西唐津機関区 9600
しばらくマイナーな機関区が続きますが、「唐」とは西唐津機関区のこと、いまは路線の改廃で50年前とは、付近の鉄道地図がすっかり変わってしまった唐津付近ですが、当時、長崎本線久保田から分岐して、西唐津までの42.5kmの唐津線があり、沿線は炭坑が多くあり、筑豊や三池なとど比べると、小規模でしたが、途中の多久を中心にして多くの石炭列車が発着していました。しかも、多久は有明海と玄界灘の分水嶺に当たり、両側に25‰の勾配があって補機付き貨物も多く、意外なほど雄大な光景も広がっていました。西唐津区には当時、9600が15両配置されていて、ほかの形式はなく、9600が専属で唐津線の石炭列車を日夜牽いていました。そのような史実があったことすら、今となっては忘れ去られようとしていますが、かく言う私も、最初、昭和42年に西唐津機関区へ行ったものの、すごい雨で戦意喪失、一枚も撮らずに引き揚げ、昭和44年に再挑戦した時も途中で雨に降られて、1、2枚を撮っただけで退散してしまいました(以下すべて昭和44年3月)。▲唐津線の旅客はDC化されていたが、朝の一往復だけ、客車列車があって、西唐津機関区の9600が牽いていた。唐津線は久保田が始発だが、この客車列車を含めて、全列車が佐賀を始終発としていた。
▲佐賀に停車する、朝の客車列車727レを牽く79624 駅はまだ地上駅で、左手は佐賀機関区、当時は配置機関車はなく、西唐津、早岐の蒸機の駐泊に使われていた。佐賀は、九州の県庁所在駅としては、ほかに比べてウンと地味で、撮られた写真も極めて少ない。▲上記の客車列車で佐賀線を行く途中、東多久で29656の牽く貨物762レと交換する。限られた写真から見ると、西唐津の9600は、化粧煙突、切取り式デフが多かったようだ。▲多久で下車して、大築堤があると言う多久~厳木へ小雨の中を歩き出した。25‰が続くから、さぞ煙が! の期待は見事に裏切られ、29600の逆機、ワフ1両という散々の結果だった。このあと、雨がきつくなり、撮る気も失せて退散、西唐津の9600を撮ったのは、この時だけだった。
総本家青信号特派員様
九州をくまなく回られていたことを改めて感心しながらこのシリーズを楽しませて頂いています。唐津は呼子や伊万里などを含めて観光スポットが多く、鉄分抜きの旅をしたことがあります。とは言え終着駅には独特の雰囲気があるので、西唐津には立ち寄っています。平成14年8月にはターンテーブルが健在でした。グーグルのストリートビューで確認すると現在でも健在のようです。
西村様
情報、ありがとうございます。西唐津にまだ転車台が残っていること、初めて知りました。DCの転換にでも使っているのでしょうか。唐津付近は、九州旅行の途中でも、なかなか寄りにくいところで、私は写真を撮ってから以降に行ったことがありません。鉄分抜きの旅行でも、しっかり記録されていることに敬服します。