新潟交通モハ11(「電車は1両もええ」によせて)

準特急様が「電車は1両もええ」のタイトルで貴重な画像とともに書き込みされておられるが、能勢電、阪神武庫川線は非常に懐かしく思った。昭和40年台前半の能勢電といえば、直接制御2個モーターの路面電車に毛が生えたような電車の単行か、P-4・P-5一族の2連がポールを振りかざして走っており、梅田直通特急が走る今日の姿からは想像もできない世界である。

京王競馬場線の単行の画像を見るのは初めてで、当時関東大手私鉄での単行運転は唯一のものではないだろうか。

私自身の単行の思い出は、京阪沿線の学校に通学していた頃に乗車した近鉄京都線から京阪に乗り入れていたモ430形で、近鉄線内では単行でも充分であったのだろうが、丹波橋から先の京阪線内では、土曜日の午後ともなると通学生や四条方面への買い物客で超満員となり、迷惑乗入れ以外の何者でもないと思った。

「廃止寸前のローカル私鉄」として蒲原鉄道モハ71と新潟交通モハ11を紹介されておられるが、幸いなことに両車とも廃止後も大切に保存されている。蒲原鉄道モハ71は個人の方が元国鉄キハ41120のクハ10と共に村松駅近くの敷地に屋根付きで保存、新潟交通モハ11はモワ51、ラッセル車キ116と共に新潟市(保存当初は月潟村であったが合併により新潟市となった)により旧月潟駅構内に保存されている。屋根は付いていないが、冬季はブルーシートが掛けられ「かぼちゃ電車保存会」の皆様により定期的にメンテナンスが実施されており、良好な状態が保たれている。駅構内には架線が張られており、運転士が来てノッチを入れれば今にも動き出しそうな雰囲気である。車内には資料等が保存されているが、年に1~2回開催される一般公開時以外は立入できない。

今回は保存状況と過去の姿を報告したい。

 

モハ11+モワ51+キ116の3両が連結された状態で保存されており、欲を言えばモハ11とモワ51の間の連結器を切離し、間隔を空けて停めて欲しいところであるが、それは贅沢というもの。定期的にメンテナンスが実施されながら大切に保存されているだけでも感謝しなければならない。

以下、保存車両について簡単に解説する。

モハ11

営業開始に伴い昭和8年3月日本車輛で11~14の4両が新製され、昭和10年に15が増備された。13m級の小型車両であったが、昭和38年から44年にかけて現在の17m級の大型車体に乗せ換えられた。11は昭和41年12月、12は43年12月、13は42年12月(モハ20形21に形式変更)、14は38年12月、15は昭和44年12月(新造名義でモハ24形25に形式変更)に実施されている。

 

モハ11+クハ40 (昭和43年8月30日) 県庁前

【参考】クハ40

気になる後部のクハ40は、元東武のデハ2形9(大正14年日本車輌製)が前身である。昭和23年5月東武鉄道よりモハ63形割当による供出車として転入しモハ18となった。昭和42年に電装解除してクハ40となり、更に昭和45年に元小田急デハ1411の車体と乗せ換えてクハ50となった。

車体乗せ換え前のモハ11の良い写真がないので同形のモハ12で代用する。

 

モハ12+クハ33 (昭和43年8月30日) 燕

【参考】クハ33

後部のクハ33は、元神中鉄道のキハ31(昭和11年日本車輌製)が前身で昭和18年に転入した。昭和39年頃、台車を気動車用アーチバー台車から電車用のTR23類似台車に履き替えた。(当時のRF誌に台車取替えの記事が掲載されていたので、お持ちの方はご確認いただきたい)

 

モワ51

開業時、昭和8年に日本車輌で作られた電動貨車で、昭和57年7月貨物営業を廃止するまでは、冬季のラッセル車の推進の他に機関車代用として貨車を牽引していた。

(昭和43年8月30日) 東関屋

キ116

昭和7年大宮工場製で昭和43年に入線した。運転台にはマスコンが取り付けられ、モワ51と連結した時に制御車として機能するようになっていたので正しくは「クキ」と称するべきであろう。   

本来であれば全部の車両ガイドをするべき処であるが、今回は時間の関係上ここまでにして、続きは後日ということにさせていただきたい。

【参考】当時新潟市内でよく見られたキャブオーバーのバス

(昭和43年8月30日) 県庁前

2 thoughts on “新潟交通モハ11(「電車は1両もええ」によせて)

  1. 有り難うございます。DRFCのwalking dictionaryと言われただけあって丁寧な解説は大変参考になりました。東武の車両を拝見させていただきましたが、いつぞや高槻市にお住まいのIさんが東武野田線の3210をカラーで掲載されましたが、それ以来の感動です。能勢電車は一緒に行きましたね。数年前に向日市にお住まいの電車少年さんの先導で撮影に行きましたが、終点の妙見口付近に僅かに田園風景が残っていたくらいで、沿線は激変していました。元来ええ加減な趣味姿勢ですが、直ぐに「単行電車はええ」の続編を出します。

  2. その昔、亀井一男さんに「同志社には変人が多い」と言われたことがある。その筆頭はオッサンこと吉谷和典さんらしい。多いと言われ、オッサン以外に該当者が亀井さんの身近な所に居るかいな、と考えてみたら、どうやら須磨の大人事をさしていたようだ。変人の仲間入りするなら、変なものを探し出せば認められるのではないかと思う次第である。煙突にながぁーい煙突を継いだC51など将にそのもので、「電車は1両もええ」では両運転台車を称えるより、おもろい車両や場面が持ち寄れたら、将に「同やんは変人の集まり」として認知されるかもしれない。老人が見た変なシーンは、京阪1303号(京都方の方運転台車)の大坂方の連結部に助役が赤の手旗をなびかせ複々線上を守口に向け疾走する姿。この話を京阪電鉄の古手社員にしたら、「旗持って添乗した。客を乗せたこともある」と証言した。何とも今では考えられない事だ。見たのは昭和31年3月の特急スピードアップのダイヤ改正前だから、高校生のころだ。野江でカメラを構えていたのだが、「アッケにとられただ眺めただけ」であった。

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