この日は天気もよく、ずいぶんフイルムを費やした。それも西鉄北九州線砂津車庫で路面電車をバンバン撮ったのである。かような電車は拙老の最も不得意とする処であり、ともかく写真を羅列するので、解説は乙訓ご老人あるいは藤本哲男氏にお願いできないだろうか。何卒よろしく。
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廃車体 パンタは後ろの車両のものである
先日ええ歳こいだ仲間の年中央での懇親=要は酒盛りで「年中会」と称す。勿論年末の忘年会もある=で広島に行き、翌日電車を借り切って走行、車庫で撮影会。そのうちの数名が松山で再泊。元気な二都市の路面電車をイヤというほど堪能した。思い出すまでもなく、かつては日本中に路面電車が走っていたし、その大方は元気だった。しかしともかく米国に倣えと、片端からひっぺがしてバスに切り替え、それこそが進歩だと、ジャーナリストも政治家も、心底信じ込んでいたのが1960年代以降であった。関西でも万博を控え、大阪青年会議所は声を大にして路面電車の撤廃を叫んでおり、特に阪神国道線を槍玉に上げていた。小生の知る限り、路面電車は残すべきで、米国ではなく、ヨーロッパに学ぶべきだと主張していたのは、奥野利夫氏ぐらいではなかったか。後悔先に立たたずとはいうが。
1989年5月6日朝、31年ぶりに車庫入口のオッサンとやりとりした。「向かいの営業所へ行って、課長の許可を貰ってこい。一歩たりとも入ることまかりならぬ」金網越しにレンガの建屋、その中に散在している600型を見た。1000型は車庫北奥の留置線にあった。それから2、3年後に北九州線は廃線となった。営業所の東のビルは「奈良崎医院」の看板があった。男子患者無用の医院であったのが残念。
車両の解説は哲男君にお任せしよう。