大阪を記録する④ 大阪市電
大阪市電は、万博を前にした昭和44年3月に全廃、政令指定都市としては初めての廃止でした。私としては、“早く生まれていたら”の類いで、ごく僅かの写真しか撮れていません。大阪市内で生まれ育った通信員さんは、さすがに御堂筋を走る市電や、市電ではメインの堺筋線、上町線など、中心部の写真を撮っておられます。大阪市電をテーマにした書籍を編集した時は、大阪通信員さんのモノクロ写真も活用させていただいて作ることができました。大阪市電は、カラーで見るように“あずき色”で、阪急のマルーンより赤っぽい“溜色”でした。明治36年に開業した時、すでにこの色でしたが、これは御召の御料車と同じ色であることを、政府が気づき、畏れ多いことと、すでに認可済みの大阪市を除いて、以後は他都市が同種の色を使うことを禁じたと言います。逆に大阪市電は既得権にこだわり、最期まで、この色を守り通したと言われています。
△ 大阪市電は御堂筋も走っていた。と言っても、大阪駅前から淀屋橋までの間だけで、淀屋橋で東へ、北浜二丁目から堺筋を南下する堺筋線の一部を形成していた。大阪市庁の前から西を向いての撮影で、市庁舎は、現在のものではなく、旧のルネサンス様式の建築、背後は日本銀行大阪支店。今回は、対比可能なところは、ストリートビューの現況写真との対比を試みた。大阪中心部の街並みはすっかり変わってしまったが、保存の日銀大阪支店だけは、きれいに補修されて市電時代と同じ光景を見せている。(昭和41年6月)。
△ 当時の天神橋西筋線(現在のメトロ堺筋線に相当)の「天神橋筋四丁目」電停付近を行く。今の関テレ側から撮影され、背後のガードは、大阪環状線で、すぐ横が天満駅となる。堺筋沿いの今の街並みは、街路樹で隠れているが、旧景では、いまも天神橋筋商店街に店を構える「ガクブチの大和」の広告が見える。△ 上本町線(上本町二丁目~天王寺西門前)を南下すると、上本町九丁目で上町筋は急に細くなり、市電は、西へ向きを変えて谷町筋へと入る。上本町線が、唯一東西を向いた区間で、今も所在する天王寺警察署の前から西を向いて撮っていて、向こうに愛染堂の多宝塔があり、いまも建物の間から辛うじて見ることができる。最寄り電停は「天王寺椎寺町」で、現在のメトロ「四天王寺前夕陽丘」の近くとなる。
△ これも上掲と同じ、上本町線の上本町九丁目~天王寺椎寺町で撮られたと思われる。この付近は、戦災を受けなかった地域で、古い町並みが残っていて、市電沿いには、今も、大阪市内では最古級の町家が残っている。当時の上本町線は、大阪市電のメイン路線で、車両は3001形が集中的に使われていた。
総本家青信号特派員様
廃止直前の1968.12の上本町線上本町六丁目付近の14系統の3001形です。
正面が近鉄百貨店上本町店で1階が近鉄大阪線の上本町駅(現、大阪上本町駅)のコンコースになっています。
快速つくばね様
懐かしい写真、ありがとうございます。近鉄上本町駅は、上六交差点のシンボルでした。大阪市電の書籍にも、ほぼ同位置から撮った写真を載せて、「ローマの古城のような」と言うキャプションを作りました。開業当時の大軌電車のターミナルビルであり、現・阪急大阪梅田駅よりも早い、大阪における最初のターミナルビルでした。のちに大軌百貨店が入店し、関急百貨店、近鉄百貨店となりました。建物は昭和46年に解体されて現在のビルになっていますが、写真手前の近畿日本ツーリストのあるビルは、今でも、そのまま使われていました。
最後の写真は大阪独特のペンキ塗料系の小売店舗が背景にあり、今でも業界には独自の存在の大手のロックペイントと、もうひとつカシュー塗料という見慣れない塗料の看板が出ていて、どんな字を書くのだろうかと、気になり調べていました。今は無いかもしれないと思いましたが、ありました。
カシュー塗料はカシューナッツから作られた独自の光沢と保全性のある塗料で、おそらくこれは四天王寺付近の寺院と仏具店を顧客にした仏具用の光沢塗料として、販路の多いこの地区に店を出されていたようです。
私はまち歩きと写真風景を撮るのが長年の趣味で、この前の写真展に来ていただきありがとうございました。地味ですがこういった定点観察を続けることで、町の歴史や地層が判るような気が致します。リンクを貼っておきます。
https://isuke-kyoto.com/products/paint/cashew/