7年半のトレインビューを振り返って 5

⑤ 珍しい運転
雪が降りしきる午前中にカメラを構えていると、大きな地響きと雪けむりを巻き上げて、トワイライト塗装のEF65 1124が単機で通過した。「雪の中、どこへ行くのだろう?」と思っていたが、あとから「架線に付着した雪を取り払うために、重量のある電気機関車が投入される」と知った。

撮影:2017年1月15日



EF510形 レッドサンダー同士の牽引。EF510形はEF81形の後継機として平成13(2001)年から製作している交直流電気機関車。0番台は23両あり、「ECO-POWER レッドサンダー」の愛称がつけられ、赤色に塗装されている。全機富山機関区所属:

撮影:2017年5月27日

EF200形がDE10形(嵯峨野観光用?)を牽引している。EF200形は平成2(1990)年から21両製造された直流機関車。当時の景気拡大局面に伴う輸送力増強に貢献した。2019年3月までに運用を外れ、EF210形が引き継いでいる。

撮影:2017年5月18日

DD51形+DE10形の重連。配給列車の運ぶものが機関車本体(DE10)で、それをDD51が牽引しているのかも知れない。「親子」の様だった。

撮影:2019年4月13日

281系はるか号の「スッピン」姿。増結3両の回送は運用の都合で時々見られた。2019年初頭から始まったキティちゃんラッピングは6両の基本編成から順次ラッピングが進み、翌年3月ダイヤ改正のオール9両時に3編成がラッピングされ、3両6編成の271系が新車で配置された。コロナ禍の一部運休を経て、2023年8月頃から運転間隔や両数が2020年3月の基準に戻った。(続く)

撮影:2019年4月7日

7年半のトレインビューを振り返って 5」への8件のフィードバック

  1. 勘秀峰様 日々のちょっとした撮影が、時を経て貴重な記録写真になってゆきます。そういえばEF200という機関車を時々見ていたなと思い出し,探してみたところ、2016年4月22日に山陽本線本郷・河内間で東京メトロの新車を牽くEF200を撮っていました。地味な機関車で、カッコ良さを感じませんが、いつのまにか過去の機関車になっていたのですね。このシリーズの続編を楽しみにしています。

    • 西村様
      EF200の牽く甲種輸送の貴重な写真、ありがとうございます。山陽本線は瀬野~八本松より東も景色の良いところが多く、初めて普通電車で倉敷から広島まで乗った昭和51(1976)年には入野駅付近の景観を見て大変美しいと感じたものでした。
      地味な機関車で無骨な面構えのEF200の写真です。平成29(2017)年4月12日、バックはサントリーの工場です。

  2. 最近は機関車を見る機会が少なくなり、どんな形式があるのかさえ分からなくなりました。EF200は撮っています。並外れたハイパワーがあだとなり、短命に終わったのは残念なことです。私は登場時の塗装を気に入ってました。
    添付の画像は1999年10月、東海道本線近江長岡‐柏原で捉えたEF200ですが、もう25年も経ってしまいました。

    • EF200は、EF66をはるかに上回る最強機関車で、それがために、寿命を縮めたようです。私も、紫の1863さんと同じ場所で、角度を変えて伊吹バックでEF200を撮っていました。

      • 総本家様
        EF200、横から見たら格好いいです。無骨な感じはさらさらなく、INVERTER HI-TECH-LOCOのロゴが誇らしげです。最強の機関車故に、扱いにくく世話をするのが大変だったのでしょうか。
        私も伊吹山をバックに鉄道を写しています。新幹線0系を昭和49(1974)年3月に撮影しました。車で移動中にたまたま通過しました。当時は防音壁もなく、車輌全体が写っています。

    • EF200の登場時の塗装を見ていると、違う形式の機関車のようですね。1863さん貴重な写真、ありがとうございます。
      EF200が誕生した当時はJR民営化間もない頃で、バブル景気でしたから、「技術の粋を結集してJR貨物が誇る性能の電気機関車を造ろう」と言う機運が世の中全体にあったのかも知れませんね。
      鉄道車輛も、違った環境に幅広く適応する形式は、たとえピカイチの性能ではなくても、長く使われるのかも知れません。

  3. 勘秀峰さま
    雪の日にも戦闘的に撮っておられたのですね。私も雪狙いで調子踏切へ行ったことがありました。通常は夜間通過の上りブルトレが白昼堂々と通過する、雪ならではの情景も撮れました。むかし、山科の人間国宝が、ラジオのニュースで東海道・山陽が事故不通の報があると、きっと遅れの列車があると、山科のカーブへ向かわれ、夜行列車を次つぎ撮られたと聞きました。

    • 総本家様
      調子踏切付近を走る雪の日の「さくら」、ありがとうございます。さくらは長年、上京するブルトレの中でしんがりでした。平成8(1996)年の時刻表では京都着が5:04となっています。雪の季節は日の出が遅いですから、2時間以上の遅れでないと、写真は撮れなかったのではないでしょうか?
      さくらは長崎16:54分・佐世保17:21発で東京には11:29分に着くダイヤで、午前中いっぱいかけて東海道を走る浮世離れした寝台特急でした。写真は東京駅入線のさくら。学生時代最後の旅行で東北方面へ行った時のカットです。昭和53(1978)年2月でした。

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