同志社大学鉄道同好会全OBと全学生諸君へ(文中敬称略)
我が同志社大学鉄道同好会は戦後の混乱が落ち着き、学生が学生らしい生活が出来るようになった昭和31年(1958)、趣味を同じくする学生達が自然と集まり会を作ったのが始まりであった。京都では京大鉄道研究会に次ぐ二番目の鉄道サークルであった。
ここで鉄道研究会と鉄道同好会の違いについて述べなければならない。読んで字のごとく鉄道を研究する者の集まりである研究会と、趣味を同じくする者の集まりである同好会はイメージとして格段の相違がある。
アカデミックなイメージの京大が研究会で、私大の代表・同志社が趣味的な色合いの強い同好会とは、諸先輩が意図してつけたのかは知らないが実に絶妙の対比であり、「官」に対する「私」の対抗意識がおもしろい。もっとも、その当時の先輩に聞くと、そんな大上段に構えたものではなくアカデミックな学生など見あたらず、集まっては鉄道に対する夢や経験や知識を時には交換し、時には一方的に主張しあっていたという。
しかし、そのような諸先輩の中には客車に関して第一人者の佐竹保雄や地方鉄道の研究家として知られる湯口徹などがいたから「研究会」であっても、一向に差し支えなかったがあえて「同好会」に拘った心意気や良しである。後に続くであろう学生諸君にはこの設立の心を特に理解して頂きたい。
さて、時は流れ21世紀となった今日、学生の気質も変わった。情報の質・量共に向上したためか、社会環境が変わったためか、悪しき個人主義の弊害のなせる技か、趣味をもって集まることを楽しいことと思わず、いや、むしろ煩わしいとさえ考える風潮が蔓延してきだした。そのため、我が会も会員が集まらず1998年に同志社大学公認団体としての活動を中止するのやむなきに至ったことは、OB三百数十名にとって大学の想い出の否定にも匹敵する痛恨事であった。
しかし、同好会の存在理由は本当に無くなったのであろうか?否である。社会人になる直前の大学生活は楽しい自分だけの時間であるのは当然として、社会人になる訓練期間としても重要であろう。社会に出たその日から意見や価値観の違う他人の中で自らの意見を主張して、尚かつ説得して行かなければならない。これは生きていく上での絶対条件であり、自分の意見が聞いてもらえないからという理由で逃げてはいけないのである。
いま、そんな基本さえもマスターしていない「子供」が大卒として社会へ出て行くから、どれほど社会が迷惑していることか。大学における重要な勉強は、専門分野の研究と、分かり易い言葉で物事を説明し他人を納得させる文化人たる能力を付ける事にある。
そのために同好の士が集い情報を交換し、知識を授け合うのは誠に重要であると共に、ますます同好会存在の重要性が増していると言えるのではなかろうか。
同志社大学鉄道同好会が活動を停止(決して廃部ではない)して以来、OB会は活動を継続している。そして後を引き継いでくれる学生諸君の現れるのを辛抱強く待っている。先輩諸氏の心と情熱をうけて40年間育ってきた樹を枯らさずに育ててくれる学生諸君の現れることを。
このHPは同志社大学鉄道同好会で青春を過ごした全てのOBと、全同志社に在学する鉄道同好者の学生諸君、並びに同志社へ入学を希望する鉄道同好者の参加を心から歓迎するものである。
文責:田野城 喬(’64年度生