時刻表とともに 想い出の列車を再見する (4)

九州の列車 〈4〉 熊本駅の発着列車 2

当時の熊本駅は、1番ホームの鹿児島方は切り欠きホームになっていて、豊肥線の列車が発着していました。日中の列車はすべてDCですが、ローカル線の常で、朝夕ラッシュ時には客車列車が運転されていました。夕方の客車列車は、熊本17:32発の宮地行き729レ、牽引するのは9600重連で、ホームからはみ出して発車待ちしている。黒煙を吐き、安全弁から蒸気を噴き上げて、今にも発車しそうな勢いだった。39688[熊]+69616[熊]+オハニ61 188ほか客車8両(昭和42年4月2日)

豊肥線の下り時刻表の一部。客車列車は1往復のみで、朝は折り返し宮地発熊本行きとなる。9600重連の理由は、立野付近の33‰勾配に備えるためで、スイッチバックを何度も折り返して勾配に挑む9600重連は、さぞ素晴らしかったことと想像する。所要時間を見ると、熊本~宮地ではDCなら1時間30分程度だが、この729レは2時間以上を要している。その右の2本のDCは、いずれも一等車を連結、急行の間合い運用だろうが、これも狭隘な熊本駅への苦肉の運用だろうか。豊肥線は、その後、いろいろあった。熊本地震やそのほかの災害で何度も不通を経験した。いまは肥後大津まで電化し、TSMCの進出によってシリコンアイランドと化し、豊肥線の利用客も急増していると言う。新駅も設置され、さらに複線化や、熊本空港へのアクセス新線の構想もあると言う。

 時刻表とともに 想い出の列車を再見する (4)」への2件のフィードバック

  1. 立野で連続撮影を1980年夏に撮っていますが、この時期まで急行編成の間合いでグリーン車付きが入っていた写真を出しておきます。
    豊肥本線の9600は熊本区の緑ナンバープレートで、大分まで運転の貨物列車の先頭に立ち、一往復が日中大分駅まで来ていました。地上時代の大分駅は管理局昇格も果たして、ロングランの日豊本線の中核。豊肥本線、久大本線の2本線分岐と、電化区間と非電化区間の汽水域のような3L共存の奇跡のような風景が見られました。DLも電気式の特急機が発着する華やかさ。
    連載を楽しみにしておきます。

  2. 総本家青信号特派員さま
    この列車は見たことも乗ったこともありませんが、時刻表面と創刊したての鉄道ジャーナル誌上に竹島編集長がレポートを載せておられたことで印象に残っています。仰るように瀬田~立野~赤水間の急勾配を96重連が喘ぎ喘ぎ登るのは壮観だったでしょうね。さらに旅客レが無くなった頃に発行された広田さんのSL写真集にも立野を登る貨物の写真が掲載され、触発されて撮影行のための切符類を手配はしたものの、仕事でキャンセルした苦い想い出があります。後にSLあそボーイを当時九州に赴任中のK池さんのご案内でビデオに収めています。
    キハ58系のローカル運用は結構ありましたね。本家本元の大村線ほどでは無かったにせよ、当時は九州観光も人気があり、別府~阿蘇~島原半島を結ぶ観光ラインとして利用客も多かったからだったと思っています。

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