<上信電鉄に揺られて富岡めぐり 2 2007.9.13>
富岡製糸場を探訪してからタクシーで山あいの丘陵地にあるもみじ平公園に向かったら、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念館を前にして上信電鉄の電気機関車デキ2が保存されていた。私はこんな所で大正時代の名機に出会うとは思わなかったので、すごく感激した。
デキ2は大正13(1924)年、上信電鉄が改軌・電化した際に、ドイツのシーメンス社から
購入した3両のうちの1両。長年高崎~南高崎・下仁田間の貨物輸送に従事し、富岡・甘楽地域の産業の発展を支えてきたが、平成6(1994)年の貨物輸送廃止に伴い廃車となり、もみじ谷に輿入れした。残るデキ1とデキ3は現在も保存され車籍があり、イベントや臨時電車で運行されている。「上州のシーラカンス」とも称され、ファンに愛されている。
デキ1~3は大正時代の輸入凸型電機の面影を今に伝える、愛くるしいフォルム。当時流行していたアールデコは鉄道車両にもおよび、昭和初期には流線型を中心に数多くの名機・名車が世に送られた。ちょっとデザインの傾向は違うが同時代ドイツからやってきた舶来の機関車。当時はさぞもてはやされ、大切に使われていたのだろう。
投稿前に資料を見直していたら、上州富岡駅も私が訪ねてから改築されていることを知った。地域の集会場のようなごらんの駅舎は、2014年に駅前広場を含んで「今風の駅」に建て直されたらしい。しかし駅利用者は高校生が中心で、一日の旅客数は約400人となっている。
終点の下仁田まで乗車した昭和57年の訪問では時間が少しあったので、馬庭駅付近と南高崎駅~根小屋駅の間にある烏川橋梁で撮影をしました。出張帰りだったのでトレンチコートに厚めのビジネスバッグと言うおよそ「らしくない格好」で、おまけにのど風邪をひいての行程となりました。
下仁田からの帰路、途中で追い抜いた貨物列車
馬庭駅付近にて。西武OBの100形
旅客電車は通過時刻が分かりますが、貨物は「さっき追い越したから、撮影できるかも知れない」とカメラを構えていたら、ラッキーにも鉄橋を渡るデキ1重連の貨物列車をゲットできました。私鉄にも貨物列車が残っていることが素直な驚きでした。(上信電鉄 終わり)
先ほどの貨物列車がゆっくり鉄橋を渡ってきた
1967年3月24日、デキ1、パンタグラフは原形です。
藤本様
昭和42年、往年のデキ1の投稿、ありがとうございます。大き目のパンタグラフでデキが押しつぶされそうですね。
凸型の電気機関車は近江鉄道にも走っていましたね。飯田線国有化前の伊那電気鉄道で大正12年、芝浦製作所・石川島造船所で製造されたED31の6両です。全長は11.9mと上信のデキに比べて少し長くなっています。近江鉄道へはこのうち5両が昭和30~35年に入線し、昭和63年の貨物輸送廃止まで活躍しました。写真はED31 3、鳥居本の石油基地で、昭和49年3月撮影です。
2015年11月8日、創立120周年を記念して、高崎~富岡間で運転された臨時列車で、誰でも乗れましたが、雨の1日でした。吉井~西吉井間です。
銘板です。
藤本様
銘板を興味深く拝見しました。
調べるとシーメンスはミュンヘンにある電機メーカーで1847年設立の電信機製造会社です。現在は情報通信・交通・防衛・家電製品などを製造しています。日本においては明治20(1887)年に築地に事務所を構え、広く浸透していったようです。その過程で上信電鉄がシーメンス社の営業活動を受けて、3両の電気機関車を発注したのかも知れません。
銘板の下はMANとなっていますが、シーメンスが電気関係を、MAN社が車体を造り、元請の窓口はシーメンスになったと想像します。