小川はESSで同クラス、この2つの接点がうまく噛み合い、鉄道同好会創設のための話し合いが1958年4月に大田兄の下宿で何度かもたれた。
ゴールデンウイーク明け早々に創立集会がもたれる筈であったが、会場となる教室確保の手続きが遅れ、5月28日にA1(明徳館裏木造2階建)でC,H,時(水曜日2講時)に実現した。 沖中のメモによれば、参集した学生は25、6人、自己紹介の後、次の事項を決めて散会した、とある。
 
 1) 同志社大学鉄道同好会を設立する。(同好者の集まりである)
 2) 毎水曜日、C,H,時に例会を持つ。
 3) 幹事5名(大田、渡辺、水野、湯口、沖中)を選出して運営にあたる。
 
第1回目の例会は6月4日に予定されたが、会場であるべきA1は他団体が使用して居り流会となった。 幹事および参加者有志が明徳館前広場で話し合った結果、次の事柄がわかった。
 
 1) クラブ活動をするには、学友会へ届け出ることが必要。
 2) でないとC,H,時の空教室が確保できない。
 3) 部外団体連合に登録することが適当。
 4) 登録にあたり教職員が顧問であること。

1)〜3)項については重沢の調査に依る。 4)項については高橋が星名泰工学部教授が適任とし、折衝することになった。

6月9日大田兄の下宿で幹事会がもたれ、会長・大田、庶務・渡辺、会計・水野の三役体制。 京都鉄道趣味同好会、京都大学鉄道研究会と友好関係を持つための渉外役として沖中。 会費(1ヶ月50円)徴収などが決定した。

6月11日(土)C,H,時、第1回例会がT21で開催、幹事会の提案は賛成を得て、同好会活動は始まった。 7月2日、第4回例会では、星名教授を招き、南満州鉄道時代のお話を拝聴した。

後期になり、会誌発行の提案が重沢、高橋からあり、重沢が初代編集長となった。 と共に、EVE祭参加も決定。 重沢、湯口、渡辺、小川、田口が推進役となり、“第1回鉄道展”がT23で開催された。 こうしてDRFCは、1956、1957年度生が共に持ち味を発揮して軌道に乗せた。

文責:沖中忠順(’57年度生)
1988年同志社大学鉄道同好会発行 青信号57号 より転載

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