昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈3〉

観光バスを撮る (昭和50年4月20日 )

この頃からバスにも注力するようになりますが、どうしても鉄道とシステムに共通点のある路線バスに興味を示すようになります。貸切バス(観光バス)には、なかなか食指が伸びませんでしたが、時代の記録としても撮っておくべきと考え、向かった先が「五条坂」、東山五条の交差点でした。全国から来た観光バスや定期観光バスが、清水寺観光を終えて交差点を続々下りて来ます。今から見ると、昭和時代のプンプンする塗装が何とも懐かしく映ります。大谷本廟の参道前で待ち受けると、五条坂を下りて来たバスが黄信号なると、何台も通過して行く。乗客は修学旅行生や団体客、前から後までびっしり乗っているのも、この時代らしい。このバスは、神戸市のキクヤ観光のバス、ふそうB9系、クレハボデー、紺とクリームの塗り分けラインも昭和を語っている。

有田鉄道観光バス 鉄道が廃止されてからも、今でもバスは、“鉄道”を名乗っている。▲▲富士山の周辺をカバーしている富士急行バス、この時代には珍しいシックな塗装だが、熱海や小田原で、このカラーを見ると、東京に近づいたと感じたものだ。

岸和田観光バス 現在でも岸和田周辺の路線バスを担っている。▲▲浜松観光バス 親会社の遠州鉄道に吸収された。いまある浜松バスとは別物。

香川県さぬき市に本社を置く大川自動車の観光バス、前部だけ赤の塗り分けがある凝った塗装。いまは新塗装になっているが、一台だけ、この塗装のバスが記念に静態保存されているそうだ。以上の7台はすべて、ふそうB9系と呼ばれる同一バスで、ライトの形状が全く同じである。

「東濃鉄道」と大書きされたバス、東濃鉄道は、駄知線は廃止されていたが、笠原線はまだ営業中(昭和53年廃止)で、この名称も理屈が通るが、鉄道全廃後の今も社名変更せず、バス事業のみを継続している。

静岡鉄道の観光バス、セミデッカ型と呼ばれる、車高が高くなり、前部が明り取り窓になっている。▲▲奈良観光バス 近鉄の系列らしく、塗装も近鉄バスと似ている。

京阪バス、京都市営バスで運行されていた京都定期観光バスも、満員の客を乗せて、絶えず通って行く。ふそうAM470系。背後の街並みも、すっかり変わってしまった。撮影地点から西を向くと、山科へ向かう京都市バスも写せた。山科には隘路が多くツーマン車が幅を利かせていた。「ぎおん」の愛称を持つ、車内はロマンスシートの路線・観光の兼用車。

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈3〉」への14件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    DRFC会員の中にはバス好きの方もたくさん居られますね。藤本さんも然り、皆さん記録家ばかりで、分科会としてDBFCを発足できるのではないでしょうか。

    私もバスは好きです。運賃が値上げした奈良交通に普段お世話になっています。

    2月には念願の八木新宮線に乗車できました。

    • 奈良の駅名研究家さま
      速攻コメント、ありがとうございます。世の中、バス好きは多いですね。自宅のある交差点も、京都市バス撮影の名所のようで、よく撮影者を見かけます。DRFCでも、バス好きが嵩じて、関係先の職に就いた会員もいます。お乗りになった新宮八木線ですが、これに、三重交通の松阪熊野線を足した、二日間300kmを走る特別ツアーが7月にあるようですね。

  2. 五条坂は今も昔も変わらぬ人気観光地への入り口で、観光バスを撮るには良い場所ですね。大谷本廟への参道入り口なら、バスの公式側が車に邪魔されることもありません。曇りの日を狙って行ってきます。
    50年前は鉄道系や〇〇観光、〇〇自動車など、今のようにわけのわからない事業者がなく、色遣いやデザインにも時代を感じます。バスの後ろにわずかに市電が顔をのぞかせているのも、いいですね。
    五条坂界隈は様変わりし、鉄道写真界の大家が営んでおられた写真店一帯は駐車場になり、観光客目当ての目の玉が飛び出るような料金が設定されています。東側にあったうどん屋もなくなり、その後次々に業態が変わっています。
    添付の画像は今年の3月、五条坂を降りてくる観光バスです。外国人観光客を乗せた、聞きなれない会社が何台も連なっていました。

    • 紫の1863さま
      またまたの速攻コメ、ありがとうございます。えっ、もう3月に五条坂で撮っておられましたか ! まるで私の投稿を見透かしたような撮影、恐れ入ります。バスも変わりましたが、付近の様子も変わりましたね。あの写真店も、いまは広大な駐車場になっています。沖中さんに連れられて、店のなかで、立ったまま2時間ほど、三人で口角泡を飛ばして話をした頃が懐かしいです。

  3. 京都は観光客が多く、街を歩いていると観光バスをよく見かけます。いろいろな会社があるなあと感心し、ついでに撮った奈良交通の今のバスです。

    • 大川バスは、今はこんなカラーですか、たしかに大阪にも営業所もありましたね。と思って、私の写真を見返すと、本社のある香川ナンバーでした。昭和50年と言えば、まだ瀬戸大橋の着工前です。たいへんな苦労をして、京都まで来たのだろうと思ってしまいました。

  4. 自分が想像する昔の観光バス路線バス急行バス
    レトロ車バスたくさん
    レトロ感覚要素風情は新日本紀行放送年代まで即ち80年代初頭までだと思います
    それ以降はスケルトンバスが目立ってくるので自分はレトロ感覚を打ち崩した憎き象徴として見ています
    総州6RAは自分の新しいニックネームです

    • 総州6RAさま
      初めてのコメントを頂戴し、ありがとうございます。バスにすぐ反応していただいて、「デジ青」も、熱心な“隠れ”バスファンに支えられていること、力強く思いました。これに勇気づけられて、もっともっとバス発表して行きます !

      • インスタ スレッズ界隈は
        自分と同じ感覚の人達の集まりです
        X界隈とは風土が違います
        インスタやスレッズで共有できるようにしてほしいです

  5. 総本家青信号特派員さま
    小生も一時期カラフルな観光バスに興味を持ったことがありました。但し眺めるだけで皆様のように写真は撮りませんでしたが。中学1年生の夏にわら天神に引っ越ししたので、自転車を駆って山陰線花園・嵐電北野線や鷹峯方面へ探訪に出かけるようになり、その途中に金閣寺のバス駐車場に多くの観光バスが停まっているのを発見しました。関西の名の知れたバスはもちろん、名前だけは知っていた地方鉄道系のバスも知るに及んで、一時期よく見に行ったものです。カラーリングやデザインなどが新鮮に感じられ、色鉛筆を持っていってデッサンしたこともありましたが、元来絵心がなく絵は不得手だったこともあり、そう多くはありませんでした。その後「鉄道」の範疇から外れるためかいつの間にか散逸してしまい、今回の記事を拝見して想い出しました。当時はまだカラー写真で撮るという発想はなかったですね。リバーサルで撮るようになったのはDRFCに入ってからでしたから。

    • 1900生さま
      小さい頃の思い出、ありがとうございます。1900生さんは、金閣寺前のバスでしたか、清水寺、金閣寺、それに嵐山あたりが、京都の観光バスの集積地でしょうか。いまは、バスのカラーリングもシンプルになり、どの会社でも似たようなものですが、当時は、とにかく他社と差別化するために、個性的なカラーが多くありました。

  6. 先ほど今出川浄福寺を歩いていたところ、岸和田観光バスがやってきました。乗客は海外からの観光客で、市内では関空に近い「和泉」ナンバーのバスをよく見かけます。
    余談になります。この辺りは総本家様の名作「むしこ窓と出格子の民家と市電」が撮られた場所ですが、昔ながらの木造家屋はすでになく、10階建てのマンションが建っていました。

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