半室運転台
先の〈18〉コメントで、紫の1863さんから見透かされたように先を越されてしまいましたが、テーマは「半室運転台」です。電車、気動車では、全室の運転台が大半ですが、地方私鉄のDCや、旧型国電では、半室運転台が見受けられました。ただ、今回のテーマは運転台ではなく、もう片方の空いた半室スペースです。京都周辺で見られた例を見て行きます。▲江若鉄道、キハ50形(キハ51、52)の先頭の半室運転台、熊延鉄道から来た同車は、運転し易いのか、最後までよく使われていた。右手のスペースには座席が伸びていて、最終日も間近、前面のかぶり付き席は大人気で、いつも先に占有されて、私はありつけなかった。運転台が左のみの場合、たとえば島式ホームでダブレット授受の場合は、写真のように、客室窓を開けて交換していた(昭和44年)。
▲北丹鉄道キハ101、運転室はパイプで仕切られた開放型、右手には二人分の座席があって、廃止も間近いとあって、ここも人気の席。前から見ると、レールは雑草で埋まってよく見えないから、草原を走っているような感覚だった(昭和46年)。
▲そして、こちらが紫の1863さん紹介の加悦鉄道の半室運転台、ただこちらは、二段窓なので、片ボギーではなく、もう一両のキハ51のほう。宮津線の列車と接続し、その発車風景が見られるのも、展望の効く半室ならでは(昭和43年)。
▲軽便鉄道になると、さらに簡易な半室運転台に。尾小屋鉄道のキハ1で、展望席はもっぱら車掌の定位置になっていて、運転士とダベりながら列車は進んでいく(昭和49年)。
▲旧型国電にも半室運転台があった。42系のように、切妻車両で中間車に入ることもあり貫通路の確保から半室運転台となった、これは小野田線雀田支線に最後まで残ったクモハ42001、半室とは言え密閉型で、あまり開放感はない。右手に二人分の座席がある。最近のJR・地方私鉄の軽快気動車でも、ワンマン運転に対応した半室運転台が多くなっている(平成9年)。
すこしピンぼけですが別府鉄道キハ3の車内です。別府から野口までの間です。
半室運転台もさることながら、女子高生がいい味出しています。眼の付けどころが違います。
続いては、これも手ぶれですが木次線のキハ02の車内です。
国鉄のレールバスは、撮ったことはありますが、乗ったことはない世代、車内の様子が、よく分かりました。背ずりがずいぶん低いのですね。
もう一つは西大寺鉄道(たぶんキハ6)のその席から撮った唯一の写真です。場所は、これもたぶんですが財田駅付近だと思います。古き良き時代の岡山のけーべん沿線です。
訂正
けーべんではなくけーびんと呼んでいたように思います。
吉田耕司さんのネガの中にもありました。ご一緒されたのでしょうか。バスケットの中の自転車が、いい味出しています。ここに似合う荷物と言えば、菰で包まれた荷物もあります。湯口さんが撮られた、人間より大きな菰包みの荷物を、バスケットに載せようとする写真を思い出します。
半室運転台で記憶のあるのは京阪びわこ号です。私の知っている時代は最晩年で朝の通勤時間帯に石坂線を走っていました。高校1年生だったと思いますが、私の乗る時間帯によくやってきたのが旧びわこ号の63号でした。降りる駅は前に改札口があったのでいつも一番前の車両に乗っていました。運転席の横にも座席があって、ここに座れば前がよく見えると思っていましたが、当時通勤通学時間帯は大混雑で奥まで入れずいつも横眼で眺めていました。当時の写真は錦織車庫で外から撮ったものしか残っていませんが、2015年寝屋川車庫で復元された63号の車内を見る機会がありました。これを見ると確かに最前部運転席の横にも座席があり私の記憶は間違ってなかったようです。それにしても運転席は狭いですね。
半室運転台に鈴なりの「びわこ」です。80形にも人が見えて、電車の前後から展望ができた良き時代でした。
モハ52001も半室運転台でした。一番前まで座席があったのか、この撮り方ではわかりません。運転室をのぞき込む、若いお母さんに注目したのかもしれませんね。
1964年5月12日、布施、信貴山口行準急です。満員の乗客が、貫通扉や乗務員扉のところまで乗っており、半室運転台であることが判ります。
1973年9月15日、堺市、区間快速和歌山行、クモハ61002です。乗客の姿が見えており、半室運転台であることが判ります。
1969年9月8日、歌登町営軌道の自走客車です。
総本家青信号特派員様
懐かしいクモハ42001の半室運転台をお見せいただき有難うございます。昭和30年代後半には、大阪環状線が新性能化されたので淀川電車区に集中配備されたクモハ31形は片町線専用の運用になっていました。この電車は戦時中に吹田工機部でモハ43を4扉化された車両で、半室運転台になっていました。この電車が先頭になっている時は問題がなかったのですが、編成の中間に連結された場合は運転室の反対側に乗客が立ち入れたため、ドアー開閉ボタン(鍵がつけられていた)、手ブレーキのハンドル、乗務員連絡ブザーのボタン(覆いがあった)、車掌用の非常停止ブレーキの引手等が露出しており安全性に問題がありました。ある時ポイントで列車が揺れた時に、女性が非常停止ブレーキからぶら下がっていた赤い握り手を無意識に掴まえて引っ張ったため、緊急停止したことも目撃しました。
この問題を解決するため、昭和40年代入り吹田工場で全室運転台に改修する更新改造が始まりました。写真でも見られるように床にモータの点検蓋があるため、二人用の座席は撤去され点検蓋を阻害しないように連結面側ギリギリに間仕切りを設置したためL型の変形した全室運転台でした。モハ42から改造された両運転台のクモハ32も改造の対象となりましたが、予算の都合か前位側は全室運転台に改造されましたが、後位側は半室運転台のままでした。
紫の1863様
モハ52001も保存する時に新製時の半室運転台に戻されたのですね。昭和43年8月に飯田線で写真を撮った時には、全室運転台になっていました。東海道本線、山陽本線では半室運転台で問題がなかったのでしょうが、タブレット交換が必要な単線の飯田線では使いにくかったのでしょうか。
快速つくばね様
飯田線時代の画像を見せていただき、ありがとうございます。
モハ52001は保存に際して、できる限り新製間もないころの姿に戻したようです。半室運転台への復元をはじめ、乗務員扉の撤去が大きなところでしょうか。
添付の画像は真横から見たモハ52001です。乗客扉の操作に支障があったのでしょうね。
岡山県の井原鉄道IRT355ー04の半室運転台です。昨日、墓参の帰路、乗車した矢掛駅で対向列車の到着待ちをしているところです。