立体交差化工事中の阪急上新庄駅付近

2021年7月11日付「昭和の電車 改訂版(192)ー阪急2800系ー」https://drfc-ob.com/wp/archives/125554#comments

のコメントで、上新庄駅の地上駅時代と高架後の写真が披露されました。それに関連しまして、立体交差化工事中に撮影した何枚かをご覧にいれます。1974年4月24日の撮影です。列車はできるだけ2800で揃えました。

1.在来線に沿って東側に仮線を作り、旧線を立体交差化しました。旧ホームがあった北寄りに、内環状線を跨いで新高架ホームを作っています。この時点では高架新線はまだ片側(京都行)しかできていません。2817他梅田行特急。

 

2.1地点から梅田方を向いて、2853他河原町行特急を捉えました。高架の注意看板には「電車に注意 見張員が不在の時は踏切内立入を厳禁する 鹿島建設」と書いてあります。

 

3.高架上に、マル試の札を付けた711+761の2連がいました。架線もあり、走行しているようでしたが、あそこまでどうやって行ったのか、相川方でつながっていたのでしょうか。記憶がありません。

 

4.京都方から見たところ。761はホロが付いたままです。

 

5.4地点から京都方を向いて、2811他梅田行特急が来ました。島頭踏切です。

 

6.島頭踏切は当時阪急ワースト1といわれた内環状線の開かずの踏切です。車が少ない時もありました。先頭は2852です。

 

7.同じく内環状線南側から見たところ、河原町行先頭は2373です。6と7を撮影した足場ですが、歩道橋があったのでしょうか。これも記憶がありません。

 

8.工事中の仮設駅は旧駅から東海道新幹線を潜った南側の、カーブしている地点にできました。これはカーブの外側です。

 

9.ホームはカーブの途中にあり、仮設の通路が波打っていますのできついカントがわかります。

 

10.こんなに曲がって傾いた場所では、3300以降はまだしも、2300等が停まったら、電車とホームの隙間(特に中央扉)と車内の傾斜でたいへん危険だったのではないかと思われます。2800は2300と同じ車体幅ですので、ごらんのとおり如何に隙間が広いかがわかります。それにホーム長の余裕が前後それぞれ5m位で運転士も停止するのに苦労したでしょう。空気バネの2814を先頭に、こけそうになりながら通過する梅田行特急。

立体交差化工事中の阪急上新庄駅付近」への10件のフィードバック

  1. 誤答の張本人の四方(80年度)です。初めまして。
    新幹線の高架下あたりから仮設駅あたりまでしか記憶がなく、本来の上新庄駅の位置あたりの記憶が何故か欠落しており、従って昨年まで仮設駅が本来の駅だと勘違いしたまま、生きてきました。お恥ずかしい限りです。
    6車線道路の島頭踏切、ワイヤーが上下するタイプの踏切だったのですね。四日市の太平洋セメントの専用線に1か所ありましたが、ネットで調べてみると、他にもまだ何か所か残っているようです。
    工事期間中の貴重なお写真をお見せいただき、ありがとうございました。

    • 車両本位の撮影ではありませんでしたので全く記憶から消えていて(歳のせいもあります)、順にデジタル化していくうちに出てきただけのことですから、半年以上も遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。それに、元ネタがどれだったか検索して捜しても見つけられず、米手さんに泣きついて教えていただきやっと投稿できました。
      旧地上駅に一度、仮設駅に一度降りただけで、現高架駅はまだ一度も降りたことがありません。

  2.  懐かしい、貴重な写真を有り難うございます。
     上新庄駅付近高架化工事は1972年4月着工、1975年11月28日完了です。丁度島頭踏切の上が高架駅になったとい感じですか。
     それにしても島頭踏切は大きなものですね。改めて実感させて頂きました。
     記憶は遠くなりにけり?昔の上新庄駅はきついカーブがあったなぁという思いはありますが・・
     高架の目的は島頭と前後3ヶ所の踏切道の廃止と、駅のホームが水平になることにあったようですね。

    • 上新庄は3年数ヶ月の歳月を要した大工事でしたが、現在進行中の淡路駅前後の連続立体化工事は、阪急開業以来の超・大工事です。淡路付近は京阪間最古の軌道ですから、高輪ゲートウェイのように遺構が出土すれば見てみたいですね。神崎川の橋脚はどうなったのでしょうか。

  3. 上新庄駅の仮駅時代に一度だけ普通電車で通ったことがあります。そもそもカントで車体が傾いてるのに、さらにホームとの間隔が広くて、当時小学校4年生だったこともあり、これでは乗降時に落ちるかもしれないと思ったものです。

  4. 長く上新庄に住む1971年生まれの者ですが、ずっと探してきた島頭踏切を生まれて初めて見て島頭ならぬ目頭が熱くなっておるところでございます。親から昔の地上の上新庄駅はもっと梅田側にあったと聞いていてそれはひょっとすると仮設駅の記憶だったのかもしれませんね。
    仮設の駅の場所は後ろ側のマンションが一致するので今も自転車の地下通路がある場所だと思います。
    本当に非常に貴重な写真が見れて最高でした。ありがとうございました。

    • 地上の上新庄駅は今でいう新庄小学校の東側(高架の下に道路がある部分)にあったようです。1942年の航空写真にはっきりと写っております。
      昭和3年に京都線が淡路から伸びた時に上新庄駅は出来ましたが、旧西成郡上新庄村と北大道村字嶋頭の間の何もない部分に線路が敷かれました。江戸時代から駅西側は上新庄村として栄えていたので、ちょうど村の東の端に駅が出来たという感じだと思います。

    • 世の中には踏切マニアもおられて(踏切の単行本もいくつか見たことがあります)、時計好きさんもそうなのか知りませんが、島頭踏切をずっと探してこられたとは何か余程の事情があるのでしょう。マンションは塗り替わっていますが、仮設駅はこの場所ですね。地下通路も変わらず残っているようです。ストリートビューでもう少し前進すると、1300の特急が写っていますが、1300を特急で走らせるのなら9300を各停にしてほしいですね。マルーンさんお願いします。

      • 脱線話で恐縮ですが、夜に茨木市駅だったと思いますが、特急待ちで9300の各停を見たことがあります。こちらの特急は1300やったか7300やったかロングシート車でした。
        たまには走ってるんじゃないでしょうか?
        個人としては9300をもう一編成増やしたらとは思いますが・・

      • 井原様、ありがとうございます。私はどちらかと言えば地元の明治時代からの地図を集めていて、江戸時代から続く道を歩くことが好きなようです。島頭の踏切は51歳の私の同級生ではだれも記憶になく、その親の年代なら知っているという感じでした。内環のあの場所に大きな踏切があったとは、いったいどんな踏切だったのだろうとずっと見たかったのでした。
        実際にこの踏切の写真は少ないと思います。大事な資料としての価値もあると思います。

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