あ、阪急や!

コロナ、コロナで疲れ気味の昨今、とうとう関西行きを決行した。毎度の私鉄撮影で10月12日は夕刻阪神電車の福ー伝法間の淀川橋梁に向かった。ここは何回か行ったことがあるが、橋梁の工事を行うので撮影は今の内と聞いていたからである。工事はすでに始まっていて広角レンズで邪魔なものを避けて撮影した。10月半ばになると関西でも陽の落ちるのが早くなり、遅くまで無難に撮れるのはこのような場所に限られる。最近は車体に宣伝PRが盛んでカラフルな電車が行ったり来たりする。そのような中でそろそろ引き上げようかなと思っていた時マルーン色の電車がやってきて思わず阪急電車が来たと勘違いした。よく考えてみるとデボ1形復刻塗装の5802Fで前にも撮ったことがあるがこの時は一瞬驚いた。阪急や近鉄の2200系等の色は文字通り栗色や赤みがかった茶であったが、この5802F東花園行きはマルーンというよりも焦げ茶色の印象で昔の阪神の旧型車に近い感じがした。総本家さんの「夕景を求めてチョイ撮り」のようにはいかないが、よく20m車6連の横撮りができたものと思う。この時に携帯にマルーンさんから電話があり撮影を切り上げた。▼

ゾロ目ナンバー

「保存蒸機とその現役時代(43)」はⅮ51777であったがついでに京王の7777を掲載したところ、総本家青信号特派員さんから京阪の5555もそろそろ引退しそうだとのコメントがあった。探したらつまらない写真が1枚出てきたのでⅮ511111と併せて掲載する。皆さんも3桁でも結構なのでこんなんあるでと載せてくださると有難い。私鉄4桁では阪急7777、3333、阪神1111、小田急1111、京急1111、東急8888、5555などがあるが何れも編成の中間に入っている。

ラッシュの運行を終えたのか萱島駅到着後回送の5555。2017年5月8日▼

続いて亀山区で給水中の稲沢第一区のⅮ51111。1963年5月3日▼

しかし、こういうのばかりを追いかけているといい写真は望めない。

下之一色線車庫界隈

保存蒸機D51777は保存機の中では良好な状態であり光線具合もまあまあであったがそれだけではだめで残念賞であった。同じ刈谷市の公園内の名古屋市電に話題が移ってしまった感がある。これはたまたまその保存市電名古屋市1600型と同型の下之一色線の姿を載せたところ京都市の伏見線と対比されたりして興味を持たれたこともあるようだ。私などは伏見線など沿線の歴史に興味ある路線も京阪の中書島に急カーブして出入りする姿を見ただけでその後総本家さんの秀作を見て「しもた!撮っといたらよかった」と悔やんでいる次第である。

紫の1863さんに教えていただいた津島軽便堂写真館というのを拝見したが、その当時高校生であった方が何とカラーで沿線を紹介されておられる。私も訪問した下之一色車庫あたりを改めて白黒で発表してみた。いずれも1968年11月8日の撮影である。同線は下之一色電車軌道として1912(大正元)年に設立され翌年尾頭橋ー下之一色間を開業。1937(昭和12)年名古屋市に買収された。廃止は1966(昭和44)年2月である。場所は名古屋市中川区にある。

 

全線6.5Kmの単線であり、途中この様に列車交換を行っている。▼

下之一色車庫にはこのような車両がいたが詳細は不明である。▼

車庫をひとまわりすると橋のたもとにいた犬はねむそうに「おみゃーさん、何しに来たんだ」という顔をする。後方が車庫であるが廃止が近いのか荒れ放題という印象だ。▼

車庫の後はいつもの撮影で隣の法花(ほっけ)まで歩く。晩秋のたたずまいである。尾頭橋行き1660▼

電柱に特色があるが、阪急千里線にもこのような折れ曲がったようなのがあった。下之一色行き1444▼

京都の伏見線界隈は幕末の歴史舞台になった所が多いが、下之一色線の停留所にも荒子というのがあり豊臣五大老の一人で加賀百万石の祖と称される前田利家はこのあたりの生まれである。

 

 

 

 

 

 

保存蒸機とその現役時代(43)

愛知県刈谷市の交通児童公園(駅から徒歩10分)に保存されているD51777。1944(昭和19)年9月大阪の汽車製造会社製造で製造番号は2260。履歴の概要は多治見→米原→多治見→名古屋→中津川とあり名古屋鉄道管理局管内で一生を終えた様である。廃車は1972年9月である。

屋根付きで綺麗に保存されていた。ナンバープレートは青の中津川色である。名古屋は赤ナンバーが有名であるが私の好みは緑である。撮影は2012年12月26日▼

 

続いてその現役末期の頃で1971年9月24日上松駅出発の下り貨物列車の姿である。この日はDRFCの諸氏と寝覚ノ床が見える旅館で1泊した覚えがある。▼

 

蒸機の保存地にはよく市電などが近くに保存されている。これは名古屋市交通局1603号で1951(昭和26)年11月日本車両製造であるが、詳しいことはわからない。▼

季節のご挨拶(Season’s Greeting)

あんなに暑かった夏も終わり、早、10月となりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。私は熱中症やコロナで悩まされた後期高齢者、基礎疾患持ちですが、今度はインフルエンザの準備も必要です。さらに腰椎滑り症で1日8000歩歩けと言われ、それならと近場の線路際まで散歩しています。先日9月28日は富士山の初冠雪でしたが、その日に撮った京王ライナー2代目5000系です。後ろにかすかに見えるのが富士山です。

保存蒸機とその現役時代(42)

今回は何れも後ろ姿である。保存機は地元で保存会を結成したり定期的に清掃やメンテを行っているものもあるが、その多くはいたずらや部品の盗難にあっているようである。このⅮ51245は正面と炭水車後部照明が盗難にあってなくなっている。よく見ると給水温め器のカバーもない。そのため後ろ側から撮った結果、炭水車がバカでかくなってしまった。場所は元の信越本線、現在のしなの鉄道の坂城とテクノ坂城の中間で坂城町文化センターの武道館裏のわんぱく広場である。撮影は2018年7月22日の暑い日であった。しかし、ここは坂を下りていくと近くを走るしなの鉄道を併せて撮影することができる。それにしてもわんぱく広場という名前は保存地にふさわしくない。なお、坂城駅横に169系電車が保存されているのでそれも追加添付した。169系は国鉄急行電車165系の派生型で横軽対策された信越線ゆかりの車両であるがこの保存車輛はしなの鉄道にも譲渡されて活躍していた。

 

D51245は1939(昭和14)年9月、国鉄浜松工場で製造され製造番号は36。新製後、浜松、金沢、敦賀、福井等北陸本線沿いで活躍、1962年に上諏訪に転属、その後稲沢を経て1966年に中津川所属となり中央本線で活躍した。1973年7月に廃車されている。▼

 

上松付近で補機を務める姿であるが、勾配区間が終わったのかだらだらと迫力のない姿である。1971年9月25日 下り貨物D51245[中津川] ▼

 

坂城駅に保存中のクモハ169-1+モハ168-1+クハ169-29▼

 

 

甲の麓

日本100名山には勿論入っていないが、関西100名山(そんなのない?)に入れてもよいと思うのが兵庫県西宮市の甲山で阪神間のシンボル的な山である。お椀をかぶせた様な独特の山容で、前にも書いたがトロイデ式の古い死火山で標高は309mである。山陽新幹線、東海道線(JR神戸線)、阪神電車、阪急神戸線、福知山線(JR宝塚線)、阪急宝塚線何れからも眺めることができる。さぞ高い山と思われる方もおられるかもしれないが、309mなので地球のニキビのようなものだ。鉄道では阪急今津線の仁川あたりが一番近いと思っていたが、甲山をバックに写せるような場所は同線にはほとんどない。これに対して阪急神戸線夙川からの支線甲陽園線はよく眺めることができたようだ。ようだというのは昭和30年代の同線の1形、310形の写った写真を見ると甲山がよくとらえられている。今では住宅が並び撮り難いものと思う。そこで私の撮った昭和40年代の写真を暇つぶしにのせてみた。

1966年5月6日 甲陽園-苦楽園口間の夙川を渡る558。桜の頃の有名撮影地であるが甲山がかろうじて入った感じ。 なお、550形は生涯のほとんどを宝塚線で過ごした小型車で運輸省私鉄規格型で阪急タイプではない2段上昇窓が特徴で肘を外に出せる解放感が好きだった。逆に阪急タイプの下降窓は好みではなかった。▼

1969年3月4日 夙川 到着する664 雪の日でバックは甲山 ▼

保存蒸機とその現役時代(41)

横綱休場で大関の弱い大相撲や在阪球団のみっともない試合は見てられないのでコロナの巣ごもりにあって唯一の楽しみはデジ青である。最近は投稿やコメントが少ないので久しぶりに拙写、拙文を復活する。

保存蒸機は改めてその内容を見ると比較的早く消えて行ったC59~C62、D52など大型機や大正の古典機C51やD50などがあまり保存されていない。最後まで残っていた形式が選ばれたのはある面で仕方がないものと思われるがそのような中でC57は保存機でもわざわざ見に行ってみたい形式の一つである。

今回は新津鉄道資料館で保存されているC5719である。同機は1938(昭和13)年1月川崎車輛で製造(製造番号1873)され、小郡、下関、門司港等西日本、九州で活躍した。その後1956(昭和31)年11月に秋田へ転属、以降酒田、新津等へ配属されて主に羽越線沿いで活躍し、1972年9月に廃車されている。

保存車輛は駅近くに保存されていることが多いが、新津鉄道資料館は少し離れていたので孫を連れていたこともありタクシーを飛ばして行ってみた。

2018.06.30 新幹線200系と並んで展示中のC5719▼

除煙板(スモークデフレクター)には点検用切り取りがあり、主灯はLP403の大型で予備灯がないのがよい 雪国なので旋回窓がついている▼

1969.10.10 雨の今川―桑川間 青森発大阪行き荷物専用2048列車▼

翌11日坂町駅 直江津発秋田行き821列車▼

 

 

 

 

 

姫神山

C6120牽引の臨時急行「ひめかみ」号に乗ったことがあるとコメントしたところ、総本家さんから懐かしい響きだと言われた。そこで2002年11月3日に撮影した姫神山をバックにした485系の盛岡発函館行き特急「はつかり13号」の写真を掲載させていただく。調べてみると姫神山は1000mちょっとなので六甲山より少し高い程度であるが、山容が綺麗である。付近の岩手富士や青森の岩木山、八甲田山ほど有名ではないが二百名山の一つだそうである。東北と言えば今の時期は盆休みで大勢の人が帰省したことを思いだすが、私のような高齢者には帰省できない人や故郷で待っている人に同情したくなる。余命いくばくもなくなると特にそう思う。▼

小田急初代3000形SE車保存車と5連時代の姿

毎年行われている海老名でのフェスティバルで最新鋭の70000形と並んだ保存車。撮影は2019(令和元)年5月26日で罵声こそ飛ばなかったが撮影場所に行きつくのに難儀した。超高齢者には危険である。▼

連接部分の台車を見てみるとかつてどこかで見たことがあるバネの多いスタイル。▼

 

晩年は5連で「えのしま」号、御殿場線乗り入れの「あさぎり」号のほか5+5の10連特急などにも使われていた。この車両は大井川にも譲渡されたがどこかで「同志社」号のヘッドマークを付けたことがあると思うがどなたか写真があれば紹介していただきたい。下の写真は1969(昭和44)年頃渋沢の新松田よりで左手の富士山に雲がかかってしまった。御殿場線からの新宿行き「あさぎり」号である。▼

車内

先日まほろばの鉄趣味住人さんから子供の頃によく宝塚ファミリーランドに行かれた話が出ました。当時阪急電車の広告は阪急グループのみと聞いたことがあります。写真は雪の日(1969年3月4日)に夙川から次の西宮北口に向かう934号の車内を撮ったものです。いつも厳しい米手作市さんが最近は寛大で優しく、多少きずがあったりボケていても投稿することが大事だとかいわれたことにつられてほん僅かの投稿をします。多分車内でフイルムを入れ替えて1枚目がご覧のとおりとなった傷物です。宝塚ファミリーランドを始め西宮球場のオープン戦や宝塚大劇場、阪急交通社など確かに阪急グループだけです。車内ではお客さんは新聞を広げています。今ならマスクにスマホでしょう。高校生の帽子は私のもそうですが白い2本線が入っていました。私の高校は男子は全員坊主頭でした。私鉄経営の遊園地もほとんど消えていきましたが、西武の豊島園も今夏で終了です。▼

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