越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 17 ハノイMRT3号線視察

第10日目 2月25日 後編

15:56 2A号線の始発駅カットリンに戻りました。これから2A号線とはまだ接続ができていない3号線のカウゼイ駅へ向かうのですがどう行けばいいのか分かりません。駅員に聞いてみますと付いてくるようにと言われました。バス停まで案内してくれて乗車する系統を教えてくれるのかと思っておりましたら、何と停車していたバイクTaxiに乗るようにと指示が出ました。
バイクには乗りたくはなかったのですが既に運転手に目的地を言っています。親切に案内していただいていますので断れません。雨が降っていますのでリックから雨ガッパを取り出して着用、駅員にいくら出せばいいかを聞くと50,000ドン(300円)との返答です。地元民相場はこんなものかと駅員が見ている前で運転手に渡しました。
駅員にお礼を申し上げてバイクに乗りました。車とバイクで混み合う道路を約20分走り3号線カウゼイ駅に到着です。
15:23 お礼を言って下車しましたが運転手は20,000ドン(120円)の追加を言い出します。大した額ではありませんが最初の約束とは違うのは一番嫌なことです。「NO」と強く言って別れました。

▲ これがカウゼイ駅掲示されていた路線図を参考に作成しました2A号線3号線の路線図です。ご覧の通り3号線はまだ工事中の未営業区間があって2A号線とは接続をしていません。開通すれば統一鉄道のハノイ駅にも行けますので便利になります。
この区間は地下線となり2029年の完工予定とされています。

【 ハノイMRT 】
フランス植民地時代の1901年に蒸気機関車牽引のサイゴンとは違って路面電車として開通しました。全盛期には5路線,、総営業距離30.4kmがありました。2~3両の編成で運用され、1等と2等の車両があり、1等はクッション付きの座席、2等は硬い座席となっていました。
90年間も運用が続けられましたが1991年に終了しています。

▲ カウゼイ駅コンコースにはかつて市内を走った路面電車を模したオブジェが展示されていました。フランスらしい外装になっています。

▲ 2階コンコースへ上がってみました。有人窓口の横に自動きっぷ販売機が設置されています。画面に表示された路線図から終着駅を選び紙幣を挿入するとコイン型のきっぷが出てきました。ハノイMRTのマークh入っています。2A号線とはきっぷが違っています。乗換駅ですが、一旦外に出てからの乗換が必要となりますね。

▲ 15:30 ホームに上がりました。思ったほどのホーム幅がなくホームドアの設置も電車が入線する前はパーテンションベルトで仕切りが作られて進めません。

▲ 15:34 渡り線を通って電車が入線して停車してからベルトはとられてドアも開き乗車開始です。
▲ さすがフランス製とあって外装デザインもカラフルで違っています。

▲ 乗客はもっと多かったように見えましたが乗ってみるとガラガラです。
▲ 15:46  S5 レドウクト

▲ S4 15:49

▲ S3 15:52
ホームの形状はほど同一です。ホーム幅は十分にありませんのでホームドアの設置は難しいですね。全駅ともほぼ同じ形状の駅でした。

▲ 15:54 終着駅に到着。
常客はご覧の通り20%程度の乗車率でした。昼間の閑散時間帯ですがちょっと少ないと感じました。
▲ S1 到着後は引込線に入り渡り線を通って反対車線に入線するスイッチバック方式です。この先は地下線に向かうように計画されていますので延伸開業するまでの暫定的な対応です。

▲ パーテンションベルトで仕切られたホームです。これでは安全対応は無理ですね。
ハノイMRTは今後293.6kmの建設が計画されていますが完成時期は未定です。1,2号線は日本が建設することになっていますので3国交えてのMRT網ができます。
きっぷや改札の様式が違っていますので利用客が混乱することになるのが大きな問題です。

▲ 16:06 ガランとしたニヨン駅コンコースです。その後はカウゼイに戻る電車に乗りましたが、ここからホテルへ戻るのは苦労しました。
▲ カウゼイ駅に着きましたが駅前にTaxiやバイクは皆無です。GrabTaxiも反応ありません。バスを探しましたがGoogle-Mapでは表示がありません。取り合えず東へ向かうバスに乗ってみましたが2区間行った所で降ろされました。仕方なく雨降る中を傘をさして歩き始めました。
▲ 18:46 約50分ほど歩いてTrainStreetに辿り着きました。ホッとしてビールとフォを注文して夕食です。

▲ 19:40 昨日と同じ時間でD12E-6261号機牽引の列車はやってきました。前に撮影者がいないように場所は選びましたがこれが精一杯の努力です。昨日同様の観客が一斉にカメラやスマホを構えていました。

▲ 最後はお見送りです。線路そばは観客で溢れていました。

ここからは20分ほど歩いてホテルへ戻りましたが、疲れました。行きたいところへの土地勘はできましたので次回来る時はもっと効率的に回れると思います。
  Part 18 へ続く

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 17 ハノイMRT3号線視察」への3件のフィードバック

  1. ぶんしゅう旅日記様
    料金吹っ掛けられても相手にしないところはさすがですね。ぶんしゅうさんとは以前外国にご一緒させていただいたことが何回かありますが、ベトナムは行ったことがありません。そこで番外編で1973(昭和48)年3月21日に羽田空港で撮ったベトナム航空のボーイング727-100発表しました。当時のベトナム共和国(南ベトナム)は1975(昭和50)年4月30日に首都サイゴンが陥落して今は国そのものがなく、この飛行機も貴重と思います。デジ青ではバスが時々出るのでたまには飛行機でもと思って出させていただきました。

    • 準特急様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
      ボーイング727-100とは懐かしい機体ですね。当時は最も多く世界中の空を制覇していたと思います。この機を見ると吉永小百合さんが歌った「そこは青い空だった」を口ずさみます。
      Taxi運転手から料金を吹っ掛けられることは中国で慣れておりますのでこれが役立ったようです。

  2. 台湾はDRFC-OBの皆さんがよく行かれますが、最近は中華航空かエバー航空、それに格安航空会社を利用されているようですが、ボーイングにしろエアバスにしろ二つエンジンの飛行機が多い様です。1973(昭和48)年9月8日の中華航空を発表します。この頃の中華航空はボーイング727-100が多かったようです。同社のアメリカ線はボーイング707で後にジャンボもよく見かけました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.