快速急行

奈良の駅名研究家さんより「快速急行の停車駅名」と題して5月23日に投稿があった。私は駅名を研究をしていないのでコメントはできなかったが、これまで撮った関西、関東の私鉄快速急行を発表してみたいと思う。併せて、本題から外れるが快速特急も数枚用意した。

快速急行の最初は奈良-三宮間の直通列車1027である。2022年7月21日近鉄奈良線の石切駅で始めて下車した。生駒のトンネルを大阪側に出た所にあるカーブした駅である。▼

阪神電鉄の香櫨園駅はカーブした下り普通列車4連を撮るにはいい場所である。香櫨園は昔は海水浴場がありここで泳いだことがある。2022年12月17日この時は近鉄の上下快速急行がすれ違ったが手が震えてピンボケ。左奈良行き後部5801と右三宮行き先頭9730。▼ 続きを読む

豊橋鉄道東田本線(豊橋鉄道市内線)

5月26日にはDRFCクローバー会のイベントで豊橋鉄道市内線、名鉄西尾・蒲郡線を訪ねるツアーが開催され、現在15名の方から参加申し込みを頂いています。
そのメンバーのおひとりである丹羽さんより、豊橋鉄道市内線の珍しい写真を送っていただきましたので紹介させていただきます。丹羽さんは、湯口さん、沖中さんと同世代の大先輩ですが、昨年の長良川鉄道の乗車会に参加され、今回も参加申し込みをされました。
丹羽さんはよく海外に行かれ、昨年発行したクローバー会会報第6号には英国ブラックプールのトラム、終戦直後の名鉄の思い出を投稿されました。
今回送っていただいた写真は1961年から現在まで幅広い年代のもので、今回はすでに廃車された車両についてご紹介をさせていただきました。尚、写真はプリントしたものを頂き、私の方でスキャンしましたので、画質が落ちてしまいましたがお許しください。
↑ モハ200形(203号)1962.1撮影
旧旭川市街軌道12号で、1949年2月に4両購入した。1965年5月廃車 続きを読む

5月の台湾(5月6日)その4

第4日は、猴硐の付近をうろうろしました。
猴硐は、東部幹線の北方、瑞芳の隣で普通列車と莒光号が停車する駅です。一般には猫村として猫好きな人がよく訪れる場所でもあります。ここに来たのは終焉が近づくDR3100自強号を撮るためです。柴連(ディーゼルカー)自強号は、DR2800~3100が東部幹線、南廻り線と非電化区間を含む路線の速達列車として活躍しましたが、2020年の環島全線電化により相次いで引退。現在、車齢の若いDR3100のみが樹林ー花蓮間に2往復が運行されていますが、全線架線下を走る柴連自強号運用はもうすぐ終わるようです。特急「花嫁のれん」のように全線電化区間を走る優等列車は他にもあるので、引き続き波動輸送用等でも存続してほしいものです。柴連自強号は、基本編成が3両×3編成の9両、繁忙期は4編成となり12両で走っていて、モノクロスながらなかなか迫力がありました。台湾と言えば、非電化の南廻り線を力強いディーゼルがゆくイメージだったので、消滅は寂しいのですが、こればかりはどうしようもありません。
▲R150型の最終番
エンジン音ははっきり言ってけたたましく、遠くからでも近づいてきたことが判ります。これに比べるとDD51やDF200の何と静かなことか。

続きを読む

今読んでも面白い老人文章

最近、2009年11月29日の大阪通信員さんの「通信だより」にコメントがあり、通信員さんの女性車両誤乗の話に加えて乙訓の老人さんの京都名物(?)のアイスクリームの天婦羅などの話に飛び、多くの方々からコメントが入っている。乙訓の老人さんは電車に関しても独特の隠語が入っているがとにかく面白い。今さら言うのも失礼かと思うがとにかく文才抜群と思う。

これだけではつまらないので吉田さんの札幌市電の続きを始めさせていただく。ローレル賞を取ったA830の一部が美濃の国に行った話をしたが早速紫の1863さんが美濃時代の写真を入れてくれた。札幌時代のA830の写真が少ないので拙写であるが、駅前の姿を発表する。1969.3.10 北24条行きA833 ▼

総本家さん程うまくないがもう1枚。1969.3.18  北24条行きA838 ▼

「あんな。札幌のA830はやなー。」 京阪、京都市電だけではなく日本全国の電車、ドイツの路面電車にも造詣が深くデジ青にも必ずと言っていいほど説明をいただいた日々が懐かしい。改めてご冥福を祈りたい。

 

愛知県の気になる乗り物

少し前の話となりますが、青春18きっぷを使って愛知県の気になる乗り物に乗ってきました。
東海交通事業城北線、リニモ、ガイドレールバスの3か所です。このうちガイドレールバスは鉄道の範疇に入るのかと気になったのであえて気になる鉄道ではなく、気になる乗り物とした次第です。
最初に訪れたのは東海交通事業城北線です。名古屋の隣の枇杷島から中央線の勝川に行く全長11.2kmの路線です。名古屋という大都会を走るのに愛知県唯一の非電化路線です。開業は1991年と新しく、当初は瀬戸までの計画路線でしたが、勝川以遠はその後工事は凍結されたままになっています。
↑ 枇杷島駅:名古屋方面と線路はつながっていますが直通列車はありません。地平の駅を出ると東海道線を越えて高架となります。
続きを読む

大相撲夏場所が始まりました。

過日の日経新聞に相撲列車という記事が載っていました。車輛については書かれていませんが、裸の力士が通路に座っているというのと、やはり二人席を一人で使っている画像が面白く転載してみました。室内妻面の色から車輛は185系と思いますが、客車時代の団臨相撲列車は楽しい混成の編成が組まれていたんでしょうね。

 

2箇所で撮った名鉄モ750形

「お城と鉄道」では思わぬところで岐阜金華山の岐阜城が紫の1863さんや西村雅幸さんから市内線の電車とともに紹介があり、さらに話が谷汲線まで飛んで嬉しい限りである。岐阜市内、揖斐線、谷汲線で活躍したも510形とともに最後まで残っていたモ750形についてもその前に活躍していた瀬戸線のそれも同番号で紹介するが尾張や美濃を75年間も走り去った老優であった。

モ750形は1927(昭和2)年、旧名古屋鉄道デセホ750形として10両製造された。本線昇圧後広見線系統、その後瀬戸線に移り活躍した。そして瀬戸線昇圧で揖斐、谷汲線に転属し2001年9月30日両線の廃止とともに廃車となった。モ755は旧谷汲駅舎とともに保存されている。

 

1972.9.11 瀬戸線尾張旭₋三郷間 準急瀬戸行きモ755+ク2222 後のガソリンカー改造と思われるクハが気になる。▼

続きを読む

2024年春のミニイベント「比叡山を巡る鉄道」

今回の春のイベントは、電車・ケーブル・ロープウェイ・ハインキングで、「比叡山を巡る鉄道」企画しました。実施日の2024.4.13(土)は、お天気にも恵まれて、絶好の行楽日和で、9名の方の参加をいただき、開催いたしました。
コースは、①集合 叡電 出町柳駅→八瀬比叡山口駅、②比叡山ケーブル 八瀬ケーブル駅→ ケーブル比叡駅、③比叡山ロープウェイ ロープ比叡駅→比叡山山頂駅 ④比叡山延暦寺他周辺散策(バス・ウォーキングのコースに分かれて) ⑤坂本ケーブル ケーブル延暦寺駅→ケーブル坂本駅 解散 です。
当日は、9時半に出町柳駅に集合出発し、電車・ケーブル・ロープウェイとも順調に乗車でき、また行路途中に京都市内の景色も十分に眺めることが出来ました。(前回私が来たときは、紅葉シーズンでもあったため、時間が少し遅かったのもありますが、各々の乗り物に、2便乗車待ちがありましたので) そして山頂駅到着後、①ウォーキング組4人、②バスで横川方面に行く組5人と分かれて行動することとなりました。私は約1時間のウォーキングで延暦寺を目指すコースを選択しました。
ウォーキング(ハイキング)コースで一路延暦寺へ。途中かなりの人がハイキングそしてジョギングを楽しんでいました。延暦寺では、根本中堂の改築風景見学、そばを食べて、集合場所である坂本ケーブル、ケーブル延暦寺駅へ。集合時間の14時より早い時間に到着し、延暦寺駅舎内を見学。駅舎は開業(昭和2年)当時からそのままで、重要文化財とか。駅舎の中は、資料館となっていて、また3階の屋上も整備されていて、びわ湖・大津市が眺望できます。そうしている内にバス横川チームも合流し、駅舎をバックに記念撮影。
坂本ケーブルは、全長2,025mあり、日本一長いケーブルです。びわ湖を眺めながら、坂本駅へ。坂本駅で解散して、京阪・JRへのバス組と歩きの組と分かれる予定が、日吉大社山王祭とのことで、バスは運休していました。よって全員徒歩で駅を向かうこととなりました。日吉大社の入り口あたりから、歩行者天国となっており、露店も多く出店しており、すごい人出ででしたが、枝垂れ桜をみながら、一路京阪坂本比叡山口駅へ。なお打ち上げは、京阪山科駅近くの居酒屋で開催し、疲れを癒やしてから解散となりました。皆さんお疲れ様でした! 安達

桜関東版

歳は取り過ぎてもかろうじて桜と電車を撮った。総本家さんの毎度見事な撮影に対し怖気づいているが関東では元気な快速つくばねさんが発表されてホッとした。もう新緑鮮やかな時期で今さらなんやと言われるが私の桜も見ていただきたく発表した。足腰が確実に弱くなっているので小湊鉄道や秩父鉄道にはちょっとしんどいのでワンコイン範囲内での撮影である。

近場でいつも行くのが、井の頭公園、高井戸、稲城、武蔵関、相武台前あたりであるが、今回は歳のせいか撮影回数も少なくなった。

最初は4月7日の西武新宿線東伏見-武蔵関間でここは桜がたっぷりあり駅から近いので年寄り向きだが一般客も多い。西武30000系の各停西武新宿行きでスマイルトレインと言われているがあまり好きになれない。▼

続きを読む

新刊本のご案内

当会では昔から熱心な活動で時々デジ青にもバスを含めて古い車両を紹介されている藤本哲男さんがこの度この世界では有名な諸河久さんと共著(写真・諸河久、解説・藤本哲男)で「地方私鉄の記録第2巻北関東編」をフォット・パブリッシングから発行されました。

藤本さんのプロフィールには同志社大学鉄道同好会HP「デジタル青信号」に多数投稿とあります。諸河さんは路面電車に造詣が深いとご本人から聞いたことがありますが、藤本さんとの出会いは60年前のお互いが高校生時代に京都五条坂の「タカハシ写真店」で店主の高橋弘さんから講義を受けて以来とのことです。

さすがにプロと言われるだけの内容ですが、何よりも定価が安くお買い得の内容と思われますので一度ご覧ください。

 

久しぶりにお会いした親友

今年は3月が低温だったせいか桜が新入学の時期までもったようで今日は入学式があったのかランドセルを背負った小学生を見ると微笑ましく感じました。さて、皆さんもそんな桜と電車を写しにあちこちに出かけられたことでしょう。よくワクヒロさんが近鉄電車と桜を発表されていたことを思い出します。皆さんの作品も老人投稿の間隙を縫ってデジ青上で発表していただきたいですね。大体は近場でどこに行くか予め決めておられると思いますが、関東では東中野や池上線の石川台付近が定番でしたが最近は木が伐採されてアウトです。井の頭公園や高井戸-浜田山、駒場東大前などにはよく出かけますが、今日は高井戸-浜田山間の有名な定番撮影地の踏切で鉄研三田会の不錆鋼さんに出会いいろいろと話が進みました。遅い昼食もご一緒させていただき楽しいひと時が過ごせました。不錆鋼さんはDRFC-OB会に参加していただいておりますが、東急におられた関係もあり伊賀鉄道のイベントでも大変お世話なりました。(私より若い)DRFCの訪台したメンバーの話も聞かせていただきました。先日のクローバー会写真展も鉄道友の会京都支部の会合の参加の前に見学されております。湯口さんが上京された折に元三田会会長の高井薫平さんとのお酒の席に不錆鋼さんもよく同席されたそうです。それでは今日は曇天気味でしたので2年前の令和4(2022)年4月2日に撮った高井戸-浜田山間の1779先頭の急行渋谷行きを貼り付けます。

 

 

 

 

二日市・大宰府をめぐる鉄道交通の発達史 展示会開催中

昨年の西鉄宮地岳線廃線跡探訪、貝塚線多々良車庫見学の際お世話になった吉富さんが主宰されているNPO法人福岡鉄道史料保存会が「二日市・太宰府をめぐる鉄道交通の発達史」展を開催中です。西鉄大牟田線が開業100周年、3月には新駅桜並木駅も開業しました。皆様この機会に福岡、太宰府、筑紫の国へお越しください。

場所 福岡共同公文書館 JR二日市駅からバス・徒歩で約10分

開催期間 9月29日まで 5月26日13時30分~15時30分は講演会「二日市・太宰府をめぐる鉄道秘話あれこれ」も開催されます。

広島駅の大型機の思い出

最近は健康食品とかサプリメントとかやたらに老人向けの広告を見かけるが、そんなによく効くのかといつも疑いの目で見ている。ところで、今日4日の日経新聞の文化欄を見るとこんな記事が出ていた。『 認知症、うつ、孤立に【処方】と題して「絵の中にカエルがいる!」「そういえば子供の時、よくカエルでザリガニ釣ったなあ」。3月上旬の佐倉市美術館(千葉県)、認知症の自覚症状がある高齢者など十数人が絵画を前に話し合った。最初は口数が少なかったが、次第に感想があふれてくる。1時間余りの鑑賞会の後半にはみな笑顔で、昔の記憶がよみがえってくる人も。様子を見守っていた家族は「普段はこんなに話さないのに」と驚き、喜んだ。』(原文のまま)

他人から見たらうるさいなと思われるかもしれないが、懐かしい思い出話をすることは健康にいいと申し上げたことがある。懐メロに加えて最近は小学唱歌なども同様の感じがする。私は一人住まいの後期高齢者であり、認知症、うつ、孤立の予備軍であるが今日もデジ青に拙い駅撮りを出してみた。双方向であるとより楽しいが、気が付けば同年代の趣味人の方は大変少なくなったのが寂しい。勿論、若い方からのコメントは嬉しく返事を差し上げているつもりである。

さて、広島駅の大型蒸機は何回か機関区を訪問して撮ってきたが、今回は1964年4月3日、九州から帰りに広島区に立ち寄った機関区巡りの後の2~3カットを出してみた。広島と言えば三原の西村さんが思い出されるがまだ京都にお住いの頃である。当時は同駅発着の山陽本線旅客列車は特急から普通列車迄C59かC62という最高の役者がそろった駅であった。ホームで列車を撮っていたらもう一つの大型蒸機D52が堂々と貨物を牽引していた。

下り貨物のD52373[広島] 戦時設計の粗悪機であったがこの頃は大分標準装備に改装されていた。関西では吹田に長い間在籍していた。▼

続きを読む

 お待たせしました。明日からクローバー会写真展

持ち場持ち場で頑張る会員たち、ご協力、ありがとうございました。

“デジ青”読者の皆さま、お待たせいたしました。クローバー会第10回鉄道写真展「鉄路輝く」、明3月20日(水)から26日(火)まで開催です。

本日は設営の日に当たり、選りすぐりの準備担当係が参集して午後1時から作業を開始しました。あらかじめ下準備はしていたものの、やはり一点ずつ、手作りで仕上げていくのは大変なこと、当日は平日のため、担当係だけでは、人手が心配でしたが、そこは協調心あふれる心優しいクローバー会会員のこと、米手さん、Tさん、Iさんと、みんな75歳超の高齢世代ですが、会場に駆けつけていただき、最後まで手伝っていただきました。お蔭で午後5時30分には、すべての準備を終えることができ、明るいうちに退出することができました。

続きを読む

東急多摩川駅にて

最近は日本の人口が減少に向かい、特に地方では過疎化が進んで鉄道のローカル線や路線バスの廃止のニュースをよく見る。このような中でも東京だけは人口があまり減らないのか多くの駅で電車がひっきりなしに上下する風景が見られる。東京、新宿、渋谷、池袋、上野界隈がそうであるし先日も総本家さんが中央本線阿佐ヶ谷での複々線4列車総並びを発表されておりその一端がうかがえる。関東では私鉄に目を向けると関西の阪急十三、南海新今宮、近鉄鶴橋のような圧巻的風景は見られないが東急東横線の多摩川駅では実に多種の電車が見られる。特に最近は神奈川県内のみ(横浜-海老名間、支線の二俣川-湘南台間、厚木貨物線)の営業であった相模鉄道がJRや東急と相互乗り入れを実施して東京心部や埼玉県まで顔を出すようになったことで多摩川駅の車両のバラェティを深めている。

東急多摩川駅では東急の他、横浜高速鉄道(みなとみらい線)、東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道、東京都、埼玉高速鉄道、そして相模鉄道が加わることにより8社の車両を見ることができる。各車両ほぼ同じ位置の単調で面白みに欠ける記録であるがこれだけの会社がそれぞれ2~3種類の車輛を投入してくるので飽きることはない。併走も含めて発表してみる。

まず最初に今回の定点多種車両撮影に至った起爆剤的な相模鉄道についても若干触れてみたいと思う。独特の単一カラーでよく目立つ相模鉄道通称相鉄は以前は準大手私鉄の位置づけであったが、1990(平成2)年4月にいずみ中央駅まで延伸されたのを機に同年5月31日正式に大手民営鉄道として認定を受けた。相模鉄道の歴史がややこしいのは相模鉄道とは現在のJR相模線のことで大正6(1917)年に創立され、現在の相模鉄道は当初神中軌道、後に神中鉄道となった鉄道でやはり同時期の創立である。昭和18年(1943)年には神中鉄道は相模鉄道に吸収合併され、元の相模鉄道自身は1944年に国有化され残った神中線が相模鉄道となって今日に至っている。その間相模鉄道は東急になったり小田急の干渉があったりして紆余曲折の歴史があったが横浜駅西口(相鉄ジョイナスや高島屋のある所)の土地買収により安定的な経営をするようになったと言われている。私が最初に見た相模鉄道には神中時代の汽車ポッポのムードが残っていた。駅の改札口は木製のラッチが多く海老名などは田圃に蛇が出てくるような田舎であった。1955年の流線形湘南窓ボディマウントの5000系や続いて登場した1961年の6000系20メートル車の導入で大手に近づいて来たように思う。5000系、6000系の写真である。

1972.2.20 大和付近を行く急行海老名行き5011。湘南窓に車体下部を覆ったスタイルに人気があったが直ぐに更新改造されて消えて行きそのスタイルが惜しまれる車両である。▼

続きを読む

DF50思い出写真(10)山陰本線

DF50は北海道や関東地方を除き概ね各地で見られた。伯備線、大社線や中央本線では撮ることができなかったが、0番台スルザー形(ズルツアー形)65両、500番台マン形73両計138両の走行線区は一応網羅したつもりである。

最終回はDF50が健在であった時代にDRFC-OBの皆さんが日常よく見たり乗ったりされた山陰本線である。所属は勿論DF50が大量に配属されていた米子区である。

最初は1969.5.4京都駅山陰線ホームから撮ったDF50525である。カラーでなく残念であるが旧塗装(新製時の茶系)の方が急行を含め旧型車を牽くのに似合っており私は古い色が好みであった。▼

続きを読む

東進続々

小湊鉄道は昼過ぎには切り上げて東京へ戻ります。五井からJRだけで速く戻れるのですが、せっかく東京まで来ていて、少しは時間もあるのでここは京成電鉄に乗ってみることにしました。泉北高速鉄道と同じく新京成電鉄も社名が消滅すると報じられているので、その前に乗ってみようとも思いました。またSNSにアップするような投稿ですがご覧ください。このような投稿なら日常フェイスブックに出しているものとほぼ同じですので簡単に出すことが出来ます。丁寧に過去の資料の下調べをして投稿をされる先輩からはお叱りを受けそうですが、ご容赦願います。

▲新京成電鉄8800型 京成津田沼 京成もそうですが標準軌で18メートル級車体3扉というのは関西では京阪や阪神もほぼ同様なので親しみを感じます。

続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2024年厳冬の旅 Part4 南廻線を行く

第4日目 1月26日

今日はツアー参加の皆さんと合流する日です。各自の行程がLINEで送られてきていますが、殆どの方は台東のホテルへ着かれるのが夕刻以降です。私は既に高雄に居りますので午前中でも合流は可能です。誰か早くに合流できる方はおられないかと探していましたらブギウギさんが昨夜は花蓮に宿泊されて「花蓮6:35(莒光602次)⇒9:48台東、莒光701次到着を撮影後、台東10:17(新自強372次)⇒10:46金崙」という投稿が入っていました。私もほぼ同じ行程を立てていましたので金崙大橋でお会いできるだろうとホテルを出発しました。

① 高雄 6:40(莒光701次)⇒9:12 金崙

【 ドジ一発目 】
高雄車站へはMRTで向かわなければいけませんが、ホテルの最寄り駅「巨蚕站」始発は 6:12です。高雄車站までの所要時間は約14分ですので十分間に合います。
朝5時半には起き上がりチェックアウトをして巨蚕站へと向かいました。
5:45 ホームに下りましたが始発電車なのに待っておられる客が多いようです。直ぐに電車も入線してきましたが始発にしては多い感じがします。
6:00 台鉄高雄站に着きいつものようにきっぷ自動販売機に入力して莒光701次のきっぷを購入しようとしますがモニターには表示がされません。壊れているのかと隣の販売機に同じことをしますが同様です。腕時計を見ても間違いありません。
どうしてか聞こうと有人カウンターへ行って莒光701次のきっぷが欲しいと言いますと「明日のきっぷですね。発券しますか?」とトンチンカンな返答です。
ここで初めておかしいと気づき駅の時計を確認しますと、7:00が表示されています。腕時計は6:00と1時間違っています。
どおりでMRTの乗客が多かった訳です。
台湾に着く前に飛行機の中で台湾時間に合わせていました。昨日まで間違っていませんでしたがなぜか日本時間に変わっていました。これでは何度きっぷ販売機に入力しても希望する列車は表示されません。
改めて今からでも間に合う新自強 415次のきっぷを購入しました。

① 高雄 7:48(新自強 415次)9:36 台東 
続きを読む

東進続

東武鉄道を撮った翌日、あいにくの雨でしたが小湊鉄道へ向かいました。小湊鉄道はJR東日本からキハ40を導入し、さらに魅力がアップしたように思います。もちろんキハ200も車体の造形だけでなくDMH17エンジンを搭載し貴重な存在ですが、今や原型に近いキハ40が走るのはとても素晴らしいことです。午後には東京に戻らねばならなかったので、昼からは雨も上がるとの予報だったのですが、消化不良な撮影になってしまいました。こちらも次回以降再訪の宿題です。それにしても首都圏には面白い非電化私鉄がいくつもあり羨ましい、と思います。他にも数を減らしていますが関東鉄道には在来車のキハ0系やキハ532、鹿島臨海鉄道には6000系が最後の活躍を見せています。さよなら運転とかですと、人が殺到し激パ状態となり一気に戦意喪失してしまいます。そうならないうちに行くのです。行くのなら今です。

▲キハ401 五井 もとの番号はキハ402021 コイルサスなので暖地仕様です。

続きを読む

東進

先日2月のはじめ、久しぶりに東京へ行って参りました。特別な列車が走るとかさよなら運転があるとかではありません。ただの日常です。東武鉄道は、車両や線区のバリエーションが広くなかなか興味深い存在だと思っています。本当は、奥地に行ってSLやうまく行けば野岩鉄道に残る6050系も、と考えていたのですが都合により叶いませんでした。次回以降の宿題です。その代わりと言っては何ですが、大師線と亀戸線に初めて乗ることが出来ました。SNSに載せる写真日記のようですが、ご笑覧ください。

▲新鋭スペーシアX、思っていたよりも白が映えます 獨協大学前

続きを読む