代理投稿:人間国宝より須磨の大老へ

湯口徹氏へ
52年前の海底トンネルの県境の写真、ありがとうございました。私はいつまで学生
服を着ていたか憶えていません?
喜々津ー大草間は湯口氏の記事の通り、誘われたに違いありません。3月22日(土)
夜門司駅で待ち合わせ、3月23日(日)昼過ぎ湯口氏と別れ、私は一旦京都へ帰っ
て3月28日(金)午後出発、夜行で九州へ。
29日(土)午後海老津の駅で再会し、翌3月30日(日)に喜々津ー大草へ撮影に
行ったということです。
                                  佐竹保雄

代理投稿:人間国宝より須磨の大老へ」への1件のフィードバック

  1.  佐竹先輩には当時の九州撮影旅行のとんぼ返りスケジュールを拝見させていただいたことがあります。新幹線の無い時代に、夜行列車とステホとか言われる簡易宿泊所(?)で経費を押さえて奮闘されていたのですね。凄い体力がおありだったのだなと感心しております。佐竹先輩の「国鉄時代2010-8月号」21頁の九州旅行の支出は素晴らしかったです。あのようなめし・おかず63円とかパン10円とか、これを見て思わず嬉しくなりました。 質問ですが、何故、時々新聞5円を購入されたのでしょうか。情報収集ですか。小生の時代はもう少し物価が高騰していましたが、駅前のよろずや(当時のコンビニで24時間営業でなく、暗くなると閉まっていた)でパンとコーラを100円以内で購入して1日線路際を徘徊し、夕方はユースホテルか木賃宿に泊まるそのような旅行でした。しかし、北海道や九州のような長距離旅行を終えて帰宅後直ぐにまた長距離旅行に出かけることは到底頭にありませんでした。このあたりが、佐竹さんと凡人の違いで、日本全国の貴重な未発表の作品がまだまだあるのはよくうなづけます。
     湯口先輩の喜々津~大草はコメントをいただいた村樫四郎さんの作品を含め、いつも行って見たいと思いながら、海辺のC57やC60を撮影するという夢を果たせませんでした。 結局、大牟田在住のM先輩に撮ってきてもらった次第です。ここを訪問したのは数年前で、逗子在住のT氏と歩き通しました。
     先日、佐竹先輩の記録が中心の「日本の客車」を購入させていただきましたが、来月ごろに予定されている大宮(四条大宮ではなく埼玉県の大宮)での宴会では、また、撮影余話をお聞かせ願いたいと思っております。

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