<青梅線アーカイブス 1976年奥多摩・2002年鉄道公園>
青梅線に初めて乗ったのは昭和51(1976)年、大学3回生の時でした。春と秋に東京に小旅行に出かけ、春は立川→拝島→高麗川→川越→大宮と周り、秋には立川から終点の奥多摩まで全線を乗車しました。
前日、名古屋で高校の同級生と会って、ドリーム号で朝6時に東京駅に着きました。この日は夜に友人と人気男性フォークデュオのコンサートを見るまでは予定がなかったので、東京ミニ周遊券で行ける、遠くの奥多摩を選びました。
▲奥多摩駅は山小屋を連想させる趣きのある駅舎だった
立川で中央線から青梅線に乗り換え、奥多摩には8時半前に着きました。折角遠くまで来て、そのまま帰るのはもったいないと、約20分で奥多摩湖まで行ける西東京バスに乗りました。
▲奥多摩駅の留置線には旧型国電が休んでいた
奥多摩湖は東京の水がめである小河内ダムによって形成された人造湖です。昭和32(1957)年に竣工した小河内ダムは、当時記念切手が発行されるほど注目を集めた工事でした。中学校の時に切手収集に一時はまっていた私は、小河内ダム竣工記念切手を持っており、何となく親しみのある光景でした。しかし行って見るとダムの堰堤以外は施設もなく、ダムによって造られた人工美を眺めるだけでした。
▲小河内ダムの堤体は海抜530m
するとダムの下流に線路が見えました。ダムの建設用資材輸送用に敷設した路線であろうことは容易に想像がつきましたが、竣工から20年近くが経っているのに、何か別の目的で活用されているのではないかと想像を膨らませました。
▲山肌を縫うように敷設された専用鉄道の廃線跡
東京都水道局小河内線は昭和27(1952)年に開通し、昭和32年まで運行していた、東京都水道局の専用鉄道。正式名称は「東京都専用線小河内線」です。小河内ダムの建設用資材輸送に東京都水道局が敷設・管理した貨物線であり、ダム竣工後の昭和38年に西武鉄道へ、さらに昭和53年には奥多摩工業へ譲渡され、現在は「水根貨物線」として遺構が残っています。運行期間はわずか5年半であったが、東京の水がめである小河内ダムの完成に重要な役割を果たしました。(ウィキペディア参照)
奥多摩駅をあとにする頃から雨が降り出しました。青梅線には青梅鉄道公園があり行って見たかったのですが、雨の山道に訪ねるのを諦めました。
▲昭和7(1932)年に製造されたC11の1号機
それから26年後の平成14(2002)年、住まいを埼玉に構えた私は夏休みに青梅鉄道公園へ行きました。国鉄90年記念事業として昭和37(1962)年に開場した青梅鉄道公園には、私が訪ねた当時110・2221・5540・8620・9600・C51 5・C11 1・E10 2・ED16 1・0系新幹線(先頭車)の10両が静態保存されていました。
▲左の110号は鉄道開通時の機関車で現在は桜木町の商業施設に保存されている
鉄道公園は保存車輌の展示と、模型を中心にした資料の展示それに遊具施設があるだけの「昔の鉄道公園」でした。車両の保存状態は良かったものの、屋根(上屋)がなく雨ざらしの状態にあり、車両が気の毒に思えました。
▲晩年地元青梅線で長く活躍したED16の1号機。左の建物は記念館
青梅鉄道公園 リニューアル中
青梅鉄道公園は2023年9月から2025年度末(予定)まで全面改装のため休園しています。リニューアル後は「中央線・青梅線の鉄道の歴史を伝える学びの場」として再オープンし、記念館の建て替えや展示物、展示車両の見直し、追加が行われる予定です。
▲鉄道公園にはちょっと場違いな0系新幹線も保存されていた