「電車は1両もええ 続編」補足

前回取り上げた丹波橋駅に停車中の三条行で、積み残し客が出る程満員であることが、お判りいただけると思う。(昭和39年5月10日)

準特急様が旧国鉄、JRの単行電車について書き込みされたが、文中で触れられている小野田線の支線「通称本山支線」と鶴見線の支線「通称大川支線」について補足する。

本山支線のクモハ42

平日、休日ともに運転は朝・夕のみで土曜日のみ学生の下校時間帯に1往復運転されていた。(現在は学校が完全週休2日制になったため運転されていない)私自身乗車したのは1度だけで撮影した前日の夕方1往復したが日没後のため撮影はしていない。翌日宇部新川駅で朝のラッシュ時に撮影後、雀田駅に行ったが午前中の運転は終了しておりパンタを降ろして昼寝をしていた。クモハ42の運行は平成15年3月14日までで、その後はクモハ123が運行されている。

 

雀田駅で昼寝中のクモハ42005(昭和49年1月20日)/本山支線の他、クハを連結して宇部線・小野田線の運用に入ることがあるため、下り向きには貫通幌が付いていた。

大川支線のクモハ12

平成8年3月15日までクモハ12051か052が単行で運行されていたが、3月16日のダイヤ改正で103系3連に置き換えられた。その際に武蔵白石駅の大川支線ホームが急カーブにより20m車が入線できないため撤去され、大川行は一つ鶴見寄りの安善駅との間の渡り線から上り線を逆走し、武蔵白石駅を通過して大川駅に至っている。平成16年8月より205系への置換えが開始され、103系は平成17年12月17日をもって引退した。

 

大川駅に進入するクモハ12052(昭和47年5月1日)

その他の単行

大垣~美濃赤坂間、大垣~垂井~関ヶ原間のローカル運用の昼間の閑散時間帯にクモハ40、クモハ12の単行が使用されていた。

 

美濃赤坂駅に停車中のクモハ40069(昭和39年9月21日)

【参考】

この時の主目的は西濃鉄道の蒸気機関車で、当時「2105」と「2109」が在籍しており、当日は「2105」が稼働していた。廃車後「2109」は大井川鉄道に行き、現在は日本工業大学で動態保存されている。

高槻電車区の職員通勤車

営業運転ではないが、高槻駅から電車区の間に職員通勤用にクモハ32002が運転されていた。車体の内外は営業車と同レベルに整備され、いつでも営業運転に使用できるようになっていた。現役の時、高槻電車区見学会の帰りに便乗させていただいたので参加された方は覚えておられると思う。

 

(昭和41年11月12日)

【参考】クモハ32について

クモハ32は、昭和9年7月20日吹田~須磨間の電化開業による電車運転開始時に、主として増結用に使用するために新製された両運転台付のモハ42を戦時改造で4扉化した電車である。13両中5両改造されたが、戦災と事故で2両廃車となり、生き残った3両が昭和28年の改番でモハ32000~002となった。昭和40年代は32000が岡山区、32001が淀川区に在籍し、通常の営業運転に使用されていた。

 

宇野線の8連の先頭に立つ32000(昭和47年7月30日)

 

片町線で中間に入った32001(昭和49年3月23日/住道駅)

 

牽引車代用として向日町運転所に貸し出された時(昭和41年11月28日)

青梅線・五日市線のクモハ40

五日市線の電化開業時、昼間の閑散時にはクモハ40の単行が見られた。この画像を見る限りでは単行に見えるが、実はラッシュ時の増結車である。当時、ラッシュ時は基本4両にクモハ40が1両増結され、5両で運転されていた。

 

クモハ40039(昭和49年5月1日/青梅駅)

 

クモハ40061他5連(昭和49年5月1日/拝島駅)

クモハ123

準特急様が塩尻~辰野間のクモハ123-1と身延線のクモハ123-602を紹介されておられるが、同形式について少し説明したい。

国鉄末期の昭和61年から分社後の63年にかけて手荷物・郵便輸送廃止により余剰になった荷物電車を旅客用に改造したものである。JR東日本はクモハ123-1が1両のみ、JR東海は123-41~45(改造により5041~5044・5145に改番)・601、602の7両、JR西日本は123-2~6の5両が在籍したが、JR東海は平成19年までに廃車、JR東日本とJR西日本は全車両健在である。JR西日本は宇部・小野田(本山支線を含む)線を主体に山陽本線の宇部~下関間で使用されている。

JR東日本 クモハ123-1(昭和62年1月15日/塩尻駅)

改造当初は白と緑のツートンであったが、走行区間に緑が多く目立たないことから現在の塗装に変更された。

 JR東海 クモハ123-5043+123-601+123-602

JR東海は当初、身延線の富士~西富士宮(一部は芝川)間と甲府~鰍沢口間の区間運転用に投入されたが甲府~鰍沢口で使用する車両の送り込みのため、富士~甲府間の全線を走破する運用も存在した。トイレがないことから乗客からの苦情が殺到したため、甲府~鰍沢口間の区間運転から撤退し、それに伴う富士~甲府間の全線通し運用もなくなった。但し、平成19年3月18日のダイヤ改正まで、沼津~身延間の4229Mに2連で使用されていた。富士~沼津間を3連で回送、沼津で検査後11時30分頃3連で出庫して、11時40分頃先頭の1両が回送で発車、後2両が11時50分発身延行となった。

 

上/クモハ123-5043 中/クモハ123-602 下/クモハ123-601(平成17年6月24日/沼津駅)

「電車は1両もええ 続編」補足」への1件のフィードバック

  1.  大変参考になりました。新京阪沿線にお住まいの元電車少年のふともらされた言葉がここまで拡がるとは思っておりませんでした。やはり、出るべき人に出てもらうとテーマがよく整理されて助かります。丹波橋の431は記録物です。丹波橋~三条では積み残しはあったでしょうね。阪急の甲陽園線なら1両でもOKだったようですが。小生、あの丹波橋431写真の1年後に始めて京阪電車に乗り、撮影を始めましたが、近鉄・京阪の乗り入れは2~3連になっていました。美濃赤坂のクモハ40単行は忘れていましたが、撮ったことがありました。クモハ123の昔の色は始めて拝見。今のよりいいみたいですね。クモハ42、クモハ12他有り難うございました。

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