北海道の路面電車
“なりゆきまかせ”、まずは前シリーズ「北海道の蒸機」に関連して、北海道の私鉄、路面電車、蒸機などを順に載せていきます。まず路面電車ですが、縮小されたとは言え、現在でも函館、札幌で元気な姿が見られるのは嬉しい限りです。人口が増加して循環線を延長した札幌は別として、人口が減少して路面電車の経営基盤を揺るがす函館が頑張っているのには拍手を送りたくなります。以下の写真を撮ったのは、昭和43年9月の初渡道のときで、五稜郭機関区で写したあと、五稜郭駅前に停車している函館市電600形を写したもの。函館には、いくつかの枝線が出ていて、本線の一部を成す路線が国鉄五稜郭駅前まで伸びていました。昭和53年1月に廃止されています。
▲函館市電600形、昭和29年製で601~605がいた。前面が変則二枚窓、前中後の三枚扉と、独特の番号書体と、ユニークなスタイルをしていた。扉は多客時を考慮したようだが、実際は中央扉は閉め切り扱いだった。昭和44年からワンマン化改造が始まったので、ツーマン時代の最後の撮影、しかし長持ちはせず、昭和48年には廃車されている。
▲いっぽう、こちらは苗穂駅前の札幌市電。五稜郭と苗穂、いずれも中央駅からひと駅、機関区があって、市電も伸びてきていた訳で、共通項が多い。この時も機関区の撮影後に駅前で撮影した。西四丁目線(札幌駅前幹線)の道庁前から東へ伸びて、苗穂駅前が終点だった。電車は560形563号で昭和27年製、550形とともに初の前中扉の左右非対称車となった。昭和46年までに廃車されている。なお市電は日の丸を掲げているが、別に祝日ではなく、この日は北海道ができて百周年に当たり、この日の午後に天皇・皇后もご臨席されて、札幌で記念式典が行われる記念すべき日だった。この路線は、昭和46年10月に廃止されている。
▲先代の札幌駅が背後に見える、札幌駅前に発着する市電。朝の7時過ぎでまだ閑散としているが、ラッシュ時は多くの乗降客で大賑わいしていたことを思い出す。右手の茶色の建物は五番館デパート、2年後に開かれる大阪万博の予告時計が掲げられていて、当時の国家的プロジェクトだったことが分かる。電車はA830形831+832の連接車で、昭和40年にできたばかりのホヤホヤだった。この編成は名鉄へは行かず、札幌で一生を終えている。2、3年前、札幌駅前に立つと、駅舎は建て替わり、高層ビルが林立し、道路も中央分離帯ができて、全く様相が変わっていた。歩行者はみんな地下道を歩き、地上に人の気配がなかった。
函館市電は、600形より古い500形のラストナンバー530が健在で多客時に稼働しているようです。
昭和44年9月11日、函館駅前、ワンマン改造前の528です。
藤本様
コメント、ありがとうございます。函館市電の500形、600形ともに13m超えの大型車だったのですね。京都市電だと、900形よりも長く、500形に近い長さですから、3扉になったのも分かる気がします。
昭和42年9月9日、札幌駅前のM101+Tc1です。M101は、現在も健在ですが、近々廃車されるようです。それまでに、コロナが収束すれば、見に行きたいと思っているところです。
藤本様
連続投稿、ありがとうございます。親子電車も満員ですね。札幌市電の乗客数がどんどん伸びている時期で、親子電車も連接車も、その対応のひとつだったと思います。京都市電が連結車を導入したのと似ています。
出遅れてしまいました。
函館では500形がすぐ思い浮かぶのですが、600形は知りませんでした。関西では馴染みのない1,372ミリの軌間だったとは、恥ずかしながら最近知ったばかりです。ですが、草色とクリームの車体色は見覚えがあります。昭和51年に函館駅前で見た700形、800形が同じでした。
五稜郭駅前の603号、たっぷり鑑賞させていただきました。鉄道施設やチラッと見える貨車の色合いが分かるのも、カラーならではですね。
603号の系統板の下に赤で「に」のように見えるのは、函館駅前にあった百貨店「棒二森屋」の広告だとネットに出ていました。かつては3軒の百貨店があった函館駅前も、すっかり様変わりしたようですね。
いつも的を射たコメントをありがとうございます。函館市電600形は別に意識して撮ったのではなく、五稜郭機関区で撮影を終えて、駅前に行くとたまたま停まっていたので、撮ったに過ぎませんが、特徴のある電車でしたね。紫の1863さんも撮っておられますが、私は独特のカラーが好きです。国鉄の制定色でいえば淡緑6号ぐらいでしょうか、国鉄の車両には採用の無い色です。札幌市電とも似ていますが、札幌は上が濃いクリームで、やや鈍重な印象ですが、函館は明るいクリームでたいへん軽快な感じです。棒二森屋は、“ボーニ”と呼ばれていたと思いますが、駅前はきれいになったものの、百貨店もなくなり、さびしい駅前になりました。