明けましておめでとうございます。
今年も、チョット古い話と自宅周辺の話題を書込みしたいと思いますので、よろしくお願い致します。
平成26年に因み、形式または車号が「26」の車両を集めてみた。
旧国鉄車両
(1)電気機関車
ED26
初代と2代目があり、初代から解説する。
ED261 / (43-8-30) 西長岡
富山港線の前身富南鉄道のロコ2で、大正14年WH社製で昭和15年日本鉄道自動車で改造されたと言われている。
昭和32年にED261に改番され、引き続き富山港線で使用されていた。
昭和35年1500Ⅴ昇圧により廃車になり、越後交通に譲渡され長岡線、来迎寺線で使用されていた。
ED2611、12/上 (45-11-23)飯田 下 (46-9-25) 辰野
2代目は伊那電鉄のデキ21、22で昭和4年芝浦製作所製である。
昭和27年にED331、332に改番、更に36年の改番でED2611、2612となった。
(2)電車
こだま形の151系1次車が昭和33年にクハ26001~006としてデビューしたが、翌36年6月の改番でクハ151-1~6なった。
クハ151-6(←クハ26006)他12連 / (39-9-26) 京都
京都駅に進入する特急「つばめ」で、撮影直後の10月1日に新幹線が開業した。
サハ26
富士身延鉄道のサハ50~53、サハ60~62、サハ70~72が買収時にサハ26001~010に改番されている。
非電化時代の客車をそのままサハにしたものでスタイルは客車そのものであった。
詳細は、佐竹先輩のネコパブ社「私鉄買収国電」P66~P78「富士身延鉄道」を参照いただきたい。
(3)気動車
キハ26、キハユニ26、キユニ26、キニ26と4形式もある。
キハ26
準急用キハ55の1個エンジンバージョンとして昭和32年から35年にかけて188両新製された。
昭和32年製の22両(1~22)は上段Hゴムの2段窓、33年製以降は1枚窓となり100番代(101~266)が付番された。
その後、42年から43年にかけてキロハ25が格下げされ300番代(301~315)に、キロ25が格下げられて400番代(401=461)に改番された。
さらに51年から52年にかけて21両が通勤用に改造され600番代となり、601~616がオールロングシートで筑肥線、617~621が中央部の4脚を残し指宿枕崎線他鹿児島周辺のローカル列車に使用された。
キハ265 / (44-3-21) 熊本
上窓Hゴム支持2段窓の一次車で、昭和32年新潟鐵工所製である。
キハ26121 / (49-4-28) 長岡
昭和33年新潟鐵工所製で、窓が大きく変化した。
写真は今は無き魚沼線(来迎寺~西小千谷)の列車が、朝の運用を終え長岡に回送されてきたところである。
キハ26135 / (48-2-11) 名古屋
34年日本車輌製。太多線経由美濃太田行の列車である。
キハ26205 / (50-3-30) 京都
昭和34年富士重工製。この頃は急行列車での使用は少なくなり、ローカル列車に使用されることが多くなった。
キハ26410 / (44-3-21) 熊本
元キロ2510で格下げで、当初は急行列車の座席指定車として使用されていたが、冷房化の進展に伴い、自由席車や普通列車での使用が多くなった。
座席上部にカバーが掛けられており、団臨での使用と思われる。
キハ26413 / (43-8-30) 燕
弥彦線の普通列車に使用中で、座席のカバーは外されている。
キハユニ26
昭和33年から40年にかけて59両新製されたキハ20系の気動車である。
東北から九州まで全国各地に配置され、ローカル線の郵便、荷物輸送に活躍した。
多目的の車両であったが、バランスのとれた良いスタイルであったと思う。
キハユニ2629 / (50-11-23) 信濃大町
昭和35年東急車両製。当時大糸線北部の列車は2往復が郵便、荷物輸送の関係で信濃大町まで乗入れ、信濃大町から先の松本方面はクモユニ81に積み替えて継送した。
キハユニ2646 / (46-5-28) 千厩
昭和37年東急車両製。キハユニ2642以降は蛍光灯、扇風機付で台車がDT22C、TR51Bに変更された。スタイル的には前部のベンチレーターの位置が変わった程度で大きな変化はなかった。
大船渡線の普通列車でキハユニ26+キハ55+キハ52+キハ22と全部形式が異なる4両編成である。
キユニ26
気動車化の進展で、客車に替わる郵便・荷物車の必要性が生じ、昭和48年から55年にかけてキハ26から25両改造された。
一口にキハ26といっても、2段窓の1次車、1枚窓の2次車、旧キロハ25、キロ25と多岐にわたり形態はバラエティーに富んでいた。
キユニ268 / (50-3-30) 京都
キロハ256→キハ26306の改造車で豊岡区に配置され、次のキユニ269と共に山陰線の普通列車に併結され京都駅に顏を出していた。
キユニ269 / (51-9-9) 京都
キハ2619の改造車で、キハ26の1次車の特徴であるHゴム支持の2段窓が一部残されている。
(4)客車
17m鋼製車オロハ30が格下げられた時にオハ26に改番されている。
オハ2643 / (40-3-23) 盛岡
旧車号はオロハ3043である。
私鉄車両
(1)越後交通栃尾線 ホハ26 / (43-9-30) 悠久山
昭和35年7月草軽電気鉄道から譲受けた。旧車号はホハ23、昭和7年日本車輌製であった。
当時草軽は35年4月に軽井沢~上州三原間を廃止して、上州三原~草津温泉間が存続していた。同区間の廃止は37年2月1日であった。
(2)伊豆箱根鉄道大雄山線 クハ26 / (48-5-6) 大雄山
飯田線にいた2扉クロスシート車クハ18053(38年1月8日付廃車)を譲受け、中央に扉を増設して入線した。
26年4月3扉のクハ65169を2扉化してクハ77053に改番、28年の改番でクハ18053となった。
(3)野上電鉄 モハ26 / (50-8-24) 日方
元阪神710の車体に南海から譲り受けたモーター、台車を組み合わせて製作した。
阪神710は大正12年加藤製作所製の木製車を昭和7年に藤永田造船所で鋼体化改造した車両である。
(4)遠州鉄道 モハ26 / (H19-11-3) 西鹿島
昭和49年日本車輌製の全金車である。
形式はモハ30形で31~39まで新製後、次の車号は30から1番ずつ後戻りして26がラストナンバーである。
(5)島原鉄道 キハ26
国鉄乗入れ用車両として昭和35年に新三菱重工業でキハ2601、2602、39年に川崎車輌でキハ2603が新製された。いずれも国鉄キハ26を両運にしたスタイルであった。
キハ2602 / (49-1-19) 海老津~遠賀川間
キハ2601と2602は空気バネ台車を履いていた。
「いなさ4号」小倉行に併結されて鹿児島本線を走行中。
キハ2603 / (44-3-19) 南島原
ライトが2コになりスタイルが変化した。台車は車酔いをする人が出たとかでコイルバネとなった。
保存車両
大分県の宇佐八幡宮に元九州鉄道の26号機が保存されている。
経歴は説明版の通りである。
撮影日は昭和44年3月26日であるが、近年再整備されて写真も撮りやすくなっている。
「26」にまつわる藤本さんならではの多彩な車両群を楽しませていただきありがとうございました。国鉄では他に新幹線の26形、JRではカシオペアE26がありますね。貨車の「26」はないでしょうか。
来年は「27」を楽しみにしております。