湘南顔 (カラー版)
今回は、昭和の時代、一世を風靡した、前面が“湘南電車”スタイルの車輌を見て行きます。やや傾斜のある二枚窓、非貫通の半流、そして鼻筋の通っているのが、湘南顔のポイントです。昨年、湘南顔をテーマにした単行本が企画・発行され、クローバー会も協力、多くの写真を提供しました。現在に至るまで、湘南顔の発展形ともいえる車両もデビューしています。皆さんの撮った湘南顔、寄せてください。▲前回の半室運転台の例で出した江若鉄道キハ50形も、外へ廻って前を見ると、典型的な湘南顔をしていた(写真中央、キハ52)、右のキハ41000由来の非貫通、4枚窓、左の自社キニ6大改造の貫通、3枚窓と、その前面スタイルもいろいろで、江若への興味をさらに深めてくれた(大津の86さんカラーを借用しました)。
▲廃止直前の定山渓鉄道の始発、豊平にて、キハ7501、モハ1201、湘南顔が並んだ。この2両は、始発の定山渓から、ここ豊平までMD編成で来たが、乗り入れの札幌までは非電化のため分割されて、左のキハ7501が転線して1両のみで札幌へ向かうところ(昭和44年)。
▲夕張鉄道鹿ノ谷機関区で、自社9600とともに収まる、昭和28年から製造のキハ250形253 20m級の液体式、車内はセミクロスシートと、石炭輸送最盛期の豪華車両、前は湘南顔だが、後部は片運、切妻で、DD編成、DTD編成で、夕張から札幌近くの野幌まで、国鉄より最短距離で結び、急行も運転されていた(昭和43年)。
▲根室本線芦別から分岐する三井芦別鉄道のキハ100形103、昭和33年の製造で、上掲の夕張キハ250形とそっくりだが、ライトは一灯で上部にあり、両運転台、車内はセミクロスだった(昭和44年)。
▲留萌鉄道のキハ1000形、台車と連動する可動式のヘソライト、一見3灯のように見える両脇のタイフォン、湘南顔に必須の鼻筋はなく平滑な印象だ。以上は、いずれも“金太郎の腹掛け”の塗り分けが、さらに昭和を演出している(恵比島、昭和43年)。
1967年9月9日、芦別駅、三井芦別鉄道キハ103です。
1970年9月14日、赤塚、茨城交通茨城線、ケハ401です。山鹿温泉鉄道の注文流れ品です。
夕張へ行って撮った気動車の写真がこれだけ。つまり蒸機と客車しか興味がなかった証でしょう。今考えるともったいないことでした。キハ253の車内。
2006年1月に撮影した鹿島鉄道のキハ714です。もとは夕張鉄道のキハ251で、米手様が投稿されたキハ253の仲間です。
こちらは元加越能鉄道のキハ125が前身の、鹿島鉄道キハ431です。2004年1月、石岡での撮影です。
わが国初のステンレス気動車、茨城交通のケハ601です。廃車から10年以上が過ぎて、車体は倉庫として使用されていました。2003年1月、那珂湊にて撮影。
総本家青信号特派員様
1967年12月31日の糸崎で発車待ちの呉線のキユニ16 2です。
この車両は初めて湘南顔をしたクハ86形の増備車が製造された1950年7月から遅れること3年の1953年3月に電気式気動車キハ44100形(キハ44104)として誕生しました。3年後の1956年に変速方式が液体式に改造されることになり、同時に郵便荷物室が設けられキハユニ44100形(キハユニ44104)<1957年4月1日の形式称号改正で、キハユニ16形(キハユニ16 5)に変更>となりました。しかしながら合造車のままでは、郵便荷物室の積載量に限界があったため、そのうちの4両が1965年に郵便荷物車キユニ16形(キユニ16 2)に再改造されました。
総本家様
父のコレクションから、加古川線のキハユニ15の交換が出てきました。1両は金太郎塗り、もう1両はタラコです。撮影は粟生駅で昭和55年8月でした。と言うことは、加古川線では1980年代初頭まで、国鉄による郵便輸送が行われていたことになります。自動車による交通の便が良い地域でも、意外と遅くまで、活躍していたのですね
小田急の湘南顔を云えば、2300形。カラー版を活かして、久しぶりにGordon Davis氏の作品から。特急車としてデビューしたが、1編成しかなく、2度の改造を経て通勤車となり、最後は湘南顔も失ってしまった車輌でした。