車掌のアナウンスあれこれ

流線形車両-4-で総本家さんや河 昭一郎さんから車掌の案内アナウンスの甲子園、甲子園の連呼が取り上げられた。「何回言うねん、うるさいな」という毎日聞かされる御乗客の皆さんからのうんざり感もあったものと思われる。マルーンさんによると阪急電車でもある時に2回案内していたのを1回にしたと聞く。ところで、最近は落語やコントなどお笑い番組でも出演者に鉄チャンが増えたのか車掌や駅員のアナウンスの真似を得意げにする芸人が増えたような気がする。鉄ちゃんはいろいろな世界にいるようだ。

さてかく言う私も若いころによく聴いた車掌の案内放送に旅情を掻き立てられたり格好いいなと思ったことがあり今でも頭の中に残っているものがある。総本家さんには何度も伝えたことがあるが今回はその車掌アナウンスと関係のありそうな時代の車両と共にお伝えしたい。多少の言い回しは車掌にもより、また、私の記憶も間違っているものがあるかもしれないが大体こんな感じだったと思う内容である。間違いをご指摘いただければ幸いである。

まず、阪急神戸線の特急が夙川を出て西宮北口に到着する頃である。

「皆さん まもなく西宮、西宮北口でございます。宝塚、箕面、今津方面はお乗換え願います。宝塚方面は5号線、6号線、今津方面は7号線へお乗換え願います。西宮北口を出ますと十三まで停まりません。」(「大阪方面普通は3号線の電車にお乗換え願います」は案内したとは思うがあまり記憶にない。また、当時は箕面が入っていたが、今津線経由の方が十三経由よりも早く着けたのかどうか定かではない)

1968.04.04 夙川付近は桜花爛漫であるが白黒ではわかりづらい。もうかなり前であるがこの5000系も今でも通用するスタイルである。 梅田行き特急5004 ▼

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流線形車両-4-

総本家青信号特派員さんの京都市電600形云々についてコメントに書き込んでいたら思い出した車両があった。総本家さんが写真集や鉄道ピクトリアルに数多く出された金魚鉢の愛称で親しまれた阪神電車71形でこれぞ路面電車の流線形である。本来流線形車両-3-に入れるべきを忘れていたので追加させていただく。製造はやはり流線形流行時代の1937年(昭和12年)で汽車東京71~75、川崎76~80の計10両あった。

1969.02.18 甲子園  72号 ▼

流線形車両ー3-

戦前に流線形が流行した1936年(昭和11年)に鉄道省は3両のEF55を登場させた。EF551は日立製作所笠戸工場製で1964年(昭和39年)に引退している。その後1986年(昭和61年)に復活し、しばらくイベント等に駆り出されたが2009年(平成21年)に廃車された。写真はそのお別れ運転の日に同志社創始者新島襄の本籍と言おうか安中で撮影したEF551である。京都に眠る新島襄は江戸生まれで終焉の地は大磯である。なお、EF551は現在は大宮の鉄道博物館に保存されている。

2009.01.12 磯部-安中 EF551 ▼ 続きを読む

国鉄特急型189系引退間近

表題のような情報があちこちで流れている。米手作市さんご紹介の散歩道の国電は吊り掛け車であり確かに古く、よく言えば懐かしい電車である。私など未だに101系以降151系も153系も新型電車と思っている。しかし、あれからもう60年も経った今、国鉄時代に登場した車両はほとんど姿を消しているのが現実である。今回の189系も然りである。先月中旬のことであるがNHKテレビでJR東日本豊田電車区の189系3編成の引退が報じられた。3編成とは旧あずさ色のM50、国鉄色(151系こだまやキハ82系の色)のM51、グレードアップあずさ色M52でテレビ報道ではM50編成が解体のため長野ヘ向かうと報じられた。残った2編成も3月17日の改正以降は運用の話がなく廃車されるものと思われるが最後にお別れ列車として走るとのことである。3月17日に行われるDRFC関東遠征旅行の時には間に合わない。

それでは3編成を順にご紹介する。

今回先に廃車されたM50編成。

日光線に修学旅行で使われた姿。 2017.06.16 日光-今市 上りM50 189-14 ▼ 続きを読む

C56お召と機関車のペンキ書き

西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。

宮崎-南宮崎のお馴染みの大淀川橋梁を行くお召し列車 ▼

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流線形車両-2-

阪急200系、山陽電鉄200形を用意した。これにこのシリーズの発端となった関先生の名鉄3400系、850系を再度登場させ流線形車両の顔を中心とした比較をしていただきたい。

阪急200系は焼けた木造車25、55を1937年(昭和12年)に鋼体化した阪急唯一の流線形車両で千里山線で長く活躍していた。我々の時代は嵐山線に移っており撮られた方も多いと思う。251は新京阪時代は600形601であったが1956年(昭和31年)に251に改番された。15mの短い車両ながら車幅が広かったのが特徴である。

1968.11.20 上桂-松尾 251+201 ▼ 続きを読む

流線形車両-1-

辞書を見ると流線形とは先端が丸く後端がとがり全体としては細長い形とある。そして流れの中に置くと後方に渦をつくらず流体から受ける抵抗が非常に小さく魚の体がその例になるとの記述もある。飛行機や新幹線が流線形の典型ではないかと思うが、ここでは関先生のシリーズで最近取り上げられた昭和10年頃から流行した戦前の流線形車両の私なりの記録である。スカートをつけた姿など颯爽と見えるが実際はあの頃の速度では効果もなく一時的な流行に終わったが個性的なスタイルは非常に記憶に残り歴史的な意義もあって保存された車両もある。

流線形電車(流電)と言えばまずこの電車。鉄道省で昭和11(1936年)~昭和12(1937年)にかけて関西の急行電車用に製造されたモハ52でその後阪和線でも使用されたが我々の時代は飯田線が活躍舞台であった。

モハ52は1次は狭窓であった。1978.09.16 (新城駅と思われるがメモ紛失なので同行していただいたクモハ73106東ウラさん確認願います) ▼ 続きを読む

名鉄3400系

関先生は名鉄3400系について名鉄戦前のトップスターと称され、さらに同じ名鉄の流線形850系をはるかに凌駕する出来映えと称賛されておられるが全く同感である。特に車体下部のスカートは正に流線形車両を象徴しているように思える。残念ながら私の撮影した3400系は全盛期の姿ではなくローカル運用の晩年の姿であり特長ある正面3枚窓も更新により変更されている。最晩年にはそのニックネーム「いもむし」の緑色2色で走り現在も保存されていると聞く。

1972.9.11 犬山線大山寺-徳重間 鳴海行き後部 ▼

正月はやっぱり富士山!

もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。

2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼ 続きを読む

名鉄850系

米手作市さんご紹介2017.12.22[91442]付け名岐鉄道850系の写真である。「なまず」の愛称の元となった正面飾り帯はこの時はなくなっていたが関先生の描かれた顔をよく留めていたように思う。1988年(昭和63年)に廃車された。

1972.09.11 犬山線徳重~大山寺 柏森行き2351+851←

知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼