西のC59・C62全記録  (7)

 広島で常磐線のC62と再会  昭和42年3月

では、通常投稿に戻ります。高齢者の脳の活性化には、昔話が一番、今年も性懲りなく昔話を続けます。さて、前回(6)のC59、C62の記録は、昭和43年3月、高校3年生の終わり、北九州へ撮影に行く際に写したものでした。今回は、その北九州からの帰り、初めて広島機関区へ寄った時の記録です。前回、書き漏らしましたが、この昭和43年に、呉線のC62に大きな変化が起こりました。前年の昭和42年10月、常磐線の平~岩沼の電化完成により、平機関区で使われていたC62のうち、状態の良い5両が糸崎機関区へ転属、それに対応する糸崎区の5両が廃車と、半数の顔ぶれが入れ替わりました。

「ゆうづる」牽引で有名だったC6223、平区のC62のなかで特に状態が良く、特急「ゆうづる」の専用機のようにして常磐線仙台~平で使われた。私の唯一の「ゆうづる」撮影も23号機だった。同線の電化後、昭和42年10月に糸崎区に転属した。前の年に“東”で見た同機が、翌年には“西”へ来ていて、人生になぞらえた蒸機の一生を思ったものだった。

門司から夜行に乗って広島に着き、待合室で仮眠後に広島機関区向かった。真っ先に目に入ったのは、C62のトップナンバー機、C62 1だった。昭和42年7月に廃車となり、車籍はなかったが、保存・展示を前提に保管されていた。のちに準鉄道記念物に指定される。C62 1の横にはEF58 2が。当時の代表的な蒸機、電機が、1、2と揃った。C62 15 ずっと山陽・呉線一筋で生きて来た。そのままかと思われたが、その2年後、思いもしなかった北海道へ転出することになる。広島機関区にはもう扇形庫、扇形線はなく、側線に給炭を終えたカマから順に縦列に並ぶので、とくに午前中は光線も良く、撮りやすい区だった。C62 23のサイド、常磐線から来たC62は、軽量化改造がされていた。全体の重量は変わらないものの、釣合梁のピン孔の移動により、動輪上の重量を減らすことができ、東北・常磐・北海道の2級幹線への入線を可能にした。。芸備線用のC58と並ぶ。C62のボイラーの太さが改めて分かる。C59も元気に転車台に乗る。かつては周りに扇形庫があった。広島の蒸機の所属は、広島第二機関区だったが、電化の進展で、電機や電車も所轄する広島運転所に統合され、その際に扇形庫もなくなったと思われる。昭和42年に再編成されて、蒸機・電機は広島機関区となった。

 西のC59・C62全記録  (7)」への7件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    7回目は、山陰旅行の帰りで1968年12月30日に「ちどり3号」で広島に5:00に戻りました。この日は一日中呉線沿線で過ごしましたので午前と午後に分けて投稿します。
    前年の12月に広島で始発の622列車に乗り換えた時寒さの中、機関車の周囲が蒸気に包まれ、駅の照明により何とも言えない雰囲気を醸し出していました。この時は三脚を持参していなかったので長時間の露出は無理でしたが、今回はその反省により三脚を携えての旅行になりました。結果はもう一つですが誰もいない5番線から6番線に停車中の写真がこの日の一枚目です。

    • 次の撮影場所は、おそらく12月31日の早朝の通勤列車の撮影限界である安芸阿賀で622列車から下車し、呉線最長の呉トンネル(2,582m)の入り口に登り、安芸阿賀を出発してトンネルまでに力行する列車を狙いました。
      戦前の呉線は、川原石では最高機密の戦艦「大和」の建造が始まった呉軍港が見渡せるため、1937年頃から車窓からの眺めを妨げるための目隠し塀が設置され、車内では車掌や憲兵らが海側のよろい戸を閉めるよう命じました。沿線には毒ガス工場が置かれた大久野島を沖合に有する忠海や呉線各地に軍事関連工場があり、当時であれば早暁このような場所でカメラを構えることは、防諜の面からただ事では済まなかったと思います。

  2. 総本家青信号特派員様
    広島機関区は1894(明治27)年6月山陽鉄道が広島機関庫を創設、国有化を経て1936(昭和11)年に広島機関区に改称。1944(昭和19)年4月広島機関区を広島第一機関区(通称広一)、広島第二機関区(通称広二)に分割。1962(昭和37年)5月に広一を広島機関区、広二を広島運転所に組織変更され、私はこのあたりの時代に蒸機撮影を行っている。その後、広島機関区はJR貨物に、広島運転所はJR西日本下関総合車両所広島支店になったようだがよく事情が分からない。JR貨物は広島市南区にあり、マツダスタジムの敷地も広島機関区と関わりがあったのではないかと思う。このあたり西村さん教えてください。広島第一機関区から広島機関区に組織変更した1962年から2年後の1964年(昭和39)年7月24日に扇形庫を撮影している。左からD5292、C5979、C59104、、C11330の順に顔を出して並んでいる。

    • 準特急様
      これです。これです。私が憧れていた、大型蒸機がズラリと並んだ広島機関区です。「鉄道ファン」の初期号にも掲載があって、憧れを持っていましたが、私が行った時は、跡形もありませんでした。通常はアタマは庫のなかにあるのですが、広島は一歩出て、アタマがキレイに見えるところがいいですね。マツダスタジアムは、もとの南広島貨物駅の跡地に建ったものですので、機関区の用地には影響がなかったと思います。

  3. 総本家青信号特派員様
    私も1度だけ広島運転所にお邪魔したことがあります。その時に横の詰所から「お~い!兄ちゃんそれ持って行って写したらええわ」と言って詰所の入り口横を指さして言ってくれました。何かな?と思い見てみるとなんと『あさかぜ』のヘッドマークでした!で、持ち上げたらこれが結構な重さで、片手で持ってフロントデッキに上がろうとしたが上がれませんでした。同行の知り合いに一旦預け上がってから受け取って装着した記憶があります。たぶん10~15kg位あったんではないでしょうか? 撮影1969.10.12

    • 田中敏一さま
      やっぱり、ヘッドマークを付けられましたか。「あさかぜ」の白いヘッドマークが黒い車体に似合っています。私も盛岡でやりました。たしかに一人では持てないです。もう一人と担ぎ上げました。C60の「ゆうづる」です。「ゆうづる」はC62で有名でしたが、これは常磐線で、盛岡では、最初からDD51牽引で、C60はあり得ないのですが、それだけにいい記念になりました。

      • 総本家青信号特派員様
        そうですね、『ゆうづる』はC62ばかりでC60の写真は見た事がないですね。私は常磐線には行けませんでしたが、鹿児島本線では東北から流れて来たC6016は撮影してます。東北時代そのままの姿で運用されてましたね。16や18が来たときはちょっとがっかりしました。

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