加太を行く
少し間が開きました。大阪通信員さんが撮られた“昭和の鉄道”を続けます。前回は関西本線の電化区間でしたが、今回は、関西本線の撮影名所地として名高い加太付近です。大阪通信員さんの現役時代には、「小海線を愛する会」と「加太会」と、2つの派閥?があり、ある時は競って、ある時は友好的に活動されたと聞きます。DRFC指定旅館の村田屋とともに、その伝統は引き継がれ、われわれの時代も、加太詣ではまだ続くのです。▲特急「あすか」(名古屋~東和歌山)もしっかり撮っておられた。昭和40年10月改正で走り始めたが、わずか2年で廃止されている。私も辛うじて加太で走行中を撮ったし、最終日は奈良駅で撮っているが、なにせ高校生の頃、とても人目に晒すような写真ではない。「あすか」は、空気を運んでいた「くろしお」回送を、無理やり客扱いに仕立てたもので、下りは名古屋19:00→東和歌山22:40、上りは東和歌山7:10→名古屋10:50と、わざわざ旅客の有効時間帯を避けて設定したような特急だった(以下、昭和41年撮影)。