姫神山

C6120牽引の臨時急行「ひめかみ」号に乗ったことがあるとコメントしたところ、総本家さんから懐かしい響きだと言われた。そこで2002年11月3日に撮影した姫神山をバックにした485系の盛岡発函館行き特急「はつかり13号」の写真を掲載させていただく。調べてみると姫神山は1000mちょっとなので六甲山より少し高い程度であるが、山容が綺麗である。付近の岩手富士や青森の岩木山、八甲田山ほど有名ではないが二百名山の一つだそうである。東北と言えば今の時期は盆休みで大勢の人が帰省したことを思いだすが、私のような高齢者には帰省できない人や故郷で待っている人に同情したくなる。余命いくばくもなくなると特にそう思う。▼

コニカはコニカで信貴電 いいと思うよ!

 フィルムを手巻きをするカメラが4台ある。一番古いのは「KONICAⅡ」である。このカメラは1951年に発売したカメラで、私の生まれたのが1951年である。当時はかなり高価なカメラであったようである。それを知ったのは富山で単身赴任中に福岡町にある「ミュゼふくおかカメラ館」に展示されていてその説明文に書かれていた。どのようないきさつで購入したのか全く聞いていない。今となっては謎である。

 上の写真にある左側が「KONICAⅡ」で右側が「ペンタックSP」である。今回復活したのは「ペンタックSP」の左隣の「コニカC35フラッシュマチック」である。使えるのだろうか?裏ブタを開けてみるとスポンジのようなものがボロボロになっていた。

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客車廃車体訪問記 内地編71 香川県-2

【某医院敷地】 34.326691, 134.067782 2015年1月2日
スユニ50 2058
高松市の小児科医院敷地に台車付きで置いてある。1-3位側は建物とくっついていて往き来ができ、小児科なので、子ども用待合室のような用途であろうか。開業医の施設としては、湘南電車だったかの診察室を思い出す。
琴電長尾線に近く、電車からも見えるかもしれない。訪問時、現車は明るい青色に塗られ綺麗な状態であった。屋根上に箱状のものがやや千鳥配置に7個あるが何であろうか。
◆スハ43 207(1952年新製 日車)→1966年近代化改造 多度津工→(1981年改造 幡生工)スユニ50 2058→1987年廃車
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小田急初代3000形SE車保存車と5連時代の姿

毎年行われている海老名でのフェスティバルで最新鋭の70000形と並んだ保存車。撮影は2019(令和元)年5月26日で罵声こそ飛ばなかったが撮影場所に行きつくのに難儀した。超高齢者には危険である。▼

連接部分の台車を見てみるとかつてどこかで見たことがあるバネの多いスタイル。▼

 

晩年は5連で「えのしま」号、御殿場線乗り入れの「あさぎり」号のほか5+5の10連特急などにも使われていた。この車両は大井川にも譲渡されたがどこかで「同志社」号のヘッドマークを付けたことがあると思うがどなたか写真があれば紹介していただきたい。下の写真は1969(昭和44)年頃渋沢の新松田よりで左手の富士山に雲がかかってしまった。御殿場線からの新宿行き「あさぎり」号である。▼

車内

先日まほろばの鉄趣味住人さんから子供の頃によく宝塚ファミリーランドに行かれた話が出ました。当時阪急電車の広告は阪急グループのみと聞いたことがあります。写真は雪の日(1969年3月4日)に夙川から次の西宮北口に向かう934号の車内を撮ったものです。いつも厳しい米手作市さんが最近は寛大で優しく、多少きずがあったりボケていても投稿することが大事だとかいわれたことにつられてほん僅かの投稿をします。多分車内でフイルムを入れ替えて1枚目がご覧のとおりとなった傷物です。宝塚ファミリーランドを始め西宮球場のオープン戦や宝塚大劇場、阪急交通社など確かに阪急グループだけです。車内ではお客さんは新聞を広げています。今ならマスクにスマホでしょう。高校生の帽子は私のもそうですが白い2本線が入っていました。私の高校は男子は全員坊主頭でした。私鉄経営の遊園地もほとんど消えていきましたが、西武の豊島園も今夏で終了です。▼

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忘れられた下津井電鉄のモノクロネガ

 古いネガを調べていたら、見覚えのない下津井電鉄を写したモノクロネガがでてきた。どうもなぜか自分が撮った感じがしない。見つけてからそのままにしていたのであるが米手さんの「昭和の電車」で下津井電鉄モハ50型を見て、もう一度よく見てみた。最初に見た時はオヤジが撮ったと思ったのであるがどうもよくわからなかった。自分が撮ったのか、オヤジが撮ったのか、ようわからん。しかし、自分の写真とは作風が違うような気がするのであるが・・・

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私が撮った阪急今津線の車両(6)

井原 実さんから思わぬ2300系のコメント投稿を頂き感謝感激しております。

6000系は2200系の車体に5100系の機器を装備して130両製造され、2200系から編入の10両を加えると140両となる。1976(昭和51)年から製造され出力は140kw×4で2200系からのT形ワンハンドルマスコンを採用している。アルミ試作車が2両ある。

今津線での6000系の当初の姿は白黒のこの写真しかない。1992年4月1日 仁川-小林間の宝塚行き6114で右側の樹木の方向に熊野神社がある。▼

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私が撮った阪急今津線の車両(5)

オートカー(人工頭脳電車)と言われた当時の神戸線2000、宝塚線2100、京都線2300(2800)系は当時のエース的車両であったが、今津線ではいずれの車両も撮ったことがない。また、これらの車両は今日に至る新鋭車両まで基本的に同じようなスタイルが継承されおりそれだけ完成された車両であると思うが、画一的で面白みに欠ける。ファンというのは勝手なもので変化を好み多種多様な車両を好む傾向がある。そういう意味で2000系あたりからの車両は興味が薄れる。

さて、2000、2100を撮っていないとなると次は3000系である。最近まで現役であったことはかなり長生きした車両と思う。昇圧即応車として1964年から114両製造された。電動車の出力は170Kw×4。

 

2010.03.27 仁川駅は駅の横が川である。表示幕と尾灯、標識灯改造前で当時、行先板を付けた車両が残っていて話題になった頃である。仁川始発の西宮北口行き3058▼

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私が撮った阪急今津線の車両(4)

前回の1000形の発展型量産タイプで1956(昭和31)年より神戸線1010系35両、宝塚線1100系51両が製造された。両型式とも今津線での撮影が少なく1984.04.01小林駅の1112くらいしか記録がない。2扉車や3扉車が混在したが最終的には前照灯が2灯化され、全車3扉に統一され、1010系と1100系の違いはほとんど同じで見分けがつかなかった。▼

 

 

京都線の1600系と同じ考え方で神宝線の1010・1100形式と同じ車体に旧型車の台車、部品を流用。最終的には台車は900・920形、電気品は600形を流用したとあるが、この時代の阪急のタライまわしは難しくて理解しがたい。1200系は1956(昭和31年)から20両製造されたがその一生はほとんど宝塚線で過ごしたと言っても過言ではない。1978年3月18日門戸厄神-西宮北口間の撮影で行先板には仁川-西宮北口とあり、これも競馬開催時の臨時電車と思われる。▼

 

私が撮った阪急今津線の車両(3)

京都線710形と神宝線810形は異なる両線の車両を統一規格にしたことで有名である。再度ややこしい話をすると京都線710形のトップナンバーは711号で710号は700形である。神宝線のトップナンバーは0から始まるので810形のトップナンバーは当然810である。ナンバーを神宝線にあわせたのは5300系からである。阪急統一規格のそれ以降の車長は19mで810形はその先陣を切って今日まで続いている。製造は昭和25(1950)年で710形共々新性能電車への過度期の車両でいろいろ試行錯誤している点で興味深い。前照灯が大きく窓も900・920形、800形に比べて縦長で大きくなり私の最も好きなスタイルであった。最初の810~813(Mc)、861~863(Tc)の8両はクロスシートであり複電圧車であったが、どういう訳か運用の都合で今津線にまぎれこんできたことがある。深々としたシートにランドセル姿で乗ったことがある。当然2連であった。残念なのは台車がKS33イコライザーであったことである。814以降も細部等変更があったが台車がゲルリッツ式FS103になり乗り心地がよさそうで全体のスタイルはこちらの方が上と考えた。しかし、ロングシート車である。晩年には3扉化し前照灯のシールドビーム2個ライト化で男前を落としたのは残念である。出力は140kw×4、170Kw×4ともありよくわからないがいずれにしても大出力のMT編成であった。

 

1969.03.04 仁川 雪の日の宝塚行き後部810 ロングシート化されて年月が経つが均整の取れたスタイルはそのままである。▼

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客車廃車体訪問記 内地編70 兵庫県-3

【ブルートレインキャンプ場】 34.810668, 135.297039 2013年1月5日撮影
ナハネ20 239
ナハネフ22 25
高校2年の遠足が蓬萊峡だった。クラスの誰が発案したのか知らないが、宝塚駅から往復徒歩で文字通り「遠足」であったが、不思議と文句をいう奴や落伍した奴はいなかった。先年の福知山線廃線跡ハイクで大多田橋を通ったが、そこからの道路に歩道がないので現在はとても危険で不可能であろう。
このキャンプ場は蓬萊峡の近くで、県道51号のヘアピンカーブ付近に阪急バス「座頭谷」停留所があるが、これ以外にここにやって来る手段はなさそうである。客車以外に貨車が多数いて、車掌車なのに「ハワム583422」(書体は本格的である)と標記してあったり意図が不明なものもある。
最近キャンプ場をGoogleマップで見ると、上の画像2両のうち右のナハネフ22 25がいなくなっているように見える。
◆ナハネ20 239(1968年新製 日車)→1998年廃車
◆ナハネフ22 25(1963年新製 日車)→1998年廃車
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