【103891】 ご協力、ありがとうございました。

1月23日より京都祇園「ぎゃらりぃ西利」で開催していました、クローバー会の鉄道写真展「鉄路輝く」は、7日間の会期を終えて、去る29日(火)に千秋楽を迎えることができました。写真の出品や準備作業でお世話になった皆さま、ご多用のなか、ご来場いただいた会内外の皆さまには厚く御礼を申し上げます。

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【103352】クローバー会写真展まで あと一週間!

本欄のトップページが写真展告知に変わってから、いよいよ開催が近づいて来たことを実感します。あちこちに首を突っ込みながら、加齢でめっきり弱った元気、やる気を奮い立たせて準備を進めています。ご協力いただいた皆さんには、厚く御礼申し上げます。さて、写真展の告知については、本欄以外でも、特製はがきの配布や、鉄道雑誌の記事掲載などを行って、会の内外から期待の声もいただいていますが、“見に行きたいが、いったい、どこでやるのか”など、遠来の方からの声も頂戴しています。そこで、近くの阪急河原町駅、京阪祇園四条駅から、写真展会場への行き方をご案内して、一週間前の区切りとしましょう。

たまたまお知り合いの方が、同じ会場で写真展をされることになり、昨日は会場へお邪魔して、作業の手伝いがてら、写真パネルの貼り付けテストなどを行った。

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【103252】 四条を通って祇園へ ~昭和の初詣風景~ 〈下〉

昭和の四条通、四条京阪前から、祇園へ向かうことにしました。四条通には昭和47年まで市電が走り、祇園まで行けば、外周線が昭和53年まで見られました。祇園の交差点に建つ八坂神社の西楼門石段から見る光景は、京都市電の格好の写材を提供していました。とくに、人で埋まる初詣のシーンを求めて、廃止前の数年は必ず訪れたものでした。石段から見下ろすと、外周線の市電と人出が、うまく俯瞰できた。交差する四条通は明治まで狭い道路幅だったが、明治末期に京都市は近代化の三大事業に着手し、そのひとつが四条通など主要道路の拡幅と市営電車の経営だった。四条通は市営電車の第一期線として明治45年に開業した。当初の停留場名は「祇園石段下」で、昭和20年ごろに「祇園」に改称されている。昭和47年に廃止された。

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【103186】 四条を通って祇園へ ~昭和の初詣風景~ 〈上〉

昨日は、四条通を歩いて、八坂神社へ初詣に出掛けました。昭和の時代、地上の京阪四条駅から、歩道にあふれそうな人並みが、祇園までずっと続いていたことを、ふと思い出しました。四条通りには、昭和47年まで市電が走っていましたし、祇園まで行けば、市電外周線の初詣風景は、昭和53年まで見られたものです。京阪も地下に潜ってから32年が経ち、いま見る当たり前の光景が、ずっと昔から続いているような錯覚に陥ります。京阪、市電が走っていた時代は、私の感覚からしても、はるか遠い過去の思い出になってしまいました。
ちょうど再来週から、四条通の「西利」で開催される、わがクローバー会の写真展でも、四条通の市電を特集して、会員の撮った懐かしい写真を展示することにしました。「京阪特急10分ごと」の横断幕が目に入る京阪四条駅の三条方面乗り場、つぎつぎ到着する電車から吐き出された乗客は、四条通りを埋めるようにして、祇園方面に向かっていった(昭和57年)。

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【103162】 正月は やっぱり“住吉詣で”

本日、行って来ました。思えば、乙訓の老人さんからの“正月の教え”を引き継ぎ、阪堺線住吉大社前の初詣を撮り始めてから、10年が経過しました。行かなかった年もあるものの、やっぱり正月は、“すみよっさん”へ足が向きます。電車はつぎつぎやって来ても、どれも超満員、正月三が日限定とはいえ、日本の路面電車では最大の輸送量でしょう。老いも若きも、男も女も、金持ちもそうで無い人間も、なんの区別もなく、平等にひとつの電車に乗ります。“鉄道って、エエもんや”としみじみ思う正月でした。
天王寺駅前~我孫子道は4分間隔の大増発、住吉大社前の臨時電停には、間断なく電車がやって来る。

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【103141】 羽村さんが遺したアルバムから 〈カラー版〉〈13〉

正月の京都駅前の賑わい 昭和36年
平成最後の年が明けました。珍しく一日中テレビの番をしていると、平成時代を総括する特番が多くあり、見ていますと、“昭和か平成か、どちらが良かったか”との調査結果がありました。昭和を知らない若い世代が、平成を良かったと回答するのは当然としても、両方の時代を経験したはずの中高年では、すべての年代で“昭和”が圧倒的でした。われわれが昭和の鉄道の検証に熱心なのもよく分かります。で、平成最後の年も、羽村さんの昭和の正月風景から始めることにします。
いつもはモノクロの羽村さんシリーズだが、少数だがカラーポジも遺されていた。昭和36年の正月に、京都駅前で京都市電を撮られたものだ。写真は、河原町線、伏見・稲荷線が発着していた東乗り場の光景、「いなり行き市電のりば」の看板の下には、きっぷ売り場まで出る賑わいだ。これだけ見ると、昭和30年代の当たり前の正月風景に見えるが、よく見ると、行き先幕は「白梅町」、緑地の「臨」系統板、そう、この市電は、これから手前の東西連絡線を渡って、西乗り場へ行き、スイッチバックして、烏丸線を北上するのである。通常は、営業車両が通らない東西連絡線を、正月の臨時電車が乗客を乗せて行く貴重なカラー写真だ。

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