私が接した3軸貨車

先に「私が接した3軸ボギーの客車たち」を投稿しましたところ、思いもかけず36件ものコメント、写真をご披露頂き感激しております。その36件の中に、洒落で米手様よりタサ659が紹介されました。これにヒントを得て、柳の下の2匹目のドゼウを狙うことに致します。とは言え、私が写真に収めている3軸貨車は2両しかありません。まずは米手様の後塵を拝してタサ660です。

タサ660

撮影場所は向日町駅か神足駅かと思います。タサ600形は600~662の63両が存在しましたが、653~662の10両は昭和28年にタラ1形32~41から改造されたグループでした。上の写真でタサの左側には3軸台車TR78を履いたタキが写っているのですが、そのタキの写真は撮っていません。米手様の659もこの660も「ヨンサントウ」を前にした昭和43年9月30日に廃車となっています。

もう1両は形式チ500のチ632です。

チ632 梅小路操車場にて

軍事輸送のため、戦時設計で8200両余りが作られたトキ900を戦後改造して生まれた3軸貨車で、全国に361両いたそうです。このチ500もその大半はヨンサントウで姿を消したようです。

この2両以外には、北海道内専用で木材輸送などに従事していたチサ100を何度か見ていますが、残念ながら写真に収めていません。ヨンサントウが貨車の世界でも大きな転換期であったようです。

私が接した3軸貨車」への17件のフィードバック

  1. 西村雅幸 様
    みなさん、流石に「鉄道研究家」で、何でも来いですネ。
    今回は3軸貨車ですか。
    小生、流石に貨車までは手が回らず、興味の方も「一瞥」程度だったのを今になって大いに反省しています。
    貴殿の記事を見て、子供の頃見た「変わった貨車」の事を思い出しました。
    3軸無蓋車でトムより大形で、トキまでは無いが車長もトムより長かった気がします。
    荷台を囲む腰板?が一段と高く、不思議だったのは車体横面の中央の一部分のみ一般のトムの高さまで切欠きが有りました。(拙い描写ですが、手書きの「図」を貼付します。)
    地下鉄漫才ではありませんが、思い出す度に「夜も眠れません!」(笑)
    石炭輸送車でも無かったこの貨車は何だったのか教えて下さい。

  2. 西村雅幸 様
    「車長はトムより長かった」と言いながら「拙図」では「同じ長さ」
    になりました! 小生、ボケが入ったかなあ!
    失礼しました。

  3. 河 昭一郎様
    早速のコメントありがとうございます。子供心にもよほど印象が強かったのでしょうね。私は研究家でも何でもなく、専ら人様からの受け売りだけです。貨車についてはこの道の大家、吉岡心平氏の情報が頼りですが、氏が平成12年4月に発刊された RMライブラリNo.9「3軸貨車の誕生と終焉(戦後編)」に詳しい解説が載っております。その中の1ページを引用させて頂きました。要するにトキ900形の中央上部の側板を外したものと思われます。トキ900は30Ton積み仕様ですが、石炭などを満載すると側板が強度不足で外側に膨れるような状態だったのでしょう。当誌の解説によれば、側板の一部を外して17Ton積みとして運賃を割り引いたとのことです。戦時生まれの短命な貨車の末路の姿だったのでしょう。

    • 西村雅幸 様
      即答に近いコメント返しを頂き、ありがとうございます。
      な~るほど、積載量の増に知恵を絞った結果➡側板が膨らむデメリット➡一部を切り欠いて積載量を抑える・・・脱帽以外無し!
      これで積年の疑問が解けました。

  4. 昭和60年8月13日、沼津機関区、ワサ2です。
    ワム80000を長くしたような感じで、確か2両試作されたと思います。

  5. こちらにもまぜてください!
    吹田の有名貨車です。
    残念ながら、私は撮影していませんでした(多分)
    なぜ、この3軸車をわざわざ使っていたのか、理由は存じ上げません。まさか、簿外? 時効ですよね。

    バキュームカー搭載車の次世代版(チ1152)も有ったとのことです。
    下記は弊ブログですが、残念ながら記載したページは削除されています。
    http://hirose13mm.cocolog-nifty.com/bbs001/2016/12/post-df34.html

    チ576 形式チ500 (トキ900改) 吹田 1975/09/06 撮影HT(廣瀬所蔵)

  6. 脱線しますがすみません。チ1125です。吹田貨車区の通勤列車(列車番号がありませんので「列車」とはいえませんが)に連結されています。試運転線を往復するだけなのに何故こんなものが挟まっていたのでしょうか。

    • 私のおねだりで、脱線させていまいました~

      でも、さすがです。
      こいつの”動いている”写真を初めて見ました!
      “試運転”していたのか、”ウン用中”だったのか?

  7. 私も闖入します。西村さんが言っておられる北海道限定のチサ100です。撮影した昭和47年の配置表を見ると、367両もあって、三軸貨車としてはダントツの両数だったのでしょうか。何枚か写しましたが、積載がなく、唯一原木を積んでいる一枚がありました。ご覧のように、原木がちょうど2列に積載できるため、重宝されたのでしょうか。

    • 初めてコメントします。
      私は専属貨車と配置表に興味があって、もしかしてそれは国鉄の運転局と貨物局が発行した
      昭和47年4月1日現在の専属貨車配置表ではないでしょうか?
      もしこの資料をお持ちであればお尋ねしたいことがあるのですが、
      その内容は白帯を巻いた事業用代用のワム50000形の車両番号ということです。
      もしこの車両についてご存知であれば、ご教授してくださると幸いです。
      よろしくお願いいたします。
      コメント失礼しました。

  8. 鮮明な写真ですね!
    43・10以降は、北海道封じ込めとなった個体が多いと思われますので、案外写真が出てきません。

    黄帯が無いか??? と思いましたが、台枠上部のフチに細い黄帯が巻かれていますね。拡大すると、しっかり「道外禁止」標記も!

    背後の車輌も、気になりますね。煙も上がっていますが、左側にはDLらしきものも・・・ どこなのでしょうね?

  9. 光の当たり具合から名寄でしょうか? ホームの東方向に扇形庫があって、複数の線路が見えることから可能性大と考えました。
    名寄であれば、左に少しだけ見えるDLはDD14 302だと思います。
    チサ100は大正13年から昭和2年に500両が北海道向けに製造された、20トン積みの長物車です。車体は長さ8000ミリ・幅2300ミリで炭鉱の坑木に用いる二間材の積載に適していたとRMライブラリーに出ています。廣瀬様のコメントのように43・10以降は北海道内限定運用車となり、昭和45年度末で487両が残っていましたが、その後急速に廃車が進んで昭和50年度に形式消滅したとのことです。
    石北本線・宗谷本線の貨物列車に、原木を満載したチサ100の画像が見られ、行き先は旭川の国策パルプではないかと考えた次第です。

    • 廣瀬さま
      紫の1863さま
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。お二方の観察力に脱帽です。撮影場所は、1863さんのとおり、名寄です。左にDLらしきものも見えますが、形からしてDD14でしょうね。黄帯、「道外禁止」は、たしかに台枠の一部に細く描かれています。チサ100は、空車ですが、倶知安でも数枚写していました。

  10. 昭和45年9月14日、茨城交通茨城線上水戸駅、片ボギー3軸のレール運搬車です。
    キハ11のエンジンを卸して客車化したハフ11を廃車した時、台枠以下をレール運搬車に改造した車両です。10mレールの運搬には手頃な大きさだったと思いますが、車号の標記がないので、保線機器扱いだったのかもしれません。

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