スクラップブック 事件・事故編・第16回

事件事故のスクラップ記事も残り少なくなってきました。

では続けます。

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⇧相次ぐこだま型の事故で国鉄の泣きが入ります。

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⇧あいかわらずトラックと電車の踏切事故が多発しています。

 

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⇧梅雨の大雨が続き,各地で鉄道事故が頻発した年もありました。
紀勢線では斜面の崩壊に乗り上げたDF50が転がり落ちる大事故が発生しています。⇩

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⇩梅雨明け近くになっても大雨は被害を拡大させています。

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⇧この記事で、上にある「機転の白シャツ信号」という事件は、トンネル内を通行していた公務員が、60㎝のレール破断を発見し、着ていたシャツを脱ぎ、振って列車を止めた、と言うことで、天鉄局が表彰したそうです。時代が変わると価値観も変わるもので、今なら列車往来危険罪で逮捕されたかも知れませんね。そういえば開催中の写真展にトンネル内から気動車を撮った写真が出ていましたが、これなども「撮り鉄、又暴走!」と言うことになっていたでしょう。

 

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⇧模型ではありません!

⇩そういえば越後線にもC56が走っていましたね。

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まもなく64東京オリンピックの開催です。

スクラップブック 事件・事故編・第16回」への5件のフィードバック

  1. 米手作市さま
    この頃になると事故慣れ?してしまったのか、ほぼ全ての記事事故の認識がありません。紀勢東線や筑後線のも、好きなDF50とC56の事故であるにも拘わらずです。
    そこで唯一コメントできそうな、くたびれた151(181)系こだま型について記憶をたどります。同車には3回乗っています。最初は1964年夏の大阪から宇野までの「うずしお」でした。高校生最後のクラブ研修旅行で四国を一周した際でしたが、試運転時から憧れていた151系に乗ることが叶い感激したものです。2回目は友人と連れ立って山陰~広島と巡った帰りの、広島から大阪までの「しおかぜ」でした。この時木次線をC56の牽く61系客車で通過しています。3回目は1969年、例の寒中北海道見分録に記した旅の終わりで、均一周遊券の有効活用と称して帰路に米坂線に立ち寄ったあと、新潟から上野までの「とき」でした。既述の通り大雪の日で最終「とき」のみの運転で、雪の上越線を飛ばしに飛ばして大宮には5分延着でした。乗ったのが車両の一番前の壁と向き合う席だったため、横揺れがひどかったのと連結部ドアの開閉音がうるさく、もうかなりガタがきていることを感じました。それにつけても米手さまとご一緒した山陰からの帰りにクロの展望席に乗れなかったのは今もって悔やまれます。

    • そうでしたね。
      たしか車掌の無知がなせる業でした。
      いまならSNSでさらし者でしょうね。

  2. 米手作市様、
    DF50最初の用途廃止機の事故の詳報、ありがとうございます。
    当該機は10号機です。7年と短命だったため写真はほとんど残されていませんが、Y大先輩のお写真が「国鉄DF50 Vol.1」(1991年、レイルロード)に掲載されています。
    DF50は昭和38年度末までに138両製造されましたが、10号が用途廃止となり昭和39年度末時点では137両となりました。どうやらこれを製造量数と勘違いしたと思われる記事が「交通技術 1965年9月号」に掲載され、DF50の製造量数は137両と紹介されている書籍等が散見されました。最新では、「津山まなびの鉄道館」でのDF50の看板(?)でした(現在では貼付のごとく修正されています)。
    間違いついでで書いておくと、「波田須トンネル」は新鹿~波田須間にあり、波田須~大泊間にあるのは「大吹トンネル」です。長さから「波田須トンネル」であることは間違いなさそうです。

    • 四方誠様
      思いもよらない情報をありがとうございます。
      これがDF50の廃車第一号でしたか。
      じつはこの記事を投稿するに際して貴兄から何かコメントを頂けそうな気がしていました。それが公式記録の間違いとは驚きました。
      以前にも書きましたが、古い記録を読み返すのはいろんな意味で大切なことですね。

  3. 米手さま御多忙の由、小生がしゃしゃり出て、少しつなぎをしておきましょう。一連の新聞記事の投稿を拝見し、事故の記録に少し関心を持ちました。手元に昔の事故を記録した写真が、若干あります。ただ新聞記事はなく、写真のみで「わただれ、ここどこ」状態です。戦前の記録と思われますが、御教示下さい。7輌編成?の割と長い列車の中間に入った客車が脱線している。列車長からみて、幹線か亜幹線クラスの路線でしょう。この時代の客車の屋根上が観察できる写真は珍しいと思います。客車ファンの方々、どうぞ宜しく。

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