九州の列車 〈5〉 大分駅の蒸機列車
前項の「熊本駅 2」で、K.H.生さんから大分駅は3L共存の汽水域であるとの言葉をもらいました。今回は、その大分駅を昭和42年3月の時刻表とともに見て行きます。この時点で日豊本線の電化は新田原まで、この年の10月改正で、新田原~大分~幸崎が電化開業するため、構内には、すでに架線が張り巡らされていましたが、まだ電機の入線はなく、3L以前の地上駅であり、熊本駅とよく似た状況にありました。▲大分10:42発、西鹿児島行き2523レが大分駅を出る。牽引のC57 196[大]は、C57四次型の1両で門デフを装備、右手は入換中の8620、その奥に貨物駅があり、左手には大分機関区があって、何でもありの総合駅だった。機関区には、日豊本線の旅客を牽くC57、豊肥線のC58、久大線のD60、入換の8620と、顔ぶれが賑やかだった。まだ地上駅、高架化されるのは2012年と最近のこと(昭和42年3月30日)。
▲赤枠が上掲の2523レ、ここでも「熊本駅1」のように、門司港発の列車と同じ枠内に載せているが、同一編成で列番が変わるのではなく、スペースの関係で別編成を同一枠に収めたのだろう。小倉方面から、夜行列車が続々と大分に向かっているのも分かる。8時台には「西九州」「火の山」と、別府発の急行が連続する。観光地として、古くからの阿蘇や、脚光を浴び始めた由布院へ向かう急行である。普通列車は、ほとんどが客車で、まだ大分・宮崎県境を乗り通す輸送量があったようだ。いま県境付近を通り越す普通列車は、下り1本、上り2本しかない。
▲青線枠は左写真の2537レ、別府8:53発である。C5748[大]が逆向で客車5両を牽く。大分~別府にはDC区間列車が数往復あったが、ラッシュ時のみ客車だった。別府駅はこの時代に高架化されて、新しい高架ホームに出入りする蒸機は違和感があった。
総本家青信号特派員様
大分駅はいろいろな車両が見られる楽しい駅でした。1971年4月30日に大分駅で出発待ちの循環急行「ひまわり1号」です。社内誌に乗車記を寄稿するために大分-別府-小倉-博多-熊本-阿蘇-大分-別府の全区間を乗り通しました。全国に循環列車がありましたが、ひとつの列車が同じ線路を同一方向に2回走るのは「ひまわり」系統だけで、指定席券を申し込むとき係員が着駅を指定する活字棒の穴に降車専用の黄色地に別府と書かれた活字棒を差し込み予約してくれました。つまり1回目と2回目に停車する大分駅と別府駅はマルスコードが違っていました。
その時の「急行券・指定席券」です。
昭和47年頃の大分区の全容です。寝台特急「富士」の付属編成、「彗星」の大分発着分。急行「日南」2本分の付属編成。豊肥本線と久大本線のディーゼル急行および普通列車。電車は郊外に新設された電車区にいました。
当時の機関車はELはED76がメインで74は「彗星」と貨物に充当。大分で旅客列車はDF50にバトンタッチ。構内入れ替えはC58がメインで久大線豊後森までの列車はD60から新鋭DE10に置き換え。8620もまだいました。
日豊線の貨物はD51が佐伯方面に向かい、鶴崎の工業地帯の貨物需要が結構ありました。DF50が一番多くいた時期ですが西鹿児島までロングランで足りず、C57が1、2両旅客の予備機で残っていたようです。大分駅裏駅に自転車を停めて一日中眺めていても飽きない時代でした。