この年の桜のシーズンには、初めて、嵐電北野線の“花のトンネル”、鳴滝~高雄口へ写しに行きました。まだ旧型車体、ポール集電と、ひと昔前の時代ですが、この年の12月15日には、ポールからZパンタに換装されています。
▲旧型車体のモボ101が桜のトンネルを行く。zパンタ化の際に、車体を更新し、現在も見られるモボ101になった。
▲モボ127が単行で行く。車両はすべて片側運転室で、前部はいつも展望を楽しむ乗客が占めていた。「高雄口」は、2007年に「宇多野」に改称されている。駅の近くを周山街道が通っていて、山に分け入ると高雄に至るが、5キロ以上も離れていて、“口”とするには無理があった。
▲いま嵐電北野線には、“桜のトンネル”を除き、桜はあまり見られない。当時は、至るところ桜が咲いていた印象がある。これは白梅町を発車の直後、古い民家の軒先に桜があった。
▲モボの車内の白熱灯が、外からぼんやり見えるのが印象的で、日が傾いてきて、真横から狙って撮った一枚。
昭和50年の北野線を楽しませていただきました。Zパンタに変わったのがこの年の12月ですから、ポールと桜が見られた最後の春だったのですね。未練がましいようですが、やっぱり嵐電はこの時期の車両と色が似合っているように思います。沿線の風景もどこかのんびりとしていて、カメラを向ける人も珍しかったのではないでしょうか。
高雄口は今では宇多野に変わりましたか! 私は高雄へ行く道の「口」と理解していて、納得ができません。地下鉄烏丸線に「鞍馬口」があり、まれに鞍馬と勘違いする観光客がいると聞きます。利用者にわかりやすいように、嵐電は駅名を変えたと思いますが、ちょっと調べればすぐにわかるはずです。そういえば50年ほど前にも嵯峨野が有栖川に改名されましたが、折からの嵯峨野ブームがきっかけだったと聞いたように思います。
私も昭和50年に嵐電を撮っています。もっとも桜の季節ではなく、ポールがなくなる直前になってようやく重い腰を上げました。昭和50年12月7日、有栖川の西で撮った車体載せ替え後のモボ103です。傷だらけのネガで申し訳ありません。
総本家様
サクラとポール嵐電、撮影されたのは4月8日と言うことでびっくり、私は翌日の4月9日に行きました。青信号64号185ページにモノクロ写真が掲載されていますが、カラーをご覧ください。
当時はサクラのトンネルは築堤を上れば線路際から良いカットで撮影できました。嵐電とサクラが順光になるのを狙って、2回生の私は室町BOXから出かけました。サクラが満開なのに撮影者は私ひとりでした。
勘秀峰さま
“桜のトンネル”、ありがとうございます。私の撮影日、間違っていました。8日ではなく、12日でした。確認が不十分でした。その頃は、開花が遅く、4月10日前後に満開を迎えましたね。「青信号64号」も久しぶりに読みました。市電銀閣寺前でも桜を撮ってから、嵐電に向かわれたとか、当時の嵐電を取り巻く状況もよく分かりました。