今回は国鉄・JR編である。本来ならこのあたりは小生の出る幕ではないが、長谷寺撮影でふともらされた電車少年さんの言葉から続編までに至った。学生時代は京都~西明石間各停やゲテモノの宝庫阪和線、片町線など旧型国電には恵まれた環境にあった。ところが、DRFC名物阪急・京阪戦に巻き込まれて私鉄に手を出し、その頃蒸機も無くなりつつあったので、結局、国電は殆んど撮っておらず、ましてや単行はない。
旧型国電単行で最も有名であった宇部線の支線で活躍したクモハ42は遠すぎて行かず、鶴見線支線大川線のクモハ12はいつでも行けると思って撮影をのがす始末。どなたか、補足してもらいたいが、例によって拙写をのっける。
唯一撮った旧型国電単行クモハ40071
これは、当時の国鉄中央線支線で国分寺から北府中を通り、東京競馬場との間を往復していたクモハ40001。
JR四国7000
学生当時、四国はディーゼル王国で私鉄を除いて電車など走るとは夢にも思わなかった。しかし、本線を単行が走ると何となく寂しい。
JR東海飯田線と身延線
線名を聞くとかつての旧型国電の活躍舞台であり、各自思い出多き路線であるが、時代が変わって豊川~豊橋の区間電車は味気ない単行電車になっていた。身延線西富士宮~富士間の区間用は引退して今は見られない。
JR東日本クモハ123-1
中央線の塩尻~辰野間で今尚活躍する荷電改造車。1枚は有名撮影地で、かつてのD51の活躍舞台。言い訳になるが、夕方の塩尻発で写りが悪いので駅で撮影をもう1枚。
ビックリする様な意外性のある写真は皆無であるが、まだ、JRには単行電車があるはずである。どなたか発表して下され。尚、慣れない作業で飯田線の「小坂井」が「小酒井」に、最後の辰野駅の電車の「クモハ」が「雲は」と間違っており、訂正の仕方がわからずお許し願いたい。