やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑬

熊本機関区

つぎは熊本区の蒸機を見ていきます。この機関区へ行ったのは、鳥栖と同じ昭和42年3月で、一度切りのことでした。この時点で、鹿児島本線の電化は熊本まで到達、翌年には川尻まで延長されます。熊本が電化、非電化の中継地に当たるのですが、鹿児島本線の蒸機の使用状況は、鳥栖と似ていて、優等列車は全部EL・DL化されていて、不定期・臨時急行、普通列車で、熊本・鹿児島区のC60、C61が使用されていました。機関区は、ホームに隣接した西側にありましたが、狭いところで、ラウンドハウスもなく、木造の矩形庫のなかに、多くの蒸機が押し込められていました。行ったのも、夕方の薄暗い時期でした。そのうちに電化も南進して、ついに熊本機関区へ行くことはありませんでした。熊本駅に到着するC60 37の牽く出水発熊本行き132レ、鹿児島本線の電化は熊本までで、鹿児島方面から来る列車は、優等列車を除いて蒸機牽引だった。ただ、駅の構内は、翌年の川尻までの電化に備えて架線が張られていた。狭い構内もあって、熊本駅、熊本機関区で写したのは、この一回切りだった(以下、昭和42年3月)。

C60

熊本機関区で憩うC60 23 区内は狭くて、引きのある撮影ができなかった。

転車台に乗ったC60 37 周囲に扇形庫を造る余裕もないくらいの狭い区で、矩形庫があるだけだった。

(左)C60 23 C5919からの改造、鹿児島、鳥栖を経由して昭和40年に熊本へ来た。(右)C60 37はC595からの改造、のちに鹿児島へ転属した。両機は昭和35、36年にC59からの追加改造されたもので、訪問時にはまだ7、8年しか経過していなかった。

D51

熊本には13両のD51が配属されていて、鹿児島本線の熊本以南の貨物を、出水区のD51とともに担当していた。D51 81は、当区唯一のナメクジ機

 D51 547 狭いながらもで、ロッドの降りた形式写真が撮れた。ナンバープレートの左に引っ掛け金具があるが、これは九州独特の標識灯掛けで、ほかの機でも見られるが、標識灯を付けた場面は見たことがない。

熊本には、タンク機C11、C12もいた。左からC11 298 C12 25 C11 36 C11は三角線の貨物牽引、C12は高森線での客貨の牽引だった。高森線用のC12は、通常は高森の駐泊所にいて、何日間ごとに熊本区のC12と交代していた。

9600も9両がいた。59653 69699 いずれも以前は豊肥本線にあった宮地機関区の所属で、同区の廃止に伴い転属した。本線を走るためデフを装備している。熊本区9600でいちばん華のあるシーンは、朝夕、豊肥本線で客車列車を重連で牽くシーンだろう3968869616が牽く、夕方の宮地行き729レ 熊本

ホームからも熊本機関区の光景が眺められた。矩形庫は、屋根だけのものだった。

 

 

 

9 thoughts on “ やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑬

  1. 小生が子供の頃撮った、鳥栖のC59124のヒドイ写真で、特派員さまの格調高い区名板シリーズを汚してしまい申し訳ございません。しかし熊本機関区は、小生にとってC59の印象が強烈でありました。今では熊本駅そのものも高架駅となり、かっての機関区辺りも新幹線の下となって、昔日を偲ぶものは消えうせたと言って宜しいでしょう。C59は最後の3輛が呉線に生き残りましたが、特急「みずほ」牽引を始め急客機の栄光は、熊本区が最後だったと思っております。またもやお見苦しい写真で恐縮だが、上り「みずほ」牽引のため出区するC59121号機の写真を貼っておきます。

    • 宮崎繁幹様
      当時の熊本駅の上りホームから見た熊本機関区です。機関車はC59121です。当日は曇天から雨に変わり上り「はやぶさ」の頃には土砂降りになりました。鹿児島本線久留米以南も呉線もC59が走る幹線ではなかったですが、それはそれなりの最後のいい舞台でした。

      • 宮崎繁幹様
        準特急様
        熊本区の思い出、ありがとうございます。私にとっての熊本区の思い出は、これらの写真だけです。狭くて写しにくく、天気の良くない日の訪問で、決して良い印象は残りませんでした。それが、その数年前、まだ架線の張っていない田原坂あたりで、C59の牽く特急、急行を撮った方なら、印象か180度違っていたと思います。まさに、宮崎様が書かれているように、熊本が急客機の最後の聖地だったことと思います。お二人のC59で、その熊本を偲ばせていただきました。

  2. 昭和57年から昭和62年まで熊本勤務でした。旅行会社で主な担当が国鉄券担当、盆、正月のはやぶさ、みずほの寝台券を確保するのが大きな仕事です。昼夜問わず熊鉄局の指定券販売センターを訪問、マルスに収容されていない寝台券を取るべく当日の担当者を訪ねて交渉、OKであれば指定券台帳に自分で書き込んでいました。
    そんなことで管理局のみなさんには可愛がっていただき時折は職場でお酒も酌み交わしてました・・・
    添付は昭和62年3月31日発行の熊鉄局記念誌です。当時の管理局営業課長から1冊頂戴しました。国鉄民営化の正に当日、青春時代の想いでの1冊です。

    • おとりん様
      熊本時代の思い出、聞かせていただきました。熊本局誌もいい記念になったと思います。私もこの原稿を書くに当たって地元出版の本を参考にしています。一部は蔵書家のI原さんからもらいましたが、門司鉄道管理局、夕刊フクニチ、読売新聞福岡総局などの発行名が見えます。一般の時刻表や鉄道雑誌からは得られない、地元社ならではのエピソヒードをなつかしく読んでいます。右の「九州を走った‥‥」は、小倉におられた高名な鉄道ファンの本ですが、私の会社員時代に本の企画・編集をしたもので、打ち合わせのために何度も小倉まで行ったのも思い出です。

  3. 総本家特派員先輩 今本の裏書を見たら先輩のお名前ありました!本は最大手旅行会社に居た元カノ?から買いました。
    当時は前述の熊鉄管理局の1階が団体待合室、いつも改札を通らず団待の横から出入りしてました・・・

    画像は4年前の熊本地震の際、新幹線が未開通時に快速電車で訪問した時です。この後熊鉄局の建物は取壊し改築され今の駅になりました。また九州ネタ お待ちしています。

    • おとりん様
      速攻コメント、ありがとうございます。はい、その本は、最大手の旅行会社の出版部門からの発行でしたね。改めて本を見ますと、筑豊の専用線で撮られた貴重な蒸機の写真も多数あります。ひょっとして、この前に話題になっていた伊加利の専用線もあるかと思いましたが、残念ながら、その写真は載っていませんでした。
      熊本駅舎、せっかく古い駅舎をリノベーションしたのに、すぐ取り壊されてしまいましたね。熊本は、新しいバスターミナルもできて、また見に行きたいものと思っています。

    • おとりん様
      震災前の2011年10月に熊本を訪ねています。この駅舎に熊鉄局もあったのですね。すぐ隣の東横インで泊まり、部屋の窓から、すぐ下を行く市電を飽くことなく眺めていました。紅蘭亭の太平燕もおいしかったです。

  4. 西村先輩 フォロー投稿ありがとうございます。紅蘭亭は震災後、上通に場所を移していましたが最近下通りの元の場所で営業再開されてます。紅蘭亭は熊本駅の構内営業だった駅弁音羽屋と同じ?系列の?会社でした。その昔、先輩が泊まられた東横インあたりに音羽屋さんの大きな看板が立っていました・・
     今秋豊肥線全線開通、国道57号線は大津〜赤水間にトンネル開通、ようやく阿蘇へのインフラ整います。ぜひ阿蘇へお越しください!!

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