どうする木次線・第五部

松江から「どうする木次線」の第五部が送られてきました。
今回は、存続に成功している二線が取り上げられていますがどちらも三セクで成功しています。
JR西日本は採算だけで存廃を決めているのに対して三セクは素材の魅力を最大化して収益化しているのが分かります。
この際、JR西日本による存続に頼るのをあきらめ、三セク化を考えるのが早道かも知れません。

先日のホームカミングデーで講演をされた、江上英樹氏などもアニメや映画のロケ地として取り上げれば観光客が取り込める、と言われていました。実際「さかねとつむぎとキスキ線」というアニメまで作っています。
今までの沿線住民活動とはちがってきたように思います。

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木次線からの便り

松江の友人から木次線の情報が入りました。

12月14日に木次経済文化会館で、今年のホームカミングデーで講演される江上英樹氏が講演をされます。

12月12日は木次線の全線開通記念日で、それを祝うイベントが木次線沿線で盛大に開催されるそうです。
そこでは木次線存続に関してパネルディスカッションや江上英樹氏による基調講演「マンガでつなぐ地域の未来」が開かれます。

また、当日完成で木次線応援コミックス「さかねとつむぎとキスキ線」が発表されるようです。

送られてきたパンフを掲載しますのでご覧頂き、行ける方はぜひともご参加下さい。

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どうする木次線第四部

風前の灯火の木次線存続について各界の識者が投稿されています。

この各氏の見解はおもしろい。
我々とほぼ同じ考えの方もいて心強く思う半面、JR後に入った公務員は的外れな意見で引っ張ろうとしている。大学教授は三段スイッチバックの活用を主張されている。新幹線次第で北陸線が第三セクター化する滋賀県知事のお考え、また、大井川鐵道の鳥塚社長の経験話は説得力がある。

ま、取りあえず読んでください。その後ご意見をコメントでお寄せください。 続きを読む

教えてください、北海道のスイッチバック!

我が家のお隣にお住まいの方と仲良くしていますが、この奥様が元天鉄局のスジ屋さんの娘さんで、昨日こんな質問を頂きました。

「50年前の学生時代に北海道を旅行した時、スイッチバックを通った記憶があるが、それがどこだったか思い出せない。北海道にスイッチバックはありますか?」というものです。
ちょうど準特急さんの仁山が話題に上がっていたこともありGoogleで調べたらかつて10カ所近いスイッチバックがあり、常紋信号所や狩勝信号所が勾配型スイッチバックだったが廃止、現在は非勾配型の遠軽のみとなっているそうです。

そこで50年前の記憶を呼び覚ましてあげるために「北海道のスイッチバック」の写真をお持ちの方は投稿して頂けませんか?
私は仁山しか持っていません。

因みにこの奥様は鉄分はお持ちでなく、父君が亡くなった後、家に有った鉄道関係のコレクションはすべて廃棄したそうで、いまは形見の懐中時計だけが残っています。
捨てたコレクションの内訳をここで明記することは敢えて致しません。

どうする木次線第三部・・・2

木次線は出雲横田~備後落合間が乗車効率が極端に悪く、廃止の根拠の一つとされています。
しかし、この間にこそ木次線の魅力が凝縮されているのですがそれを利用できてないと私は思っています。
三段スイッチバックや鬼の舌震い、たたら製鉄などもっと海外の客を誘致できるものがあるのに活用できていないのでは。
それに追い打ちをかけたのが「おろち号」の廃止でした。
記事にも出ていますが廃止後に輸送密度が激減したことです。予想できたこと、というよりJR西日本は分かっていてそうしたと思います。

愚痴が出てきますのでまずお読み頂きます。

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どうする木次線第三部・・・1

松江在住の友人から山陰中央新報の「どうする木次線第三部」が届きました。
若い会員には「木次線」は遠い存在かも知れませんが、昭和世代の会員にとっては小海線と共にC56が活躍していた線区として忘れられない鉄路です。
その木次線が、いま芸備線と共に廃線になろうとしています。
地元の方々も努力はしているようですが、三江線もあの通りあっけなく廃止されてしまいました。
どうすれば残せるのか、もう一度皆さんも考えてくれませんか?

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どうする木次線第二部

先月に続いて松江在住の友人から地元紙「山陰中央新報」掲載の『どうする木次線』の第二部が送られてきました。

今回は木次線と接続する芸備線、同じく切り捨てられようとしているローカル線です。
読むと、JR西日本は早く廃線へ持って行こうとしている様子が見て取れます。
でも、地元はなんとしても阻止したい、と頑張っているようですが旗色悪し、と言うところでしょうか。

いつも言うことですが、乗って残そうではダメでしょう。無くてはならない芸備線(木次線)にしなくては。

皆さんのアイデアも聞かせて欲しいものですね。

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木次線情報

松江在住の同級生が、木次線に執着している私を気にかけていてくれて、最近地方紙に連載された記事を送ってきてくれましたのでご紹介します。

三江線が無くなって久しく、木次線の話題もこちらでは聞かなくなりましたが、中国の山間部では芸備線とともに存廃が現実味を帯びてきているようです。

何よりも出雲横田以南の人口が467人とは知りませんでした。
これではJR西日本のおろち号廃止などの嫌がらせを待つまでも無く立ち枯れになるのもやむを得ないか、と思うかも知れません。
しかし、記事にもあるように三段スイッチバックや鬼の舌震いなど貴重な観光資源があることも強みです。

どうかDRFCクローバー会の皆さん、現地で頑張っている皆さんを今一度応援しましょう。

それにしても「おろち号」の廃止は納得できるものではありません。
当時、奥出雲町長とも連携してJR西日本の説得を企てましたが効果をえませんでした。中国新聞でも取り上げて貰いましたがダメでした。なにより地元が興味を示さないのが致命的です。そしてこれが最後の機会かも知れません。

クローバー会が韓国の新聞に載りました

明けましておめでとうございます
今年もデジ青を宜しくお願い致します

昨年の12月11日、韓国の国際新聞にクローバー会の明知鉄道見学会での写真が掲載されました。

これについて説明致します。
私の法学部の後輩・朴明欽氏からの紹介で、彼の友人で東明大学情報社会学博士・髙ヨンサム教授が編集している連載記事「人生二毛作」シリーズに出て欲しい旨依頼されました。これは鉄道と関係の無い老後の人生を紹介する記事で、日本人が登場するのは初めてとのことでした。
その中で私の老後はDRFCクローバー会での友人関係が大きいと書きましたところ、鉄道趣味がない韓国人には理解できず、この説明に時間を費やしました。かつて会員有志と釜山にあるコレイルの基地を訪問した話や、日々のデジ青などの説明の中でこの写真を見せたところ掲載されたと言うことです。

この新聞記事をここで見せようか、ずいぶん悩みました。でも写真が使われたからには紹介しないといけないと思ったのと、一部の友人に聞いてみたところ「見たいので掲載しろ」と言われて反対がなかったので出すことにしました。あくまで鉄道主体の話ではなく私個人の話なのでつまらないかも知れませんがお許しください。

なお、韓国から送って来た記事の訳文をそのまま載せますが私の書いた原稿とはずいぶんちがう所がありますのでそれもご理解の上お読みください。

〈見出し〉
70代の日本人交流の生活で 活力 「韓国が好きで 200回も 訪れた」

田野城 喬さん(前列中央の赤いシャツ)が鉄道同好会活動の一環として日本の「明知鉄道」を見学し、記念撮影をしている。 写真の右側に立っているのは機関車の説明員だ。

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今日の京都貨物駅

なにげに外を見たらこんなのが出て行きました。
電車に詳しい方、どこへ行くのでしょうか、この電車の素性を教えてください。

京都貨物駅16:23発 上りです。

準特急さんに怒られますが・・

ボーッと見ていると、「ぞろ目の車両特集」が始まっていました。
それをまたボーッと見ていると、ウチにもあった様な気がしてきまして探しましたところ、ありました。

でも、投稿しようと準備していたら「三桁のぞろ目など価値はない!」とDRFCのプーチンが言っているとか。子供の頃に神風関にだっこして貰った者としてプーチンごときの圧力に負けるわけは行かぬと敢えて投稿します。

まずはゾロ目から

ナハフ111 福知山客車区

 

オロフ333 向日町運転所

 

スハ444 米原駅

次は「回文」式車番。上から読んでも山本山、下から読んでも山本山みたいな。

スエ7117 福知山

 

キハ454 釧路

 

スエ313 遠軽

と、こんなとこです。
古すぎてわからん、て?<m(__)m>

想い出の阪急京都線・・・②

想い出の阪急京都線・・・①より続く

⑩ エレガントな高性能車(1300・1350形)

1957(昭和32)年に京都線に投入された1300形は、920形に代表される

阪急スタイルを一新し脱阪急とさえ思わせた。

車体が全体的に丸みを帯びたデザインで、屋根の両側に沿って長い通気用のル―バ―が設置されていたのがアクセントとなっていて大変エレガントな印象を与えた。

1956(昭和31)年に高性能車と銘打った1000形が神戸線に現れたが、その姿はそれまでの阪急車とは全く趣を異にした洗練されたスタイルであった。屋根はそれまでの阪急には無かった柔らかさを感じる張り上げ仕様となっていた。更に、この高性能車は性能的にも斬新さがあって、全電動車方式の軽量化車体に加えて台車に取り付けられた小型高速度電動機の効果が期待された。その後1000形は1010形に発展し、その京都線版が1300形であったが、製造総数は16両に止まり量産には至らず、2300シリーズの量産車が次に続く事となった。
写真:1302他 京都行通勤特急(1962.8.15.総持寺)

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想い出の阪急京都線・・・①

この記事は河 昭一郎氏が以前に鉄道ピクトリアル誌に掲載されたものをデジタル青信号用に改めてご寄稿下さいました。
米手作市が代理で投稿致します。

阪急京都線が元々は阪急ではなかったのは有名な話で、そのルーツは京阪電気鉄道の子会社であった新京阪鉄道が1925(大正14)年10月15日に天神橋~淡路間を開業したのが始まりである。
後の1928(昭和3)年11月には京都(西院)まで延伸され、大阪(天神橋)~京都(西院)の直通運転が実現した。

その後、北大阪電気鉄道との合併によって十三~千里山間が編入され、その内の淡路~十三間が後の梅田乗り入れの足がかりとなった。
しかし、その後の社会情勢の変化により1930(昭和5)年9月15日には親会社の京阪電気鉄道に合併され同社の新京阪線となった。

この新京阪鉄道は名古屋までの延伸が念頭に有ったため、軌道法を超えた鉄道法に沿って建設されたため、軌道法の阪急とは規格が違いレールは50キロ級、架線方式についても高速対応のコンパウンドカテナリー式(但し、補助吊架線とトロリー線との間隔が広い変形)を採用していた。

写真:爆走する1519他4連の京都行急行・3両目に1550形が混結されている。(1963.7.18.富田)

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探偵団の皆さん!教えて下さい

給水塔の話はおもしろかったですね。
久しぶりに全員参加でワイワイやれて良かったです。

それならばと、大阪通信員さんからご下命がありましたので成り代わりまして探偵さんに調査を依頼致します。

と言いますのは、先日通信員さんのご自宅へ訪問致しましたところ、奥座敷に9㎜ゲージの複線を引いて、DF50の引く旧型客車を走らせておられました。その時「ぶどう色の旧客3等車でアルミサッシというのはあるだろうか?あれば作って走らせたいが、もしなければ偽物(最近の用語ではフェイク)だ!と罵倒されるのは貯金・勉強・親孝行を座右の銘にしてきた老身には堪えられない」と仰ってました。

そこで探偵の皆様にお願いです。
通信員さんの安らかな老後を保障するためにも「アルミサッシを付けたぶどう色の旧客3等車」の写真があるならば見せてあげてください。
私のアルバムには旧2等車はあります。3等車もありますがモノクロのため青か茶色か判然としません。

なお、旧客の青色化は昭和39年から始まっていますので、それ以前に撮影されたなら茶色(ぶどう色)です。

宜しくお願い致します。

ただ今整理中 こんなんが出てきました(その2)

引っ越し後の整理が遅々として進まぬ米手です。
先日の暑気払いの会で大阪通信員さんから「音沙汰なしやないか!なにしてんねん!」とやんわり怒られましたので、台風接近の中一丁で一丁で格闘し始めたところ、おもしろいモノが見つかりましたのでご紹介します。

昭和54(1974)年8月1日に発行されたフジイ大丸の広報誌「むくちじょうほう」で、”あれから10ヶ月京都市電のその後物語”と題する特集です。
これがなかなか専門的にも詳しい編集をしていて、百貨店の顧客サービス品とは思えない出来栄えです。もしかしてあの人が一枚噛んでいたのでは・・・?

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ただ今整理中 こんなんが出てきました

引っ越しとはこんなに煩わしいモノかと、この歳になってつくづく思い知らされました。

家内のケガや病気が重なったこともあって共用スペースの整理を優先したため、私の部屋は未だに段ボールの山。
皆さんの投稿を見るにつけても心ははやりますが、どの箱に何が入っているのかが判らず、本棚が20日頃まで来ないこともあって休止状態です。
そんな中、準特急さんからは「早く書け!サッサと書かないと縁を切る」と言われて焦りまくりです。道理の通じる方ではないので何とか材料を作ったのがこれです。

若い会員はあまり使ったことはないでしょうが我々が現役時代はこれが命、これなしでは長期の旅行など出来ない時代でした。一泊二食付き800円はありがたい限りでした。

ユースホステルの会員証が出てきました。
皆様方の泊まったことがあるホステルはありますか?

今日はこんなところでカンベンして下さい、準特急さん!

謎のメーター

引っ越しをすると訳の分からんモノが突然現れます。
これもその一つです。
もらった覚えも買ったおぼえもなく、もちろん機関車からもぎ取ってきたおぼえもありません。そもそも何をするメーターかも分かりません。
そこでしばらく暇をもてあましているだろう探偵諸氏にお伺い致します。
これは一体なんのメーターでしょうか?何に使われていたのでしょうか?

スクラップブック 事件・事故編・第17回

永らくご無沙汰を致しました。

この度、復活致しました。
その間、会員の皆様より「生きてるのか?」「死んだのなら連絡しろ!」などと暖かい励ましのメールを頂き、会員であった喜びを再確認しつつむせび泣いておりました。この度諸般の用事を片付けて投稿を再開することになりました。と、言っても新しいものは何もなく、古い話題での再出発です。取りあえず準備していたスクラップブック事件・事故シリーズの最終回をご覧下さい。

〈本編の編集中に、涌田浩氏の訃報に接しました。
彼は物静かでありながら知識は豊富で、なおかつ会員としての行動力もあり、よく行事で行動を共にしておりました。最後にお目にかかったのは伊賀電鉄へ行った時です。
この歳になると世の無常をひしひしと感じます。
心よりご冥福をお祈りすると共にご家族に哀悼の意を表します。〉

 

1964,8,23

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帰ってきた米手作市

デジ青読者の皆様、
永らくのご無沙汰です。
巷には「米手は死んだらしいで!」との噂が出回っていたとか。
どっこい生きております。

実は昨年の後半頃から家内の体調が悪くなり、手術を繰り返しておりました。幸い生死にかかわるような事ではなかったのですが、やはり痛がったりしていると出歩くのは気が引けてしまいます。
さらに我が家が娘夫婦による乗っ取りに合い、彼女のマンションと交換することになりました。そしてその引っ越しの直前にまたまた家内の手に菌が入り、さながら豚足のように晴れてしまったのです。古い会員の方はご存じですが家内は免疫抑制剤を使い続けないといけないため菌に感染しやすいのです。結果引っ越しは私一人で荷造りから開封、設置まで一人でするハメになり、更には炊事洗濯までこなすスーパー爺さんになりました。

やっと家内の手も収縮しはじめて久しぶりにデジ青の画面に向かっている次第です。
宮崎繁幹さん、河 昭一郎さんはじめご心配いただいた会員の皆様、お礼とお詫びを申し上げます。

再開してもなにも資料が準備されていませんので、しばらくはコメント欄で構内試運転をする程度になりますがよろしくお付き合いをお願い致します。

最後にあたらしい我が家からの絶景をご覧に入れてご挨拶と致します。

※東寺の五重塔を背景に特急サンダーバードを追い抜く新幹線N700S。屋根はJR貨物・梅小路駅。毎日青い機関車が牽く22両のブルートレインや緑色の「青大将」更にはブドウ色の列車が行き交います。
ジョイントの音を聞きながら、お休みなさい。