日本一長い駅名ランキング

皆さんは御存知でしょうか。今月1日(金)(2021年1月1日)に、新たな「日本一の駅」が誕生したことを。

タイトルにあります通り、日本一長い駅名を持つ駅が誕生(厳密には駅名改称)したのです。その名は、「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)」。表記数は25字で、読みは「とよたもびりてぃとやまじーすくえあごふくまえごふくすえひろちょう」で32字とのことです。どちらの字数でも日本一だそうですが、副駅名のようなカッコ内の字をカウントすべきか否かは、賛否両論がありそうですね。いずれにせよ、現在の日本一はこの駅だそうなので、皆さんぜひとも何度も唱えて頂き、覚えましょう。

ちなみに、他にも長い駅名が存在するので、これを機にランキング形式でまとめてみました。

 

【日本一長い駅名ランキング(表記数)】

第1位 富山地方鉄道軌道線 呉羽線

トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)25字

第2位 京福電気鉄道 北野線

等持院・立命館大学衣笠キャンパス前 17字

 

舞浜リゾートライン ディズニーリゾートライン

リゾートゲートウェイ・ステーション 17字

 

舞浜リゾートライン ディズニーリゾートライン

東京ディズニーランド・ステーション 17字

 

【日本一長い駅名ランキング(読み数)】

第1位 富山地方鉄道軌道線 呉羽線

トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)32字

第2位 京福電気鉄道 北野線

等持院・立命館大学衣笠キャンパス前 26字

第3位 南阿蘇鉄道 高森線

南阿蘇水の生まれる里白水高原 22字

 

鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線

長者ヶ浜潮騒はまなす公園前 22字

 

26 thoughts on “日本一長い駅名ランキング

  1. 奈良の駅名研究家さま
    最新のニュース、ありがとうございます。何でも富山地鉄の改名は、駅名の会社が改名したため生まれたとのこと、副称ではなく、駅名ですから、変更の手間もたいへんだったと思います。嵐電の「立命館‥‥」の駅名の時は、私も駅名標を写しに行きましたよ。以前、デジ青に、京都市営地下鉄今出川駅も、この伝にならって、「今出川・同志社大学今出川・新町・烏丸・室町キャンパス前」に変更したら、27文字でダントツ日本一長い駅名になると提案したのですが、荒唐無稽と見えて、全く反応がありませんでした。

    • 総本家青信号特派員様

      コメントありがとうございます。

      極端な話ですが、どうしても日本一を勝ち取りたいのであれば、お金さえかければ何とかなりそうですね。
      もっとも、富山地鉄の場合はやむを得ない駅名変更の結果ですが。

      ご指摘の京市交の駅名、妙案だと思います。ただ、私は新型車両導入の方が興味はあります。

      新型車両に話を変えると、そろそろ近鉄での新型「通勤」車が見てみたいですね。シリーズ21以来、約20年間、既存車両のリニューアルばかりですから。

  2. 富山地鉄の電停名が日本一長い駅名になったのですね。前の電停名は「富山トヨペット本社前」だそうで、これも結構長い名前ですがさらに長くなり、落語の「寿限無」みたいですね。もとは北陸地方で最初の市内電車を開業した富山電気軌道(株)が、今の富山大学のあたりに歩兵連隊があったのでその利便性から市内線を延長して呉羽線ができたそうです。日本一長い名前の電停はその昔は「練兵場前」という電停があった辺りのようです。今の富山大橋を渡った所は「連隊橋」で、その次が日本一長い名前の電停となります。この「連隊橋」電停は後で「新當山」となります。ここから射水線が出ていました。呉羽線の終点は「呉羽公園前」で花見客などでにぎわったそうです。(参考文献:草卓人著 富山廃線紀行 同じく草卓人編 鉄道の記憶)

    • どですかでん様

      情報をありがとうございます。富山はぜひとも訪ねてみたい場所です。その際は、日本一長い駅名をこの目に焼き付けたいと思います。
      (訪ねるまでに、日本一が変わってなければよいのですが…)

  3. いささか水を差すようで悪いが、最近の“長い駅名”競争にはイヤ気がさす。そもそも駅名はその駅と付近の地域を象徴する簡略な記号のようなものであるべきと考える。それがいつ頃からか「面白いやろ!」的な遊び要素が多くなってきて覚える気にもならない。国鉄がJRになり、三セクが増えだした頃からこの傾向が加速度が付いたように思う。最初は「水の生まれる里白水高原」とかいう南阿蘇鉄道ではなかろうか?上に書かれているような自動車会社や大学のお先棒を担ぐ、長い駅名競争には乗せられたくない。美味しくもない食べ物を、コテコテに飾り立てて“インスタ映え”するためだけに売り出す観光地の飲食店のようだ。
    長い駅名は「東京競馬場前」でじゅうぶんだ!

    • 米手作市様

      コメントありがとうございます。こういう記事を載せた私も、実は米手作市さん寄りで、「何だかなあ…」という思いを持っています。

      等持院の件も、立命館といえば本拠地は衣笠キャンパスですから、日本一を得たいがために、無理無理につけたであろうと察します。
      もっとも、等持院駅を利用している立命館関係者は、それほど多いのでしょうか。

      東京競馬場前、いいですね。関西でパッと思い付く、「正統な」駅名は雲雀丘花屋敷でしょうか。

      • 貴兄は正統な鉄道ファンですから『ナントカカントかアッパッパー前駅』には与しないことは分かっています。更に言えば当会メンバー及び閲覧者の皆様も常識ある鉄道文化人ですから『東京競馬場前』『雲雀丘花屋敷』派であると信じて疑いません。
        この機会だから言わせて貰うが、最近のJRの馬鹿さ加減はどうしたことだろうか?横文字を使えば先進的でセンスがあり、さらにカッコ良くて若者に人気が出る、とでも考えているのだろうか?この考え自体がじじ臭い!
        『高輪ゲートウェイ』など論外で『JR』を付けるのも安易に逃げすぎる。『湊町』を『JR難波』に変更したのはJRの敗北だと思う。堂々と『湊町』を貫くべきだ!かつては『摂津本山』『山城多賀』『播州赤穂』など駅名を見たらどの辺を走ってるかが分かった。国鉄が解体されたと同時に職員の教養と矜持も分解されたと言うことか。

        • まあまあそうカッカせずに。もう一杯入ってますか。万事冷静な米手作市さまにしては珍しく新年からテンションが高いですね。血圧が上がりますよ。
          さて長い駅名に関しては小生も全く同感です。百歩譲って「JR〇〇」くらいまでに思いますが、とはいえ中小私鉄の中には地元を宣伝したいという強い想いからのものもあるのでしょう。大きなJRと同列に論じるのはちょっと可哀そうな気がします。JRにしても既にある地区名が親しまれているのであやかった、というようにも解釈できますが、実際のところ待ち合せ等で利用客が混乱することはないのでしょうか、ちょっと気になりますね。これも自主性が希薄になりつつある社会を反映しているのかも。
          また事業者側の事情としては、新規開設駅では異なる地元から駅名の要望が出ることがあり、仕方なく両名併記みたいなのも多数あります。特に元市営現大阪メトロに多いように見受けます(野江内代ほか多数)が、外野を巻き込んだ誘致合戦や圧力を避けるための知恵なのかもしれませんね。

  4. 米手先輩の仰せの通りなんですが、趣向を変えて英字(JR何某を除く)の入っている珍駅名なんてのも思い出したように話題に上がりそうなので、ご存知かも知れませんがご紹介を。
    京急の駅名で、ホームには、縦書きで ”わいあーるぴーのび” とあります。YRP野比という駅ですが、YRPとは、YOKOSUKA RESERCH PARK 野比ということらしいです。
    こういう話題もよろしいかと。 

    • KAWANAKA様

      コメントありがとうございます。

      私が関東地方で気になった駅名は、YRP野比もそうですが、東急の「たまプラーザ」です。
      滋賀、京都を中心に展開しているアルプラザの「プラザ」と語源は同じなのでしょうか。

  5. 米手作市様
    昭和40年代初頭、国鉄で最も長い駅名は「東京競馬場前」で漢字6文字でした。では私鉄ではどうかと言うと、京王帝都の「府中競馬正門前」が最長駅名でした。他にも漢字7文字の駅が2つあり、富山地鉄の「大沢野町八木山」と京福越前本線の「下荒井六呂師口」でした。しかし、ひらがなにすると府中競馬正門前が13文字となり、地鉄、京福の11文字を抜いて最長だったそうです。昭和48年3月に訪ねた「下荒井六呂師口」駅の写真を添えておきます。トンネルに貼りついたような奇妙なロケーションでした。

    • 「大沢野町八木山」も長い駅名だったのですね。富山で単身赴任している時に一部分ですが、笹津駅までの笹津線廃線を歩いて探索しました。「大沢野町八木山」駅があった所は熊がでてきそうなところで歩いている人も少なく、びくびくものでした。ある時、人家近くで熊が歩いていたと大騒ぎになっているとニュースになっていました。これより富山方面への廃線跡は国道41号線の抜け道道路になっていて走りやすく、帰宅時はよく利用しました。カーブはまさしく鉄道線路という感じでした。

    • これらの駅名はすんなりと理解できる地域密着型の名前です。“どーや、長いやろう!”と受け狙いの駅名とは違います。土地の匂いのするいい名前です。
      ところで、『東京競馬場前』駅はどんな駅だったのでしょうか?行ったことが無いので分かりませんが、波動的な乗降客数が想像され、列車編成もかなり長かったと思います。折り返しの待避線も要るし、大きな駅だったのでしょうね。

  6. 遅ればせながら「長い駅名」に参戦で~す。
    とは言え、話題に出ている富山ローカルの駅については、小生縁が薄く語る資格はありません。
    しかし、東京競馬場前、YRP野比、は共に聞き慣れた駅名です。
    思えば東京競馬場前なんてぇのはバス停でもあるまいに、良く有る「●●前」「●●入口」のパターンで、もう一方のYRPは一般には「何のこっちゃ判らん」電鉄側の独り善がり(自己満足)に過ぎないと思います。
    また、雲雀丘花屋敷は小生が小学生か中学生の頃の第一印象で、長いなあと思ったものですが、後に雲雀丘と花屋敷を統合して中間に新駅の雲雀丘花屋敷が出来たんだと聞いて
    甚く感心した記憶があります。
    国電ファンの小生が直近で耳にした「高輪ゲートウェイ」も思わず首を傾げる珍駅名です。
    しかし、昨今の省略語ブームで、早晩「高ゲ―駅」となってしまい、シロガネーゼの推す?「白金駅」とのバトルが始まると踏んでいますが・・・。
    「湊町」が「JR難波」となったのを聞いた時、小生も大きな落胆を覚えました。
    確かに知名度的には「難波」の方が通ってはいたけど、敢えて後発を示す「JR」冠を被ってまで鉄道省(院?)以来の伝統の「湊町」を捨てるべきでは無かった!
    さて、さて長い駅(電停)名に話を戻すと、小生の中では、ピク誌に写真投稿までしたカツテの京都市電の「四条河原町新京極」が印象深く、最近では「梅小路京都西」が昨今のJRを象徴していて、観光客の「梅小路って?」を京都の西部と説明する辺りは観光収入を念頭に置いた商魂のたくましさを感じます。
    話を戻す様ですが、東京競馬場前で撮った単行のクモハ40が有ったのですが、小生の部屋に限ってゴミ屋敷同然の状態で、これからの捜索活動?で出てきたら米手作市様の参考に成るかも知れません。

    • 全くの同感です!
      特に『湊町』のくだりは私が特に言いたかったこともあります。私が存じ上げるJRの方は『梅小路京都西』が『JR堕落の象徴』とまで酷評されていました。
      『東京競馬場前』でのクモハ40単行の写真、楽しみに待っておりますが、単行なのは競馬がない日なのでしょうか?私の感じでは開催日には8連から12連ぐらいの101(3)系が続々と入線する様子を想像しておりました。よろしくお願い致します。

  7. 米手作市様
    そうですネ、仰る通り単行は変ですネ。
    「競馬場」ですからネ。
    そこら辺の事は全く不明で、小生の日頃の勉強嫌いが災いしている様な。
    考えられるのは、小生が『競馬非開催日』にノコノコ出掛けて行ったか、又は全くの想像に過ぎず、ウラ取りもしてませんので、調査不足と常識不足を指摘される事を覚悟して「競馬場が大井に移転したが、駅名は残った」との珍説は如何でしょう?
    京都市電が叡電前(元田中)から宝ヶ池競輪場へ乗入れていた頃の話からしても、小生の「東京競馬場に単行のクモハ40」は「眉つばもん」と言われかねませんネ。
    とにかく写真を探して見ます。

    • いえいえ、信じて疑いません!
      なにか理由があるはずです。天理教の大祭が開かれる時の天理駅がそれです。全国からかき集められた雑多な客車が留置線にズラッと並ぶ様は圧巻でした。でも、普段は気動車が二、三両で動いていました。

  8. 米手作市様
    通称「東京競馬場線」の正式名称は「下河原線」で、多摩川の砂利採取が目的の「東京砂利鉄道」がルーツです。多摩川河原へ向かう貨物線の途中から分岐するかたちで、あとで競馬場へ行く線路が敷かれたようです。ネットから「国分寺駅」と「下河原線」の配線図を転載させていただきました。国分寺駅の長い跨線橋の先に島式ホームがあり、これが競馬場行き電車の乗り場だったようです。ホームの長さは91mと書かれています。20m車なら4~5両というところでしょうか。国分寺を出てしばらく進むと左手に中央鉄道学園の引き込み線を分岐し、北府中駅に着きます。この北府中からは、府中刑務所、東芝府中工場、日本製鋼、旧陸軍燃料廠への引き込み線が四方に分岐していたようです。そしてさらに進むと、直進すれば多摩川河原の下河原貨物駅ですが、左に分岐すると東京競馬場前駅となっていました。競馬場前駅の配線は、Y型の2本突っ込みだったようです。ホーム長はわかりません。旧北府中駅が現在の武蔵野線北府中駅あたり、旧競馬場前駅が現在の南武線府中本町駅あたりのようです。以上、現地に一度も行ったことが無い素人の解説でした。

    • 西村さん、ありがとうございます。
      驚くほどの輸送量ではないのですね。淀の競馬場も開催日は臨時が出る程度で、長編成が留置することもないですから。甲子園はどうなんでしょうね。波動輸送というのは鉄道泣かせと言うことです。

      • 米手様
        淀は京阪の独壇場でしたが、府中は下河原線の他に南武線や京王帝都線も隣接しており、そういう意味ではかなり環境が異なっていたようです。淀にはよく臨時急行(通称 ウマ急)を撮りにゆきました。

        • 西村雅幸さま
          宇治川橋梁北側のカーブなどにご一緒したこともあったかと思いますが、何故かウマ急には必ずといっていいほど1300が1本は走っていたように記憶します。他に1700・1800、600などもあったように思いますが、案外新性能車は少なかったですね。定期運用で目一杯なのか、旧型車の走行距離を伸ばしたかったのか、いずれにせよ古い車が「馬蹄デザイン」の臨急標識を出して走ってくれました。

          • 1900生様
            この日ご一緒したかどうか定かではありませんが、昭和44年11月9日(日)、橋本・くずは間での2000系の下り馬急を後ろから撮っていました。この日は1700の臨急、2200系4連の臨特などにぎやかでした。1週間前の11月1日に江若鉄道のお別れ列車をバンザイで見送って、何だか気が抜けたような時期でした。この馬急の翌日は、伏見の山の上の我が家の庭で、ベニヤ板を切ってレイアウト工事をしています。

  9. 米手作市様
    クモハ40の写真、大変お待たせしました!
    ……が、「赤っ恥モノ」の大間違いでした。

    「単行だった」とばかり思っていたのに、出て来た物は1965年3月22日に撮ったクモハ73との2連の写真しか見当たりませんでした。(片っ端からネガを調べ直せば単行も出てくるのかも知れませんが、現行ではここまで。)

    事、これほどに「記憶」とは当てに成らない物か、又は80歳の声が間近に迫って、ボケ老人に片足を突っ込んだためか。(笑)

    因みに、当時の日記をチェックして見ました。(下記に抜粋)
      昭和40年3月22日(月)(はれ)
      吉祥寺、小金井、国分寺あたりへ行く。 
    小金井⇒国分寺間は徒歩で電車撮影。
    と有ります。

    それ以上の詳細は判らず、次いでベタ焼きの記録を見ると・・・
      国分寺で撮った5コマが該当し、①クモハ73343+クモハ40030(カノ)
     ②府中競馬場前行 ③クモハ40030 ④クモハ40030+クモハ73343
     ⑤国分寺を出る府中競馬場前行
    と記録されていて、「東京競馬場」とは書かれていません。
    上記の③と④を添付します。

    大変失礼ながら、例によってスキャナーが面倒なので、ベタをコンデジで複写したものですのでお許し下さい。

    なお、先の小生のコメントで、「東京競馬場が廃止⇒大井競馬場に移転」等とガセネタを述べ、申し訳ありませんでした。

  10. 米手作市様
    写真が1枚しか飛びませんでした。
    しつこい様ですが、追加でもう1枚。

  11. 河 昭一郎様
    探していただいたのですね。お疲れ様です。ありがとうございました。
    私はこの付近へ行ったことが無いので『府中競馬場』と『東京競馬場前』の位置関係が分かりませんが、西村さんの説明によると『府中競馬場』は他線が乗り入れていたのでそれほどの乗客量は無かったかもしれません。では、『東京競馬場前』はどうだったのでしょうか?8両~12両がなかったことにはなりません。どなたか、競馬開催日の『東京競馬場前駅』停車中の電車写真を見せてください!

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