御大が発表されてからの後出しで恐縮ですが、こちらにも阪急202号の初期の写真がありました。こちらは、大阪の古老ファンのアルバムから複写させてもらった中にありました。
やぐらを組んだ上に宙に浮いた運転台、側扉もなく、どうやって乗務員は出入りしていたのでしょうか。
出自は、初代202の機器を利用しての昭和2年川崎兵庫製、昭和17年に、関さんの絵に見られるスタイルに改造されたようです。その後、昭和36年に作業員室を増設(関さん言うところの避難室)され、昭和43年の昇圧時には、作業員室が車体の半分近くまで拡張されました。その間に、3202、4202と改番されています。
末期は、昭和49年京都線に転属、昭和52年廃車とピク阪急特集には記載されており、関さんの記述とは異なります。