京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [9]

(3)北丹鉄道 DRFC貸切列車走る <カラー版>

これがDRFC貸切列車、昭和30年後半まで運転の混合列車が再現され、DLには江若、伏見線に続き、三たびヘッドマークが輝いた。参加者は客車に乗車して、撮影地に来ると停車してもらい飛び降り下車、列車だけバックして撮影好適地に停車、こんな鉄橋上の撮影も可能だった。何とも身勝手極まる振る舞いを実現していただいた北丹鉄道の皆さんには感謝しかない(下河~上天津)。

次はいよいよ昭和45年11月3日、北丹鉄道福知山西~河守を往復したDR FC貸切列車の模様です。前年の昭和44年10月の江若鉄道廃止、同じ年、昭和45年3月の京都市電伏見線廃止に続く、DRFCの仲間とともに迎えた感動的な出来事でした。その感覚は、心の隅に残っているものの、細かい事実については、もう記憶にありません。そこで「青信号26号」に、北丹のために、全身全霊を投じたTさんの手記「北丹アピール 全ての会員は北丹廃止に決起した!!」を読むと、Tさんの北丹への情熱がひしひしと伝わるとともに、細かい様子もよく分かりました。

Tさん、貸切列車を実施のために、福知山まで何度も出向いて、北丹の運輸部長と打ち合わせに奔走します。有史以来初めての貸切列車のため、最初の提示は、営業列車の走らない午前8~10時の往復で、通常のキハ100使用と言う無難な提示でした。朝8時発となると、京都5時14分発の始発の益田行きに乗ってギリギリで、それに乗れない会員は福知山での宿泊を強いられ、列車も何としても、DC導入前の客車列車を再現したいと懇願し、ついに昼間12~15時の格好の時間帯、しかも列車は、DL+客車+貨車という願ってもない理想的な貸切列車が実現することになったのです。

貸切列車は、福知山西を12:15頃に発車して、河守に13:16着、定期列車の発着を見送ったあと河守13:50発、福知山西15:18着のダイヤで運転された。以下の写真は戻りで、公庄~下天津の日藤第一トンネルを出る列車。▲▲同地点から国道175号を見る。信じられないことだが、国道でも未舗装、クルマは一台も走っていない。現在も、トンネル跡は改修されて、遊歩道として残り、内部を歩くことができる。由良川の護岸ギリギリを行く。貸切列車のダイヤを聞いて訝ったのは、往きの河守行きは、定期列車の約20分前を走り、戻りの福知山西行きは、定期列車の15分後を追いかけるダイヤ、たしか福知山西~河守は交換設備もなく一閉塞のはず軌道法でもない限り、続行運転はできない。それを実現できたのも、つねに乗客のためを思う昭和の鉄道ならではと思う(下天津~上天津)。由良川の堤防を行く。由良川が増水して何度も線路が水没するが、線路は堤防に自生しているようなもので、そもそも路盤がない。ほかの鉄道のように路盤流失もなく、水が引くと、すぐ復旧した(下川~福知山西)。

(とりあえずカラー版、追ってモノクロ版で詳述します)

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