京都は烏丸三条、NTT西日本京都支店内で行って来ました写真展「京都からすま市電通り」は、5日間の会期を終え、昨20日(金)滞りなく終了しました。写真展の企画・進行・応援で多くの皆さんのお世話になりました。そして600名以上の皆様に入場いただき、楽しく、有意義な時間を共有することができました。厚く御礼申し上げます。▲最終日20日(金)の14時ごろの様子、この日も引きも切らずにご来場、最終日のため、15時終了予定のところ、その段階でも20人が滞留、まだ次つぎとご入場のため、急遽一時間延長、16時過ぎにようやく終了。みなさんに手伝っていただいて、素早く撤収することができた。
▲設営は13日(金)から。初めての会場で勝手がわからず、壁面の貼り付けが上手く行かずに暗然とした気持ちに襲われたが、手伝っていただいた皆さんのおかげで妙案が浮かび、あとは急速に出来上がった。
▲会場の都合で土日は休んで16日(月)から開場、10時前には、地元新聞社と放送局がほぼ同時に到着、さっそくカメラが回り、私と勘秀峰さんが二手に分かれて取材を受けた。
入場者の総数は、5日間で計610名という、予想だにしなかった入場者、アンケートご記入も155に上がり、質量とも破格の数字となりました。NTT西日本の担当者をして「ギャラリー始まって以来、間違いなくベスト3に入る」との声を頂戴しました。
私は、以前から30分は滞留してもらえる写真展を目指したいと公言していました。そのためには、とにかく点数を多くして、賑やかな印象が受けられるよう、写真も多方面なマルチ展示を目指しました。もちろん会場選定は最大課題、烏丸線というローカルなテーマ、そのゆかりの場所でやりたいと、以前から着目していたのが、NTT西日本京都支店にあるギャラリーでした。京都の中心地にあり、50年前の市電「烏丸三条」電停の真ん前、今は地下鉄烏丸御池駅の出口から歩いて30秒。さすがに人気があり、来年のことだと思っていましたが、キャンセルで空きが出たと連絡があり、急にやることになったのが、10月中旬、2ヵ月の進行でした。
つぎは企画です。今まで勘秀峰さんとの2人展から幅を広げて、私のお知り合い、またクローバー会の皆さんにも声かけして、約20名のご協力を得ることができ、写真のバラエティはもちろん、年代幅のある展示をすることができました。さらに、写真だけではなく、勘秀峰さんには、年表、古地図、切符コレクションなどをお願いし、さらに写真も、停留所ごとの情景、定点対比も行いました。そしてさらに目玉として、Tさんの烏丸線のスケッチ画を貸していただき、ビジュアルだけではなく、文字情報、絵画もある幅の広い展示を行うことができました。
▲展示の目玉のひとつが、Tさんの烏丸線のスケッチ画、烏丸通の両側の風景を描かれ、総延長が10mもある巨大な画だった。▲ご入場者は、初日こそ50名程度の入場だったが、2日目の朝に新聞報道、3日目夕にテレビニュースで2回放映以降は、うなぎ上り、つねに20~30人がご入場、一日入場者は100人越えに。
▲会場は、烏丸線に乗って通勤、通学をしたという世代が多く、ご夫婦で仲睦まじく当時を思い出しておられたり、高齢のご婦人も多く、“懐かしいわぁ”を連発しながら、相好を崩しておられた。子どもを連れた家族もご入場、ご夫妻は歴史にたいへん関心があって、昔のことを熱心に写真から吸収されていた。
▲ご来場者に古地図の説明をする勘秀峰さん。▲▲会場ではさまざまなグループができる。M高校同窓生は、烏丸車庫前の商店の位置で白熱の論議が。
▲京都の中心、烏丸三条、ちょっと派手めのポスターが写真展の目印。中央が地下鉄烏丸御池駅の5出口、地下鉄から振り向いて歩けばすぐ到着、これ以上望むことができない交通至便の一等地ですることができた。なお、左手のビルはNHKで、徒歩1分で取材に来られるのも取材を促したようだ。
▲NTT西日本の京都支店1階の奥にあるコラボレーションプラザ、かつて電話交換手が業務を行っていた時代からの建物で、分社化が進んだ現在、空きスペースの活用として、市民に提供されている。
改めて、多くの皆さんのご協力をいただきました。遠くからもご来場いただき、心からから御礼申し上げます。あまりにも多数のため、個々のお名前は省略させていただきました。
総本家青信号特派員様
写真展、企画立案から今日に至るまでお疲れ様でした。残念ながら訪ねることはできませんでしたが、熱気は十分に伝わってきました。メディアの力、そして京都市電を愛する方々の存在を改めて感じました。
奈良の駅名研究家さま
LINEには、永久保存版を載せていただき、ありがとうございます。駅研さんのように、若くて働いておられる方には、日程が合わず、申し訳ありませんでした。ただ、主たる見学者は高齢者で、連日の人出となりました。また付近には会社も多く、昼休みにコンビニ袋を下げたサラリーマンも入場してくれました。
写真展にご協力を頂いた皆さん、とりわけ搬入搬出を手伝って頂いた皆さま方のおかげで、5日間の会期を終わることができました。来場者は平日の開催で延べ600名少しと信じれれない数字になりました。事前の広報活動や京都新聞・NHK京都での紹介もあり、19日には1日の来場者が200名を超えました。
熱心に展示をご覧になっている方が多く、150通近くのアンケートの殆どには少し長めの感想が書かれていました。私も総本家様と組んで市電写真展を何度か開催しましたが、こんなに反応が良かった展示会は初めてです。
沢山の方から烏丸線の写真が集まり、企画・レイアウトも良く、ギャラリーも清潔でゆったりと鑑賞環境が整った申し分のない写真展だったと思います。ホストの一人として改めて、皆さん本当にありがとうございました。
勘秀峰さま
わずか2ヵ月で、よくぞ出来たと思います。今までの経験がちゃんと生きました。会場も言うことなしでした。大通りから会場が見えるのは、大きなポイントで、入った途端、写真はある、画はある、資料はあるの、期待感、ワクワク感を醸成できたと思いますし、会場のレイアウトも、二人で考えた結果、奥行きのある展示や、斜め導線など、変化を付けることができました。
総本家青信号特派員さま 勘秀峰さま
先ずは大成功、ご同慶の至りでおめでとうございました。18日午後いちに鉄鈍爺さんと伺いましたが、想像していた普段の写真展を遥かに凌ぎ、お二方がご説明されているとおり、また来場の皆さんが仰っているように、色々工夫されことがよくわかる一味違った展示でした。
物心ついた頃から市電に親しみ、また小学生から市電通学をしていた私にとっては懐かしい写真の数々でした。東本願寺前の写真では親戚が大宮五条に居たので、従弟達と遊びに行った時の記憶が、また四条烏丸電停の写真では、中学時代に朝の通学時のラッシュに揉まれた記憶などが蘇りました。烏丸今出川ではEVEの準備で徹夜作業を強いられましたが、夜食のラーメンを食べに行った際に、先輩が10円硬貨でポイント転換して遊んでいたことなどを想いだしました。路線は違えど都合10年強の期間を市電通学した者にとっては、停留所なり風景なりでの、ポイントごとに思い出があったことを改めて認識させて戴きました。期間中お疲れさまでした。
1900生さま
当日はご来場、ありがとうございました。その場でも、お褒めの言葉や、ねぎらいの言葉を頂戴し、お気遣いに感謝申し上げます。実は私は、普段使いで烏丸線に乗ったことがありません。BOXで皆さんから、乗って来た市電形式を声高に論じておられるのを、おとなしく聞いているだけでした。でもEVEの徹夜作業で見た市電は覚えています。10円玉でポイントを変える秘術は、DRFCの伝承だったのですね。私は、蒸機列車に乗っていて、撮影者を見つけたら、窓を開け、新聞、雑誌を持って、思い切り手を振って撮影のジャマをすることが、唯一の伝承かと思っていました。
総本家青信号特派員さま
へえ~そんな伝承がありましたか。というのはトボケで、ありましたねそういう悪習が。私は加太と常紋でされました。当時は本数が多かったので悪ふざけで済みましたが、今なら大騒ぎでしょうね。因みに私は被害者で誓ってやったことはありません。青春の一ページでした。
1900生様
はい、私も被害者の一人ですよ。柘植~加太でやられました。
勘秀峰様
ご盛会、誠におめでとうございます。
本当に千客万来、勘秀峰さんは次から次から丁寧の説明されておられ、さぞかしお疲れだったのではと思います。
しかし、それだけ熱心な方々がお見えになっているということで、開催の目的が見事に達成されたということですね。改めてお疲れ様でした。
乗車券のスクラップ帳、思わず手に取り見入りました。学生時代の乗車券等半世紀前にタイムスリップしました。片道13円往復25円とか
15円に値上げされたとか・・懐かしかったですね。
よくちゃんと整理されて保管されておられる事、そしてそれを皆さんに開放されておられる事に敬意を表する次第です。
マルーン様 労いのお言葉、ありがとうございます。展示会終了後も貴重なアンケートの集計があり、忙しくしていましたが、ようやく落ち着きました。
今回のファイルはOB会のOさんから寄贈のあった切符類を加えてリニューアルしました。お陰様で乗車券・回数券は13円→15円→25円→50円→70円→90円と、それぞれの時代ごとに主な券種が揃い、かなりの方に「あっ、これ使ったことがある」と懐かしがられたと思います。日常使用していた切符でも並べてファイルすれば、コレクションのようになるから不思議なものです。