年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈3〉

東北本線 特急・急行列車

臨時列車で賑わっていた年末年始の東北本線ですが、もちろん定期列車も数多く運転されていました。東北新幹線の開業前、昭和50年3月改正で見ますと、東北本線の上野口では、特急33往復、急行18往復程度の定期優等列車が運転されていて(途中、日光線、磐越西線など分岐を含む)、在来線としては、いちばんの特急・急行の頻発線区でした。この改正では、急行列車を格上げして、24系25形客車の新造による、寝台特急の増発もあり、特急が主役へと代わっていきます。撮影したのは昼間の時間帯で、寝台特急の撮影はできていませんが、昼行の特急・急行、夜行急行を数多く撮ることができました。東北本線の特急の中で、本数から言っても代表格は上野~仙台の「ひばり」だろう。昭和36年に誕生以来、増発、編成増強を続けて、ピーク時の昭和53年10月改正では15往復に達して、エル特急の代表にもなった。栗橋付近(昭和50年1月)

「ひばり」の主力は485系だが、仙台所12連、同13連、青森所12連、さらに「はつかり」と共通運用の583系もあって、編成も変化に富んでいた時代だった。関西ではスカートを切り欠いた不細工なボンネット485系「雷鳥」が多く、正調ボンネット485系ががバンバン通過するのに感激した。栗橋付近(昭和50年1月)東北本線の特急の歴史は、昭和33年11月運転の「はつかり」から始まる。昭和43年10月改正の東北全線電化で583系化され、この時代でも上野~青森で運転され東北本線を代表する特急だった。岡本付近(昭和51年1月)

上野~盛岡の「やまびこ」、東北の地域を結ぶ準急の愛称名から抜擢されて、昭和40年10月改正の東北本線盛岡電化で誕生した。485系は、このような貫通型もあった。栗橋付近(昭和50年1月)上野~山形の「やまばと」、愛称としては二代目になり、昭和40年10月改正で80系DCで誕生した。奥羽本線の電化で485系化され、この時期は3往復体制だった。栗橋付近(昭和50年1月)上野~会津若松の「あいづ」。昭和43年10月改正で誕生した。磐越西線が単線のため増発が難しく、終始1往復のままだった。岡本付近(昭和51年1月)夕陽のなかに、485系貫通型のシルエットが浮かぶ。下り「やまばと」栗橋付近 (昭和50年1月)

奥羽本線経由で上野~青森を走った急行「津軽」、岡本駅を通過して行く。“出世列車”として名高く、集団就職、出稼ぎの利用客が多かった。EF58 108牽引(昭和51年1月)「八甲田」は昭和36年10月に設定された上野~青森の急行、撮影した区間では座席車のみの運転で、均一周遊券客にも愛用された。EF58 109牽引 岡本付近(昭和51年1月)デッキ付き電機も活躍、これは回送列車だが、EF57 1が12系客車を牽く。岡本付近(昭和51年1月)東北本線の電車急行の歴史は、昭和37年10月の上野~仙台、交直両用の451系の「みやぎの」に始まる。車輌面でも、453、455系と進化した。写真は、上野~盛岡の下り「いわて1号」 片岡付近(昭和51年1月)直流区間の上野~黒磯を走る「なすの」。設定当初はデラックス準急157系「日光」の間合い運用として誕生した。157系が特急に召し上げられたため165系となり、撮影当時は5往復で、日光行き、桐生行きを併結していた。片岡付近 (昭和51年1月)

1 thought on “ 年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈3〉

  1. 私が東北へ行った頃は、まだ蒸機全盛で、電車特急など見かけませんでした。それでも「はつかり」がDCになったので上野まで見に行ったことがあります。撮影技術など考える余地もない恥ずかしいホーム撮りですが、初期のキハ80系の晴れ姿は貴重品になりました。

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