こっそりと温めていた廃駅名シリーズの最初は、京都市電です。廃駅名といえども、今でもバスの停留所名として残っているのが、嬉しい限りです。宇都宮に近々、LRTが誕生します。京都でも再び機運が高まり、生きている間に京都でのLRT実現を目の当たりにしたいと思います。【2023/1/3 21:36修正】
今回の執筆にあたり、OBの著書「京都市電が走った街 今昔 古都の路面電車定点対比 沖中 忠順・著 福田静二・編 JTBキャンブックス 2007」に大変お世話になりました。以下の駅名は、この著書に記載の路線図(昭和44年(1969年)8月18日~9月30日、昭和36年(1961年)7月31日廃止の北野線を含む)に基づいたものです。
路線名に誤植があるかもしれません。
【長い駅名(読みがな数)ランキング】
第1位:博物館三十三間堂前(はくぶつかんさんじゅうさんげんどうまえ)19字 七条線
第2位:西陣職業安定所前(にしじんしょくぎょうあんていしょまえ)18字 北野線 :読み方、合っているのでしょうか。
第3位:四条河原町新京極(しじょうかわらまちしんきょうごく)16字 河原町線、四条線
【長い駅名(漢字表記数)ランキング】
第1位:博物館三十三間堂前(はくぶつかんさんじゅうさんげんどうまえ)9字 七条線
第2位:西陣職業安定所前(にしじんしょくぎょうあんていしょまえ)8字 北野線
第2位:四条河原町新京極(しじょうかわらまちしんきょうごく)8字 河原町線、四条線
【「烏丸」を含む駅名:14駅名】
烏丸今出川(烏丸線、今出川線)
烏丸御池(烏丸線)
烏丸鞍馬口(烏丸線)
烏丸五条(烏丸線)
烏丸三条(烏丸線)
烏丸車庫前(北大路線、烏丸線)
烏丸高辻(烏丸線)
烏丸中学前(烏丸線)
烏丸出水(烏丸線)
烏丸中立売(烏丸線)
烏丸二条(烏丸線)
烏丸丸太町(烏丸線、丸太町線)
四条烏丸(烏丸線、四条線)
七条烏丸(七条線、烏丸線)
【「西大路」を含む駅名:12駅名】
西大路駅前(西大路線)
西大路御池(西大路線)
西大路九条(西大路線、九条線)
西大路五条(西大路線)
西大路三条(西大路線)
西大路四条(西大路線、梅津線(トロリーバス))
西大路七条(西大路線、七条線)
西大路下立売(西大路線)
西大路蛸薬師(西大路線)
西大路八条(西大路線)
西大路花屋町(西大路線)
西大路松原(西大路線)
【「千本」を含め駅名:10駅名】
九条新千本(九条線)
七条千本(七条線)
千本今出川(今出川線、千本線)
千本北大路(北大路線、西大路線、千本線)
千本鞍馬口(千本線)
千本三条(千本線)
千本十二坊(千本線)
千本出水(千本線)
千本中立売(北野線、千本線)
千本丸太町(千本線、丸太町線)
【「丸太町」を含む駅名:9駅名】
烏丸丸太町(烏丸線、丸太町線)
川端丸太町(丸太町線)
河原町丸太町(河原町線、丸太町線)
千本丸太町(千本線、丸太町線)
堀川丸太町(北野線、丸太町線)
丸太町御前通(丸太町線)
丸太町七本松(丸太町線)
丸太町新道(丸太町線)
丸太町智恵光院(丸太町線)
【「堀川」を含む駅名:9駅名】
今出川堀川(今出川線)
北大路堀川(北大路線)
四条堀川(北野線)
堀川御池(北野線)
堀川三条(北野線)
堀川下長者町(北野線)
堀川蛸薬師(北野線)
堀川中立売(北野線)
堀川丸太町(北野線、丸太町線)
【「今出川」を含む駅名:7駅名】
今出川大宮(今出川線)
今出川浄福寺(今出川線)
今出川新町(今出川線)
今出川堀川(今出川線)
烏丸今出川(烏丸線、今出川線)
河原町今出川(河原町線、今出川線、下鴨線)
千本今出川(今出川線、千本線)
【「西洞院」を含む駅名:7駅名】
四条西洞院(北野線、四条線)
七条西洞院(七条線、北野線)
西洞院五条(北野線)
西洞院正面(北野線)
西洞院仏光寺(北野線)
西洞院松原(北野線)
西洞院六条(北野線)
【「大宮」を含む駅名:6駅名】
今出川大宮(今出川線)
大宮五条(大宮線)
大宮松原(大宮線)
九条大宮(九条線、大宮線)
四条大宮(四条線、千本線、大宮線、梅津線(トロリーバス))
七条大宮(七条線、大宮線)
【〇〇条】
一条:
東一条(東山線)
二条:
烏丸二条(烏丸線)
河原町二条(河原町線)
二条駅前(千本線)
二条城前(北野線)
三条:
烏丸三条(烏丸線)
河原町三条(河原町線)
千本三条(千本線)
西大路三条(西大路線)
東山三条(東山線)
堀川三条(北野線)
四条:
四条大宮(四条線、千本線、大宮線、梅津線(トロリーバス))
四条御前通(梅津線(トロリーバス))
四条烏丸(烏丸線、四条線)
四条河原町新京極(河原町線、四条線)
四条京阪前(四条線)
四条堺町(四条線)
四条中学前(梅津線(トロリーバス))
四条中新道(梅津線(トロリーバス))
四条西洞院(北野線、四条線)
四条坊城(梅津線(トロリーバス))
四条堀川(北野線)
西大路四条(西大路線、梅津線(トロリーバス))
五条:
大宮五条(大宮線)
烏丸五条(烏丸線)
河原町五条(河原町線)
五条坂(東山線)
西大路五条(西大路線)
西洞院五条(北野線)
六条:
西洞院六条(北野線)
七条:
七条大橋(七条線)
七条大宮(七条線、大宮線)
七条御前通(七条線)
七条烏丸(七条線、烏丸線)
七条河原町(七条線、河原町線)
七条千本(七条線)
七条西洞院(七条線、北野線)
七条壬生通(七条線)
西大路七条(西大路線、七条線)
東山七条(七条線、東山線)
八条:
京都駅八条口(伏見線)
西大路八条(西大路線)
九条:
九条大宮(九条線、大宮線)
九条河原町(九条線)
九条近鉄前(九条線)
九条車庫前(九条線)
九条新千本(九条線)
西大路九条(西大路線、九条線)
十条:
十条通(伏見線)
【〇〇口】
烏丸鞍馬口(烏丸線)
京都駅八条口(伏見線)
京阪国道口(九条線)
荒神口(河原町線)
島原口(大宮線)
千本鞍馬口(千本線)
【〇〇道】
清水道(東山線)
銀閣寺道(今出川線、白川線)
城南宮道(伏見線)
真如堂道(白川線)
泉湧寺道(東山線)
太子道(西大路線)
【〇〇前】
梅津車庫前(梅津線(トロリーバス))
叡電前(東山線)
岡崎公園前(東山線)
烏丸車庫前(北大路線、烏丸線)
烏丸中学前(烏丸線)
衣笠校前(西大路線)
京都駅前(烏丸線、河原町線、北野線)
金閣寺前(西大路線)
錦林車庫前(白川線)
九条近鉄前(九条線)
九条車庫前(九条線)
熊野神社前(東山線、丸太町線)
乾隆校前(千本線)
裁判所前(丸太町線)
四条御前通(梅津線(トロリーバス))
四条京阪前(四条線)
四条中学前(梅津線(トロリーバス))
下鴨神社前(下鴨線)
出世稲荷前(千本線)
植物園前(北大路線)
大徳寺前(北大路線)
知恩院前(東山線)
同志社前(今出川線)
東寺前(大宮線)
西大路駅前(西大路線)
西陣職業安定所前(北野線)
二条駅前(千本線)
二条城前(北野線)
農学部前(今出川線)
博物館三十三間堂前(七条線)
東本願寺前(烏丸線)
府庁前(丸太町線)
船岡公園前(北大路線)
府立大学前(北大路線)
府立病院前(河原町線)
壬生車庫前(千本線)
洛北高校前(北大路線、下鴨線)
洛陽高校前(九条線)
わら天神前(西大路線)
【難読駅名】この駅名は当初、読み方の見当が全くつきませんでした。
糺の森(下鴨線)
このところ、ず~っとこのホームページには「出る幕無し」「全く歯が立たない」状態が続き、モンモンとしていました(笑)が、待ってた甲斐が有ってやっと出番?到来・・・って勝手にそう思ってキーを叩いている次第。
さて、能書きはそれぐらいにして・・・
貴殿の研究については、その足元にも及びませんが、中でたった1つの停留所名にビビッと反応しました!
それは「四条河原町新京極」で、貴殿の記述には淡々と「読み仮名数16文字、第三位」「漢字表記数8文字、第2位」とのみしか記述が有りません。
小生としては「京都市電で最初の?長い停留所名」なぁ~んて知ったかぶりしたい気持ちなんですが・・・実はそうでは無かった!などと頭から冷や水を掛けられる?期待が膨らむのは傘寿を過ぎた老いぼれの本能?
以上、取り方によってはとんだ捻くれ者ですが、正月に免じて今年もよろしく。
河 昭一郎様
コメントを頂戴し、誠にありがとうございます。過去のデジ青の記事を拝見いたしましても、「四条河原町新京極」が京都市電で一番長い駅名との記述がありました。
先述の著書を拝見する限り、昭和42年12月1日に「三十三間堂前」から「博物館三十三間堂前」に停留所名が変更されたとありますので、それまでは、「四条河原町新京極」が一番長かったのは確かだと思います。
ちなみに、「四条河原町新京極」も昭和38年6月20日に、「四条河原町」から変更されたと書かれております。
京都市電については、先輩方が多くをご存知のことと思いますので、これ以上のコメントは控えさせていただきます(笑)
私が生まれたときには、京都市電どころか、国鉄もございません。今年のデジ青では「温故知新」の一年にしていきたいと思っております。
今年もよろしくお願い申し上げます。
河さま
奈良の駅名研究家さま
「四条河原町新京極」は、私もいちばん長い停留場名だとの認識がありました。たしか鉄道ピクトリアルのトピックフォトに「四条河原町新京極」を発表されたのも河さんでしたね。昭和38年のことですから、駅名研究家さんの生まれる30年以上前でしょうか。
数字入りの停留場名が「一」から「十」まで、欠けることなく、多く揃っていることは、さすが京都です。「西陣商業安定所前」の読みですが、細かいことですが、「あんていしょ」が正しいです。それと「岡崎道」ですが、これは原本にされた我々の本の誤記で「岡崎通」が正しく、お詫びします。「〇〇道」は、「〇〇へ通じる道」の意の京都独特の命名ですが、「四条中新道」「丸太町新道」は、交差する「通り名」を指しますので、意味合いが違ってきます。
総本家青信号特派員様
コメントありがとうございます。
ネットに溢れている情報よりも、チームデジ青を信頼しております。
大変勉強になりました。早速訂正いたしました。
正しい読み方に関しては、分からずじまいの駅もありました。例えば、全ての七条シリーズの駅名を、「しちじょう」と読ませてよいのでしょうか。
地下鉄烏丸線に乗るのも飽きたので、今度京都を訪ねる際は京都市営バスまたは徒歩で、ゆっくり停留所散策をしようかと思います。
話はそれますが、私もバスは好きです。いつか、奈良交通の八木新宮線に乗りたいと思っております。行程中に鉄道を織り込ませたら、OB会の企画として成り立つのでしょうか。
車窓から五新線を眺めつつ、谷瀬の吊り橋に立ち寄り、帰りはHC85系で、津・名古屋方面へ。
奈良の駅名研究家様
今回改めて全国の路面電車の『電停』(正式には路面電車停留場)の名称を眺めてみると、それどれの都市の命名方式に特徴があったようですね。隣(?)の大阪市電と比較しますと、京都の場合は地名を縦(南北)横(東西)の通りの組み合わせで表記するので位置の特定が明確ですが、大阪にはそのような規則が無いため、例えば上本町線には上本町一、上本町二、上本町四、上本町六(いわゆる上六)、上本町八、上本町九という電停が連続しており、下車する電停を間違えると大変なことになりました。また、地形の関係上京都市電には『橋』のつく電停が8つしかありませんが、大阪市電は八百八橋と言われるだけ橋のつく電停が多く、東西線には末吉橋、長堀橋、三休橋、心斎橋、佐野屋橋、四ツ橋と橋のつく電停が続いていました。
路面電車の電停や路線バスのバス停に鉄道線の駅と接続する箇所の名称として「○○駅前」または「○○駅」と命名されますが、京都市電は、京都駅前、西大路駅前、二条駅前とよぶ前者のグループですが、九条近鉄前(九条奈良電前)、四条京阪前という名付け方は京都独特のルールで、他には大阪市電の野田阪神前しかありません。後者は少数派で、バス会社を除くと一時期の東京都電と広島電鉄が該当しています。
快速つくばね様
大阪市電の駅名は仰せの通り、間違えると大変になりそうですね。そう思うと、京都市電は地名の位置関係・規則を覚えたら便利なものです。やはり、駅名は端的に場所が分かる駅名がベストです。
いつか全国の路面電車をまとめてみようと思います。
奈良の駅名研究家様
いつも楽しく拝見させていただいております。私鉄や新しい駅名は知らないことばかりで、大変勉強になります。
さて、京都市電に関して当会には「市電の神様」や「市電の鬼」が居られ、私などは出る幕が無いのですが、停留所の命名には一定のルールがあったように感じます。交差する二つの道路名を並べた場合、先に来るのは南北の通りで、東西の通りは後になるようです。烏丸線では『烏丸〇〇』となりますが、『四条烏丸』は別格のようです。しかし『七条烏丸』は烏丸通の方が格上に感じます。
市電が通る道「電車道」と電車が通らない道が交差する時は、線路のある方を優先するようです。「千本鞍馬口」「今出川浄福寺」などの例があります。
N電の「西陣職業安定所前」は古い地図に「中立売大宮」と表示されています。「西陣職業安定所前」を名乗った時期は、意外と短かったのかもしれません。ただ、利用客は正式な名称ではなく「職安前」と呼んでいたように思います。今のバス停は「大宮中立売」となっており、バスの走らない大宮を優先しているように感じます。南北の通り名を優先したのでしょうか?
市電が無くなってから45年、N電は62年になります。遠い昔のことになりました。鉄道ファンではない市民にとって、正式な名称の『四条河原町新京極』は馴染みが無く、『四条河原町』と呼んでいたように思います。また、「七条」の読み方ですが、「しちじょう」は「しじょう」と間違いやすく、乗務員も「ななじょう」と言う場合が多かったように思います。「ひっちょう」と言う人も、高齢者を中心に見られました。私は日常的に「ななじょう」を使っていました。
紫の1863様
いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。
「七条」の読み方、手元に日本鉄道路線図(1966年版・鉄道ピクトリアル編集部編 鉄道図書刊行会)があることを思い出し、早速拝見すると、「しちじょう」とありました。仰せの通り、「しじょう」と紛らわしいので、「ななじょう」と呼称していたのでしょうね。
紫の1863様、今後も引き続き駅名の話題を提供してまいりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
奈良の駅名研究家様、はじめ読者各位へ
遅まきながら、明けましておめでとうございます。
本年もどうかよろしくお願いいたします。
さて、当会には市電の大家が多くおられ、特にコメントされてもおられないので、私の杞憂であればよいのですが。
気になったのは「博物館三十三間堂前」。市電最終日に智積院の門のところから200mmで狙った下手くそな写真に電停の名称板(添付写真の赤丸)が写っていました。上部が大和大路七條交差点の信号機に隠れ判然としませんが、右から縦読みすると「○○前○○三間堂」とあり、後者の○○は三十で間違いないと思うのですが、前者の○○が博物館ではちょっと字数が違うような気がします。当時、現場にいたのなら知ってるだろう、と怒られそうですが、三十三間堂の前後に何かついていたような・・・ぐらいの記憶しかありません。
ご参考程度に。
四方誠 様
コメントありがとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
この写真を拝見する限り、確かに字数が違う気がしますね。S42.11.31までは「三十三間堂前」、12.1からは「博物館三十三間堂前」ということでしたが、真相はいかに。
探偵〇〇〇スクープの皆様、いやデジ青探偵の皆様、ご教示ください。
信号機に隠れているのがミソですね。しかし、右上にも文字らしきものが見えてますので、4文字だったのかもしれません。
あきらかな誤表記ですが、右側に「博物館前」、左側には「三十三間堂」と書かれていたように思います。
証拠となる写真があれば問題は解決できるのですが、私のネガにはありません。市電の神様なら、きっとお持ちではないでしょうか。
四方誠さま
紫の1863さま
はい、“神様”も探しましたょ。智積院の石段から撮ったものは、たくさんあるのですが、くだんの電照標識は、やっぱり信号機に隠れていました。博物館の前あたりから撮ったものに、やっと写っているものを見つけました。正解は「一字下げ」でした。分かったら“なんや~”となるのですが、それにしても、よく見つけられましたね。
紫の1863様、
総本家青信号特派員様、
お二人の神様には、私の個人的な杞憂を払拭していただき、ほんとうにありがとうございました。
電照板の写真をきっちりと抑えておられる総本家青信号特派員様、また、その写真のとおりの記憶を確かにお持ちの紫の1863様、恐れ入りました。
紫の1863様がご指摘のように、信号機上部に電照板上部が写っており、博の文字の右上の部分も写っていたにも関わらず、信号機下部の電照板の明るさの違いから別物と判断した私の完全なミスでした。
結局のところ、紫の1863様の仰せのごとく、「博物館前三十三間堂」は誤表記だったということですね。
京都市電の“電停名称”や“運転系統”の変遷について本格的な調査を開始したのは、自身が大学3年だった1995(平成7)年のことで、京都府立総合資料館で見つけた『京都市交通局 事業概要(月報)』がきっかけとなり、自身が知りたかったことが正確に完全把握出来ました。
ちなみに判明したのは1953(昭和28)年1月から市電が全廃される1978(昭和53)年10月まででしたが、これが『京都市電が走った街 今昔』の巻末資料として活用され、後に陽の目を見ることとなりました。
その15年後の2010(平成22)年には、市電に関するさらに古い資料が市役所の行政情報公開コーナーにあることを知り、『京都市交通局 交通事業白書』/1948(昭和23)年度から1959(昭和34)年度と、統計資料シリーズNo.4『数字で見た市電・市バスの歩み(電車路線・運賃)』で、市電梅津線の延伸(東貝川町〜梅津北広町 間)/1945(昭和20)年8月3日以降のことが判明して今に至ります。
いずれにしても、自身が興味を持ってきちっと調べてまとめたものが陽の目を見て、皆さんのお役に立っていることが嬉しいと感じております。
山本清治様
コメントを頂戴し、誠にありがとうございます。
巻末資料が非常に見やすく、本投稿の際には大変お世話になりました。駅名改称の日時が記されていたことも好都合でした。
京都市電の復活を願ってやみません。