福井鉄道
今回の“昭和の鉄道”、少し足を伸ばして、新幹線延伸で沸く福井市を走る、福井鉄道を見て行きます。いま福井駅西口では、高層ビルが建ち並ぶ駅前再開発が進行中ですが、その地区の南側、“電車通り”には、福井鉄道の通称“ヒゲ線”が発着していました。いまは福井駅前広場まで少し延びて、その名も「福井駅」となった終点ですが、少し前までは、「福井駅前」を名乗っていた終点から発車する電車です(以下、昭和41年8月撮影)。▲背後が再開発工事中の街区に当たり、高さ120mの高層ビルが建ち、事務所やホテルが入居すると言う。福井駅前-田原町の札を下げた、モハ63が発車を待っているところ。後には、デビュー間もないモハ200形が待機する。雑多な電車が集まり、福井鉄道がいちばん面白かった時代。
▲福井駅前を発車した80形(81~84)、大正10年製造の南海モユニ521で、戦後、福井に譲渡され、車体を新造した。 つい最近まで活躍していた。この左手付近も再開発地区で、商店はすべて無くなった。▲市役所前(現・福井城址大名町)で右折し、福武線と合流するモハ63。昭和8年の市内線の開通時に製造された。主として福井駅前~田原町の市内線で使用された車長10mの小型車。昭和43年、もう1両と連接車に改造され160形になり、廃車後は、福井市内の公園と、旧南越線村国駅跡で保存されている。▲市役所前付近の併用軌道を、京福バスやタクシーと一緒に走る。雪国らしい歩道橋も懐かしい。
いや、懐かしいですね!我が故郷。
昭和41年8月に撮影されたとありますから、丁度私は大学生になって最初の夏休みの頃ですね。6月頃にDRFCに入会し、夏休み前の前期試験が終わった開放感に浸っている中、会長(米手作市氏)から夏休みは暇やろから青信号の原稿を書けとの厳命が下り、重荷を背負って実家に帰ってた頃ですね。
当時は三和銀行もあったんですね。店名看板の一つ一つが懐かしいです。お買い物はだるま屋(唯一の百貨店、今は西武福井)、駅前停留所からステップを上って電車に乗った記憶もあります。
大名町ロータリーから見えるだるま屋の屋上遊園地の小さな観覧車や
オート三輪も昭和の風景ですね!
ちなみに夏休みの宿題は「福井鉄道」に関する一文を提出しました。
マルーン様のシマを荒らしてはいけないと思い、コメントを控えておりました。大名町から見える「だるま屋」の屋上観覧車は、私も注目してました。
母方のルーツが福井県吉田郡河合村にあって、昭和39年の夏休みに里帰りする祖父に連れられ、福井駅に降り立った時に見た風景は、このような街並みだったのでしょう。残念なことに私はまだ幼かったので、記憶は全くありません。
ストリートビューで大名町の交差点を見ると、左端に写る鉄骨の架線柱?が現存していました。
来春には新幹線が延伸し、東京との距離がぐっと近くなります。駅前の再開発も進んで、見違えるような風景になることでしょう。ただ、関西人の私には、福井が遠くなるような気がしてなりません。
紫の1863様
誠に恐れ入るご配慮に、どう申し上げたら良いのでしょうか。どうかご遠慮なくご投稿を頂きたく存じます。
福井は今新幹線で随分沸き立っているようですね。駅前再開発でマリオット系のホテルやタワマンがそびえ立ってきました。
仰るように東京とは直接結ばれますが、私達関西に住む者は敦賀乗り換えを強いられます。これは・・!一日も早い延伸が必要と思われますが、京都でのアセスメント調査も着手出来ていないとか。どうか一日も早い延伸が進むことを祈るばかりです。
所用があって福井へ行ってきました。総本家様の投稿で知ってはいたものの、あまりの変貌ぶりにビックリしました。なにしろ福井駅に降りたのは30数年ぶりでしたので。
まずは福井駅前の乗り場があったと思しき場所で撮ったFUKURAM、F1001です。背後に28階建てのビルが建ち、かつての面影は微塵もありません。
大名町の交差点から福井駅の方向を望んだ所です。奥に見える電車は元名鉄の連接車、882+883です。白い車の右手は福井市民になじみの元「だるま屋」、現在の西武百貨店です。左側は工事の真っ最中ですが、来春の新幹線開業に間に合うのかどうか。
大名町の交差点を福井駅へと曲がる882+883です。画面左に見える緑色の架線柱は、大阪通信員様の写真にも写っています。このあたりで変わらないのは北陸銀行左の白いビルと、この架線柱だけになっていました。
マルーン様、シマを荒らしてすみませんでした。
紫の1863様
何を仰いますやら!
久しぶりのご訪問とあれば、ちょっと変わったなぁと言う印象をおもちになられることでしょう。
大名町の交差点も撮る角度によりますが、福井銀行の本店が新しくなり、繊協ビルも建て替え昔のイメージはありませんものね。ハギレヤが懐かしいです。