昨年末に総本家青信号特派員先輩の「信号場シリーズ」が完結し、信号場ロスに陥っている自分に気づいた。ただ、私が続編を書けるような知識もなく時間だけが過ぎていたが、1箇所だけだが書けそうな信号場が閃いた。とは言え、さほど写真もなかったので、両端の大杉駅及び土佐北川駅間を含め少し拡大してまとめてみた。

DF50 51(281レ、1番線)、キユ25 4+DC×3(238D、2番線) 1983/07/25 at 大王(信)
【大王信号場について】
大王信号場は、土讃本線大杉~土佐北川駅間(運転上は大杉~繁藤駅間)に1964(昭和39)年10月1日に開設された交換型の信号場(2番線が本線、1番線が副本線、いずれも上下共用で有効長は251m(換算26(10)))である。東海道新幹線と同期ということになるが、四国総局管内では、土讃本線円行寺口、同波川、予讃本線市坪、同串、牟岐線西原の5駅が同期である。但し、いずれも気動車用旅客駅(無人駅)であり、この6停車場の中では唯一の交換可能な停車場であり、通票閉塞の時代であったから当然駅職員が配置されていたが、1967(昭和42)年7月1日にCTC化された。
この区間は、高知線として南側から順次開業され、角茂谷まで延伸されたのが1930(S5)年、大杉までは1932(S7)年のことであった。しかし、この区間を含め阿波池田~繁藤駅間は吉野川や穴内川沿いの急峻な崖地に敷設されたことから、大規模な土砂災害に見舞われることが多く、戦後6停車場間でトンネルへの付け替えが行われている。

大王信号場付近の線路図
上図の赤点線は旧線、運転時分はA区間が新線、B区間が旧線の時のものである。(※国土地理院の地理院地図(電子国土web)を加工して作成)
【大杉トンネルへの切替区間(A区間)】
大杉駅は島式1面2線(3番線(②のりば):下り専用、2番線(①のりば):上下共用)と側線が1線(1番線:元々は貨物の積み下ろし用)あり、側線は現在では上屋はなくなっているもののレールやバラストの積み下ろし場所として残存している。
私が四国へ通っていた頃は、221レの1本のみが上下共用の2番線を使用し、後続の201Dと緩急接続を図っていた(というよりは単に信号機やポイントの機能チェックのためだったと思われる)。現在でも、4237Dが41Dを追い越させるために2番線を使用している。
大杉駅は2004(平成16)年に駅舎が焼失したが、他の駅では見られないようなユニークな駅舎に変貌している。

大杉駅2番線停車中のDF50 59+FC(282レ) 1981/02/28
穴内川右岸にある大杉駅を出た下り列車は第四穴内川橋梁で穴内川左岸へ渡り、旧国道32号沿いにしばらく走ると、第三穴内川橋梁を渡り右岸へ戻るコースを辿るのだが、私が最初に訪れた1980(昭和55)年には、右岸に既に大杉トンネルが開通しており、旧線を楽しむことは叶わなかった。旧線の第四穴内川橋梁は、町道中ゾ線のヨボウ-シ橋(1977年度架設)に転用され、また第三穴内川橋梁も、線路は剝がされているものの現在でもストリートビュー等で確認することができる。

第三穴内川橋梁(初代) 1980/08/26

第四穴内川橋梁(初代、ストリートビュー画像を加工して作成)
なお、現在の第四穴内川橋梁は大豊トンネルの上り方に、第三穴内川橋梁は下り方にあり、橋梁名のみが移動している。土佐北川駅はこの第三穴内川橋梁上にあることで有名である。
【大豊トンネルへの切替区間(B区間)】
穴内川にかかる大王上橋(町道大王上橋線、1973年度架設、下の写真参照)から撮影した1枚。列車の見える区間が僅かなので、撮り逃さないように異常なまでに緊張したものだ。

271レ 1982/09/?? at 大杉~大王(信)

4206D 1980/08/26 at 大杉~大王(信)
1982(昭和57)年11月改正前までは、予讃本線や土讃本線の急行列車は4M1mの5両編成が基本であった。1980年10月改正前までは「よしの川」(2M1m)を併結する列車もあったが、それでも3M1m(=B9)をキープしていた。
1973年度架設の大王上橋の下流側には、それまで使用されていたと思われる吊り橋の塔が残っていた。橋桁の高さが高くなっているようだが、1972(昭和47)年の繁藤災害と何らかの関係がありそうである。
大王信号場は、この写真の右側(上流側)に約600mの距離にあった。

221レ 1980/08/26 土佐北川駅
上の写真は、土佐北川駅を通過する221レの写真である。けん引機は570か571号のように見えるが、不明である。
土佐北川駅は気動車専用駅として開設されたため棒線駅で、ホームは車両の反対側に隠れている。もう1枚、下の写真をご覧いただこう。現在の第三穴内川橋梁上にある土佐北川駅と、大豊トンネル、旧土佐北川駅ホームの位置関係が理解しやすいかもしれない。

238D 1983/08/30 土佐北川駅
2024年10月18日に、第三穴内川橋梁(二代)から落下した下横構吊り材(ボルト)が通路上で発見される事案があり、「第三穴内川橋梁は1982年3月に完成し42年が経過・・・」と報道されていたが、事実は上の写真のとおりです。
またストリートビューで確認すると、穴内川左岸の国道32号とを結ぶ道路橋(名称等不明)は、下流側隣に北川口橋が完成(1994(平成6)年7月)後も人道橋として現存している。
脱線してしまったが、大豊トンネルの開通により大王信号場は1986(昭和61)年3月3日に廃止され、列車の交換機能は第三穴内川橋梁(二代)上に移設された土佐北川駅に移転された。また同日、予讃本線向井原~内子駅間も開業となり、向井原~高野川駅間(運転上は伊予市~伊予上灘駅間)にあった「三秋信号場」も廃止された。一方で、従来の予讃本線と内子線の接続点が五郎駅から新設された「伊予若宮信号場」となり、四国総局管内では「川奥信号場」との2信号場となった。が、2年後には中村線の土佐くろしお鉄道への移管に伴い、JR四国の信号場は現在では「伊予若宮信号場」1箇所のみとなっている。
なお、土讃本線土佐久礼~影野駅間開業時に笹場信号場(1947/10/20~1949/8/1)が開設されたが、2年弱で廃止されていることも付記しておく。
【三秋信号場(オマケ)】
DF50の走らなかった大王信号場以外は、通ることはあっても行くことはなかった。
従って写真はなく、ダイヤでその証拠としたい。三秋信号場は現在の「愛ある予讃線」と称される区間にあり、通票閉塞区間であった。
交換型の信号場は、単線区間で線路容量を向上する有効な手段の一つではあったが、通票閉塞区間の場合、普通気動車列車は対向列車がない場合でも通票交換のために停車を余儀なくされた(下図の例では650D、652D、655D)。運転助士が乗務しないためのやむを得ないことではあったが、普通客車列車(下図の例では625レ)は機関助士が乗務しているので通過しているのが興味深い。

三秋信号場のダイヤ(一部、1982(昭和57)年11月15日改正)
大王信号場は上述のとおり1986(昭和61)年3月3日に廃止され、旧線の一部は町道梶ケ森スカイライン線として整備されている。これに接続する新大王橋が1996年度架設ということなので、その頃に整備されたものと思われる。ストリートビューで確認してみると、冒頭に示した写真右側に写る擁壁が残っており、踏段の位置から大王信号場の位置が容易に確認できた。先日、廃止からちょうど40年を迎えた。
町道梶ケ森スカイライン線(ストリートビュー画像を加工して作成)







